彼女の名前はレドロネット・ザトラツェニエだ
景色はどんどんと明るくなり、森の密度は薄くなった。
あと少しで森を抜けるといったところで、入り口で待つ人影に気づいた。
小さな背丈と、赤い服。
ミラが僕を待ってて出迎えてくれたのだった。
僕の姿を認めるなり彼女は小走りに近寄ってくる。
「あの、村の人から聞いたんです。軍人さんがカリクのことを探してくれてるって。それで、今日この森に入ったって聞いたから、いてもたってもいられなくて……」
ミラはすがるような目で僕を見つめてくる。その瞳が、視線が、期待が、どうしようもなく辛かった。頼むから、そんな目で僕を見ないでくれないか。
「えっと、森の中まで入ったんだけどさ、結局、見つからなかったんだ。何も見つけられなかった。君の友達もいなかったよ。ごめんね」
僕は右手に握りしめていた腕飾り──倒れた怪物の、かつてカリクだった腕から回収していた──を隠そうと、そっとポケットにねじ込む。だけど怪我をした腕はまだうまく動かなくて、腕飾りはそのまま地面に落ちてしまった。
「あ、その腕飾り……」
ミラが落ちた腕飾りを見つける。僕は慌てて口を開く。
「でも、これだけは見つけてきたよ……君の腕飾りに似てるから、きっと友達の大事なものだと思って持ってきたんだ。大丈夫。いなくなった友達も、今度は見つけてあげるよ。大丈夫、僕は近衛兵団なんだ。国民を、守るのが仕事だからね」
失踪したミラの友達がただ一つだけ残した、友達のために彼女が手作りしたお守りの腕飾り。僕はそれを彼女に返した。
「待ってて、大丈夫。腕輪が見つかったんだから、友達もすぐに見つかるよ」なんてくだらない嘘を重ねながら。
上滑りした言葉ばかりを並べる口に対して、冷静に俯瞰した僕の頭はどんどんと冷えていった。
その温度差に浮かされて、さらに言葉を重ねる。
僕は、適当な言い訳と嘘で取り繕う僕自身を心底軽蔑した。
そんな中でミラは受け取った腕飾りをじっと見て、それから顔を上げてこう言った。
「……カリクは、もういないんですね。私、本当はなんとなくわかっていたんです。もう彼は帰ってこないんだって。待ってても、いくら探しても無駄なんだって。でも、信じられなくて、認められなくて……いるんだって、信じたかった」
泣きそうな顔をしたミラは、それをじっと我慢して、精一杯にこらえて、それから僕に向かってはにかんだ。その笑顔に、僕の心の堰は破られた。
「腕飾り、持って帰ってきてくれてありがとうございました。軍人さん、私、カリクの分もこれから生きていきますね。この腕飾りと一緒に、これを彼だと思って、彼の分まで……」
いなくなった子の人生も背負って生きると、ミラは告げた。
そんな彼女を前にして跪き、僕は彼女を抱いた。
「ごめんね……約束、守れなかったよ。ごめん……」
怪物を倒して、事件の元凶を取り除いたところで、攫われた子供は戻らない。
そんな当たり前の事実を改めて突きつけられ、気がついたら僕は泣いていた。
別に、僕の知ってる人が被害にあったわけじゃない。
僕はただ調べて、探して、行き遭っただけのいわば他人だ。
そんな他人のはずの自分がどうして泣いているのかはわからなかったけど、僕はミラを抱きしめながら何度もごめんと言って謝った。
僕の肩に、レドロネットの手がそっと置かれるのを感じた。
とても優しい声で彼女は僕に言う。
「軍人さん……いいえ、アクスウェル。聞いて。この因果を、あなたが罪の意識として背負う必要はないわ。あなたはこれからも、普通に、ちゃんと、生き続けなさい。そこのちびっ子もよ。それがどうしても難しいというのなら、そうね。その子の言う通りよ。こういうことがあったとだけ、覚えていて。誰も覚えていない事実は無いにも等しいけれど、誰かが覚えている限り、それは歴史として受け継がれるから」
そう言われた僕は、不思議なくらい暖かな気持ちになった。
言葉全てからにじみ出る彼女の優しさに胸が熱くする。
そういえば、いつの間にか彼女が僕のことを呼ぶ名前も「アクスウェル」に変わっていた。最初に会った時からまた更に態度が違うじゃないか。それがなんだかおかしくて、一体どういう心変わりだいと尋ねてみる。照れくさくてつい口を出た僕の精一杯の冗談に、彼女は初めて見せる穏やかな笑顔を浮かべてこう言った。
「まあ、あなたとはこれから何度も会う気がしたからね。いつまでも『軍人さん』なんて呼び方じゃ、双方味気ないでしょう?」
──だから、よろしくね。アクスウェル。
それは、今思えば二人の距離が縮まった最初の一歩。
僕とレドロネットが歩む、長い歴史のはじまりだった。
【第一話「レドロネット・ザトラツェニエ」 終】
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