親子

 一頭の牛ほどもある巨大な庭石が、水中の気泡のように、ふわりと浮き上がる。下に隠れていた蜥蜴とかげが、慌てて別の石の影へ滑り込む。石は空中でゆっくりと横に一回転した後、極めて静かに着地する。

 日の出前、陰陽院の縁側に座っていた道満は、閉じていた目を開き、立ち上がって、石に近づいていく。

 石の下を見ると、雑草の生えていない地面が少しだけ剥き出しになっている。

(若干、ずれたか。もう一度だ)

 道満は再び縁側に戻り、座って目を閉じる。

 元あった位置へ正確に戻せるまで繰り返すのだ。道満の日課である。

(何だ? 重いな)

 目を開くと、一羽の雀が石の上に止まっていた。

 道満は落ち着いた声で言った。

「邪魔をしないでください、晴明様」

 晴明は人の姿に戻ると、石の上で胡坐をかき、微笑んだ。

「いや、すまぬ。相変わらず真面目だな、道満」

「子供たちの指導を担う者として、己の鍛錬を欠かさぬのは当然のことです」

 表向きは晴明が陰陽院の院長ということになっているが、実際に取り仕切っているのは道満である。晴明が直接子供たちの指導に当たったことはない。

「お主の息子、道兼も今年からであったな」

「はい」

「昨日、ここへ歩いてくるところを見たぞ。道兼の方はわからぬが、一緒にいた子供は光るものを持っておった。木刀を腰に差した少年だ」

 あの子か。確かに、なかなか良い目をしていた。

「あの二人、競い合う仲になると良いな」

「もしそうなれば、願ってもないことですが……」

「何か問題があるのか?」

「道兼は入学試験を通れぬような気がしております」

「五星紙か」

「ええ」

「お主の血を引いておるのだろう。才がないとは考えにくいが」

「今年は一つ、細工を施してみたのです」

「ほう」

「才があるだけでは通れませぬ」

 道兼は、育て方を間違えた。放任が過ぎた。この父の名を利用して、悪童たちの頭目のようなことをしているらしいが、きちんと叱る機会を逸したまま、今日まで来てしまった。

 陰陽術の根本は精神力。心が歪んでいては、大成は望めない。

「初めから目の細かなふるいにかけようというわけか」

「はい。あの塔へ入ることすら見込めぬなら、陰陽師よりも別の道を歩ませた方が、本人にとっても世の中にとっても有益でございます故」

「うむ。やり方はお主に任せる。強い陰陽師を育ててくれ」

「力を尽くします」

 雑魚の相手ができる程度では意味がない。精鋭でなければ駄目なのだ――この魔王を止める為に。

 妖魔の正体が式神であることも、建造中の黄金の塔が、子供たちの為でなく、実は晴明自身が新たな力を得る為のものであることも、道満にはわかっている。わかってはいるが、道満一人では晴明の足元にも及ばない。故に、育てねばならない。共に戦う仲間を。

 道満の考えは恐らく、晴明に見抜かれている。泳がされているのだ。碁の名人が強い対局相手を欲するように、晴明もどうやら遊び相手を求めている。癪なことだが、今はその稚気に感謝し、乗ずるより他ない。

 晴明は再び雀に変化し、石の上で可愛らしくさえずっている。いかにも弱々しい。例えば、あの石を二つに断ち割って、その間に挟んでしまえば、容易に潰せそうだ。けれど、本当にそんな術をかけようものなら、石はたちまち巨木の根に飲み込まれ、道満は伸びてきた梢で串刺しにされるだろう。

 妖魔のからくりを喧伝したところで、人は信じないだろうし、召喚士が始末されれば証拠もなくなる。問答無用で成敗する以外、手立てはない。

 晴明は、その気になれば、帝や近習たちを皆殺しにし、都を恐怖で支配することもできるはずだ。しかし、そうはしない。英雄としての在り方に拘っている。そこに一縷の望みがあるような気がするが、今のところ妙案はない。

 陽が差してきた。東の空に、塔の影。じき骨組みは完成し、金箔があしらわれることになる――民の血税であがなわれた金箔が。

「道満」

 突然、雀の姿のまま、晴明が言った。

「実の親故に、厳しく接する。その心がけは立派だが、度が過ぎぬようにせねばならぬぞ。親に期待をかけてもらえぬ子は、陽を当ててもらえぬ蕾のようなもの。咲くはずのものも咲かなくなる」

「……は。肝に銘じます」

 正論であった。己の正体は偽っているくせに。

 晴明が去った後、もう一度石を回したが、先ほどよりもずれが大きくなっていた。動揺の現れと認めざるを得なかった。

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