一通の手紙
初夏がやってきた。
木々の緑は日増しに深まり、陽は毎日少しずつ高くなっていた。
隊舎と訓練場を往復するだけの毎日でも、季節の変わり目くらいは感じられる。窓から覗くそんな風景を楽しみながら僕が隊舎の廊下をゆっくりと歩いてると、対面から歩いてくる二人の少年が、なにやらこちらを伺いながらひそひそと話していることに気がついた。
だが、いざ僕がそちらに顔を向けると、彼らはそっぽを向いて足早にその場を立ち去ってしまった。
……なんだったんだろう、あれ?
そんな僕らの様子を見て、隣を歩いていたメイが冗談とも本気ともとれない神妙な顔をしながら言う。
「今のはなんだ、お前のファンかなんかか?」
そんなわけなかろう。
それにしても、ここ最近の僕といえばずっとこんな感じだった。
色々な人とすれ違う度にああいう反応ばかりをされている。冗談でメイには「ファンだ」なんて言われたけど、僕が今置かれている状況を考えてみれば、それはある意味では似たようなものかもしれなかった。
夕食後。部屋に戻って一息ついた頃、ふいに僕を訪ねる人がやってきた。
扉を開けると、そこには見知らぬ金髪の少年が立っていた。
背は低めで、顔立ちはほっそりとしてかなり整っているが、どこか華奢で中性的な印象を漂わせている。もし同じ青年隊の制服を着ていなければ、女の子と間違えていたかもしれない。制服の袖はまだ少し余っていて、手が隠れていた。
何か用かと尋ねると、随分と威勢のいい声が返ってきた。
「お休みのところ失礼致します! 私は郵便係のギャレス・スワイヤと申します。アクスウェル殿にお手紙が届いておりましたため、お部屋までお持ち致しました!」
青年隊では、隊員に届いた手紙は一度全て窓口に集められ、そこから当番の学生によって各隊員に配達される仕組みとなっている。
郵便係は主に下級生が持ち回りで務め、このように各部屋をまわって隊員たちに手紙を届けなければならない。
「なるほど、ご苦労さん。そういえば僕も昔、郵便係やったなあ。皆に配り歩くのが面倒でさ、運悪く担当になった時なんかはどうにかして向こうから取りに来てくれないかと、毎回あの手この手を考えていたものだよ。懐かしいなあ……あ、引き止めちゃったか。ごめん。じゃ、ありがとね」
郵便係の少年に礼を言って扉を締めようとしたところ、少年はまだ何かを言いたそうな顔でこちらを見ていた。怪訝に思って声をかけると、最初こそ迷ったような素振りを見せたものの、やがて意を決したように口を開いた。
「あ、あの、失礼ながら貴方はアクスウェル・ヴァン・ギャリックス殿でよろしかったでしょうか! いえ、よろしかったですよね!? この度のご活躍……青年隊に属する身でありながら、参謀本部より直々に下された極秘司令を遂行し、無事任務達成されたとのこと、お噂はかねがね伺っております! 困難も恐れずに国のため、市民のために立ち向かうその勇猛果敢さは、まさに騎士、兵士、いや軍人の鏡であり……ええと、その、本当に尊敬してます!」
一度話し始めた少年は堰を切ったように捲し立てて止まらない。キラキラと輝く目で見つめてくる少年の前のめりな勢いに気圧され、僕はしどろもどろになった。
「そ、そっか。それはありがとう……それじゃ、君も訓練に励んで、えーっと、よくわかんないけどなんかがんばってとか言えばいいのかなそれじゃまた」
急いで扉を締めて息をつく。
あんなに真っ直ぐで純粋な好意を他人から受けることなんて、今までの人生で一度でもあっただろうか……。
『子供攫い』事件の謎を解き明かしてから、すでに一ヶ月近くが経とうとしていた。
僕は今日までの日々をめまぐるしく過ごした。
《終局の魔女》とともに事件の真犯人を退けた僕は、その足ですぐ近衛兵団まで戻り、まずは上官であるレーザー少佐に事の顛末を報告した。
隅々まで事件の内容を調べあげてまとめ、各事件の共通点から犯人の拠点と思しき場所を特定したこと。
拠点と思しき森の中で、被害者である子どもたちの遺体や遺留品を発見したこと。
さらに、子どもたちを攫い続けていた真犯人にも実際に遭遇したこと。
犯人は《触れざる者達》であることを突き止め、現地で出会った人の協力を得て、それらを退治することに成功したこと……。
僕の知ったこととや経験したこと全てを洗いざらい話した。
ただ事件の解決と真相究明に協力してくれたのが、調査の過程で偶然出会った
僕の話す荒唐無稽な内容に、少佐も最初は耳を疑っていたようだけど、最後には信じざるを得なかったようだ。森へ入った調査隊が、僕の証言通りの場所で被害者の遺留品と遺体、それから奇妙な怪物の死体を発見したことが決め手となった。
そこから先は大わらわだ。
まずこの事件をどこが引き受けるかで盥回しとなり、その後もどう取り扱うかで大いに揉めた。
幾つかの担当部署を経て様々な調整と配慮がなされた結果、結局首都を騒がせた一連の子供攫い事件は「首都付近に潜んでいた《触れざる者達》の残党により引き起こされた凶行」として世間的に処理されることで決着が着いた。
この事件の根底に潜んだ人の業を浮き彫りにする凄惨な過去の真実は、人々に明かされるべきではないとして秘匿された。唯一の当事者として真相を知る僕にに箝口令が敷かれることとなった。
僕は静かに口を噤み、一連の事件に関する真実はこれをもって闇に葬られることとなった。
レドロネットの言った通りだ。今はただ、僕だけがこの事件をきちんと覚えていればそれでいいと思う。
ただ、それから僕の日常は少しだけ変化が起きた。
ただの予備調査員であった青年隊員が一転、単身で子供攫い事件を解決に導いたとして、図らずも周囲の注目を浴びる格好となってしまった。
しかも、首都を騒がせた大事件ながら開示される情報は極めて少なかったことから謎がまた謎を呼んで、今では隠された真相の代わりに虚実入れ混ざった様々な噂が飛び交っている有様だ。
そんな噂の中心人物なんて、娯楽と刺激に飢えた青年隊では格好の餌になるに決まっている。
幸いなことに、ほとんどは先ほど廊下ですれ違った二人組のように、遠巻きに指を指してアイツだと噂する程度だったけど、それでも知らない人に声をかけられることは多くなった。
大抵が好奇心半分で噂の真相を聞き出そうとしてくる奴らばかりだったけど、それでもごく稀に純粋な尊敬の念を向けられることもあった。
例えば、先ほどの郵便係の少年のように。
部屋に戻り、届いた手紙を早速開いて読み始める。送り主を確かめると、意外な名前がそこにはあった。
──リリーベル・ヘクスタティック。
リリーベルは一つ歳下の女の子で、僕らはお互いを小さい頃からよく知っていた。
彼女と僕の関係はある衝撃的な初対面から始まる。
リリーベルはこの国でも有数に歴史の長い、名門貴族ヘクスタティック家の四女として生まれた。社交界や家同士の交流などで同世代の子どもたちと出会う機会も多かったが、昔の彼女は決して誰とも話すことはなく、いつも一人でいたらしい。
そんな時、僕はあることをきっかけに彼女と出会った。
それまで頑なに誰とも仲良くならなかった子だけれど、どうしたことか僕は彼女と友達になることができた。それ以降、僕とリリーベルは一緒にいることが多くなり、やがて毎日のように遊ぶようになった。
そんなわけで、彼女との関係を一言で表すなら「幼なじみの間柄」とでも言うべきだろうか。
ただ、僕が青年隊に入ってからは寮生活だったこともあって会う機会も最近はめっきり減ってしまった。
彼女のほうも、良家の子女にしては珍しくこの国の最高学府である帝国大学に進学し、今は学生として日々学業に勤しんでいるはずだった。
さて、そんな彼女から届いた久々の手紙は時候の挨拶からはじまり、日々の生活や学業の近況、大学の様子など他愛もない話題が書き連ねてあった。
最後は僕の近況を尋ねつつ、青年隊での訓練漬けの日々をさりげなく労るような一文で締めくくられていた。
文章は簡素で明快ながら表現は美しく、それでいて堅苦しさのない長い付き合いの親しみを感じる。贔屓目なしに見て、とても美しい手紙だった。しっかりとした大人に育ったのだな、と思わず感慨深くなる。
そういえば彼女と最後に会ったのはもう何年前になるだろうか。
記憶が確かなら、今年でもう十八歳になっているはずだ。
あの女の子は、一体今どんな子に成長しているのだろうか?
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