第63話 終わりと、はじまりの想い
※最初にヒロイン・幸希の視点。
後半に、三人称視点があります。
――Side 幸希
「さてと、ドーナツ君、何か軽い夜食でも作りに行きましょうかね」
「はいはい。お嬢さんとぼっちゃん、和食と洋食系、どっちがいいかな? あと、間違えるレベル通り越して、普通にドーナツって呼ばないでくださいよ、神様」
「ははっ、どっちでも一緒ですよ」
フェルお父様とヴァルドナーツさんのそんなやり取りが終わり、二人の姿が消えてから十分ほど……。
アレクさんの左手を握りながら必死に浄化作業を進めていた私は、反対側で彼の手を握り力を送り込んでいるカインさんの意味深な視線に気づいた。
その真剣な表情が何を見ているのか、……気付かないふりは、出来ない。
「……どっちでも、……一緒だった、ってわけか」
「カイン……、さん?」
「このウォルヴァンシアでお前に出会った時、お前に惹かれてるって気付いた時……。俺は心底悔しくて仕方がなかった。なんで番犬野郎より早く、お前に出会えなかったんだろう……。なんで、俺はいつも遅すぎるんだろう……って、……割り切ったつもりでも、ちょっと、な」
イリューヴェルの第三皇子様として生まれ持った複雑な境遇のせいで苦しみながら、足掻きながら生きていた頃のカインさん……。この人との出会いは本当に最悪で、泣いてしまうほどに辛くて、大嫌い以外の感情なんて持てないもので……。その関係性が修復され、友人関係にまでなれた事には、何度思い返しても不思議だなぁとしか思う事ばかりで……。今でもそうだけど、あの頃はアレクさんのカインさんに対する警戒心が何十倍も凄かった。本当に、本気でカインさんをその剣で成敗してしまいそうなくらいに。
その頃の事を思い出して、僅かに笑いを零した私に、カインさんがムスッと拗ねた表情になって、私の額にちょっと痛いと感じるデコピンをお見舞いしてきた。
「何思い出してんだよ?」
「痛たた……。ウォ、ウォルヴァンシアの、ウォルヴァンシアで、カインさんと出会った時の事ですっ。い、言わせてもらいますけどっ、あれじゃ、最初でも後でも、結局、私達は喧嘩ばかりで、それで、また、何かきっかけがあって、仲良くなって……、今と同じになっていたと、そう思うんですけどっ」
出会った順なんて、きっと関係ない。
私達はきっと、何度でも同じ道を辿って、時に喧嘩をしたり、励ましあったり、……仲の良い友人になっていたはずだ。ただ、……変わる事があったとすれば。
「そうだな。どっちでも同じだ。何も変わりゃしない。……お前の心以外は、な」
「…………」
もしかしたら、アレクさんではなく、目の前のこの人を好きになっていたかもしれないという、別の未来。
確かに、カインさんに惹かれていた瞬間もあった。
口は悪いけど、いつだって私や皆の事を心配してくれて、その不器用な優しさが愛おしくて……、大好きで。
でも……、私は――。
「往生際が悪ぃが、……もう一回だけ聞いとく。お前の初恋は、叶ったか?」
「――ぅっ。……カイン、さんっ」
あの時とは違う。嫉妬や、怒りの情に心を掻き乱されていた時の彼とは……。
「どう、して……、そんな、……や、優しそうな顔で、……聞くん、です、かっ」
「好きだからだよ。……情けねぇ事に、お前の心に全部委ねるとか言っときながら、いざお前に本気で好きな奴が出来た途端、アレだったからな。……どうしようもねぇ自分を自覚したっつーか、……あれから、色々考えてたんだよ」
アレクさんを浄化するその光に、負の気配は微塵も滲んではいない。
だけど、……私の頬を包み込む大きな手のひらから伝わってくる微かな震えが、カインさんの思い遣りと、怯えなのだと、気付く。必死に自分を抑え込み、私を傷付けないように……、この人が、けじめをつけようとしている事に……。
「無理矢理奪ったって、お前は毎日泣くか、俺の事ぶん殴って、意地でも逃げようとするかだろうしな……。滅茶苦茶余裕で想像出来る」
「わかりました……。じゃあ、今、一発。平手がいいですか? グーがいいですか?」
「ははっ。頼もしくなりやがったなぁ、本当……。けど、やっぱり答えはひとつなんだよな。――俺は、心底惚れた女が幸せそうにしてる顔を見んのが、一番好きだ」
私が貴方に返せるものは、ひとつだけ。
それなのに、私が誰を好きになってしまったかわかっているのに、……貴方の心は揺らがない。
私は、カインさんの手のひらにそっと両手を添わせ、一粒の涙を零す。
「私も、カインさんが大好きです。……っ、好きになってくれて、ありがとう。そして、……本当にっ、ごめんな、さいっ」
「…………」
心からの感謝を。貴方が好きだと言ってくれた幸せな笑顔を見せる事が出来ていますように……。
傷付ける事、傷付く事が避けられない瞬間を迎え、私達の間で、ひとつの幕が下ろされる。
カインさんの表情に走った、泣きそうに辛い、痛みの気配。
だけど、――彼は笑顔を作ってくれた。私と同じように、今にも涙を零してしまいそうな、精一杯の微笑みを。
「すっげぇ不細工」
「――っ!」
「だけど、……振られるには、最高の土産付きだ」
「カインさん……っ」
「なんだろうなぁ……。滅茶苦茶ショックなのに、……「好きになってくれて、ありがとう」って、そう言ってくれたお前の言葉と、その笑顔に、色々報われたような気がするんだよ」
貴方の心が今、どんなに傷ついているか……。
お互いに、相手の表情を見ればどんな気持ちでいるかわかるのに……。
無理をして笑う彼に何か言葉を返そうとする私だけど、……出来なかった。
私の頬から離れていったぬくもり。アレクさんの方に向けられた真紅の瞳。
「さて、と……。あとはもうお前一人でも大丈夫だろ」
「カインさ」
「ちょっとフェルのおっさんのとこ行ってくる。色々あって、腹が、な。何かあったらすぐ呼べよ。俺はお前の対だ。すぐに駆け付ける」
たとえ、二人の間にはもう……、愛という名の絆が結ばれなくても。
最後まで優しい貴方の心遣いに頷きながら、私は小さく手を振って外へと見送る。
さっき伝えたように、「好きになってくれて、本当にありがとう」と、何度も、何度も、胸の内で大声を出して叫びながら――。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「はぁ……」
永い、永い、……抱き続けてきた想いの終焉を味わった。
アレクディースの浄化を幸希に任せ、大神殿の中を彷徨いながら……、カインは壁に寄り添い進んでいた足を止めた。ずるりと、……膝がクリスタルの床に落ちる。
本当のはじまりであった時代、共に生まれた対の女神。
夫婦や恋人といった関係性はなかったが、カインにとって幸希は唯一無二の相手。
彼女にとっても、自分がそうであるようにと……、記憶を失う前も、はじまりの世界で何も覚えていなかった頃も、ずっと……そう、思ってきたのに。
「本当……、早いも遅いも関係ねぇじゃねぇか」
そう、早いも、遅いも、なかったのだ。この出会いに……。
最初に幸希の傍にいたのは自分だった。だが、最終的にその場所を得たのは、……あの男だった。
ウォルヴァンシア王国の副騎士団長、いや、……この異世界エリュセードの御柱の一人、アヴェルオード。
年若き世界の神。覚醒したカインからすれば、あまりに弱く、幸希を託すには認められない相手だ。
だが……、あの男が選ばれたのは、力の強さや役割故ではない。
「ユキ……」
今までは、彼女の名を音にするだけで、満ち足りた幸福と愛おしさを感じていた。
彼女が誰も選ばずに来たからこそ、選べなかったからこそ……、希望を捨てずにいられたのに……。
もう一度、始められると、そう思ったのに……。
壁に背を預けたカインは、頬を伝う涙の滴を拭う事なく、どこを見るでもなく、視線を意識の果てに投じていた。
「はぁ……。ツイてねぇなぁ」
あの時、はじまりの世界が滅びなければ……。
あの時、記憶を失わず、彼女の傍を離れなければ……。
「……下らねぇな」
過去に思いを馳せても、後悔しても、全ては終わったのだから意味がない。
愛しき女神は唯一人の相手を選び、この想いに終止符を打った。
あの答えが覆る事はないだろう。……決して。
だが、酷い喪失感と簡単には消えないだろう深い傷を負ったというのに、心の中でどこか……、喜びにも似た心地を覚えてしまうのは、彼女の思い遣りを目の当たりにしたからだろう。
『好きになってくれて、ありがとう』
ただ拒まれるのではない。他に好きな相手がいると、ただそれだけの事務的な言葉で終わらせられたのではない。――彼女は、自分の抱いた恋心に報いようと、心からの感謝の情を与えてくれた。
唯一人を選ぶ事が何を生み出すのか、選ばれなかった者をどれだけ傷つけるのか……、それを一番恐れていた彼女が、自分なりに考え、導き出してくれた『応え』。
辛い、苦しい、何もかも全部元に戻して、はじめからやり直してやりたい。
そう叫ぶ心と、自分の心にそっと寄り添い、傷を癒そうとしてくれる彼女のあたたかさを感じ、鎮まってゆく激情。
「……きだ」
終わったのに、終わらせてくれたのに……、それでも、消え去る想いは、そんな潔さは、どこにもない。
もう出来る事なんて何もない。彼女をこの腕に抱き締めて、どれだけの愛を囁こうと、泣き喚いて縋りつこうと、この想いは叶わない。
一度は攫ってでも、記憶を改変してでも、激情に駆られ、欲した相手。
「感謝なんて、……する、なよっ。するなっ、……する、なっ。俺は……っ」
愛した事をなかった事にされなかったのが、自分の想いをちゃんと受け止めた上で、泣きながら……、――俺の為に笑ってくれた、お前がっ。
「くっ……、ぁ、ぁあっ、……ぅっ」
止まらない。止まってくれない。
視界が朧気に歪み、情けなく零れる涙が、心に浮かぶ彼女の、自分の為に向けてくれた、精一杯の笑顔が……。 ――ギリギリのところで、自分の狂気を理性というベールで包み込んでいく。
「はぁ、はぁ……っ! うぅっ、くっ」
裏切りたくない。彼女の、あの笑顔を……、この手で、壊す事だけは。
あの御柱がどれだけ憎かろうと、――俺は。
「カイン」
「…………」
薄明りだけが頼りの神殿内に響いた、男の声。
その声に何も変わりはない。いつもと同じ、普通に声を掛けただけの音だった。
泣き顔を見られたくないカインは目元をゴシゴシと腕で拭い、横を向きながら小さく反応を返す。
白衣姿の、表情も普段と変わらない、いつもの王宮医師に。
「なんだよ」
「あのクソ、……いや、トワイ・リーフェル様の命(めい)で浄化の進行具合を確かめに来たんだが……、後はユキに任せても大丈夫だという判断で、ここにいるわけか?」
「あぁ……」
「……冷えるぞ」
「うるせぇよ。さっさと行っちまえ」
この後、ルイヴェルが行くとすれば、幸希の所だろう。
妹のように可愛がっている大切な王兄姫。そして、――かつては、心から愛した女神の許に。
一番最初の記憶を取り戻したカインは、その後に幸希と触れ合った瞬間、全てを知ったのだ。
自分が魂だけの存在となり、ソリュ・フェイト神の中で眠っていたあの頃……。
エリュセードの天上で、……何が、あったのかを。
カインは幸希のいる方へ足を向けようとしている王宮医師に視線を向け、呟く。
「お前は……」
「なんだ?」
「……『あんな事』があっても、ユキの為に動くんだな」
「……お前も同じだろう? 想いが叶わなくとも、愛した女を憎む事は出来ない。全てを許してしまうほどに、『あの男』は、天上に生まれた女神……、ユキだけを愛し抜こうとしていた」
「他人事かよ。ユキへの想いを封じても、その記憶はあるんだろうが」
自分とは違い、恋に落ちるという未来に恐れを覚えていたユキに拒まれ、愛しているという心さえ否定された男……。一部の者だけが知る、幸希が兄神と共に眠りへと就いた夜の真実。
あの時、……ユキが恋心を覚え始めていた相手は、目の前の男ではなかった。
今も、昔も、幸希が愛する男は唯一人……。アレクディース・アメジスティーと、アヴェルオードだけだ。
「他人も同然だ。あの男と、今の俺は同じであり、そして、――別物でもあるからな」
「恋愛感情がないから、か? だから、ユキの事をそういう意味で想っていた時の自分と、今の自分は違うって、そう言いてぇのかよ? 封じを施したら、お前みたいに楽になれるのかよ」
「さぁな。だが……、……には負けたようだ」
「おいっ!! うわっ」
それはどういう意味なのか……。
聞き取れなかった部分も含めて、疑問符を頭に思い浮かべたカインがその後を追おうとすると、ルイヴェルの手から包み紙によって守られたサンドイッチが放り投げられてきた。
慌ててそれをキャッチしたカインの怪訝な目には、廊下の向こうに消えていくルイヴェルの背中が……、どうしようもなく、寂しげに見えていた。
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