第50話 喪失

※最初に主人公、幸希の視点。

 後半は、第三者視点で進みます。ご了承くださいませ。


 ――Side 幸希



 何が……、起きて、いるの?

 前触れもなく、背中から一直線にアレクさんを貫いた、槍のような存在。

 広場のあちらこちらで上がる悲鳴。

 私が理性を掻き集める前に、炎が、不穏なる災厄の炎が彼の全身を呑み込んだかと思うと、蒼銀に輝く光が現れ、眩き輝きを放った。抵抗している、干渉してこようとする災厄の力に。


「アレクさん!!」


「きゃあああああ!!」


「うわぁあああっ!! 魔物だぁああああああっ!!」


「――っ!?」


 新たに上がった悲鳴の先へと視線を走らせると、広場中に魔物や瘴気の獣達が唸り声を発しながら広場を取り囲んでいた。怯え、逃げ惑い始めた人々に襲いかかった不穏の使いに向けて浄化の刃を放つ!

 だけど、私がそっちに気を取られている隙に、アレクさんから起こった絶叫。

 

「ぐぁあっ、……ぁあああっ、うぁああああああああああっ!!」


「アレクさん!!」


 一瞬だった。美しい輝きを放っていた蒼銀の、神たるアヴェルオード様の光……、その魂が、災厄の炎に囚われ、飛び去った。すぐに聞こえてきたのは、愉しそうな……、青年の声。

 世界の境界線を溶かすオレンジと、静寂なる夜の闇が視線を交わし始めた空の只中に佇む、誰か。

 銀髪の青年……、アレクさんによく似た。そして、その手に持っているのは、奪われたアレクさんの魂。


「……アヴェル君」


「欠けた神の魂。御柱、アヴェルオードの力……」


 奇襲をかけ、ただ魂を奪っただけで終わるはずがない。

 ハズレの玩具を手にした子供のように、つまらなそうな顔でアレクさんの魂を眺めているアヴェル君。

 アレクさんを襲った災厄は、アヴェル君の身の内から感じられる災厄の気配が……、以前の何倍にも膨れ上がっている事がわかる。ディオノアードの欠片……、いえ、これは、もっと大きな。


『お嬢さんっ、魔物達がっ!!』


 アヴェル君一人に集中させてくれる気はないようで、一斉に動き出した魔物達の凶悪な牙が雄々しい咆哮と共に町の人々へと襲いかかっていく。

 自分に手出しが出来ない様に大量の魔物達を連れてきたのだろうけれど、つい先日の、王妃様の眠る塔の上空に現れた軍団レベルじゃない。大丈夫、すぐに片付けられる!

 

「アレクさん、少しだけ待っていてください」


 取り戻してみせる。助けてみせる。――絶対に!!

 恐怖に苛まれている人々に結界を施し、私は広場を中心まで走って白銀の閃光を起こす。

 瘴獣を討ち滅ぼす浄化の力を、操られている魔物達を正気に戻す力を!!

 

『グォオオオオオオ!!』


『お嬢さんっ!!』


 広場にいた魔物達だけでなく、上空に控えていた飛行能力のあるそれらにも力を放つ。

 苦しげな咆哮、消え去っていく瘴獣達、順調に妨害を排除していきながら、私はその光に紛れてアヴェル君の許へと飛んだ。背後を取り、彼の意識を奪う為の一撃を――。


「くっ!!」


『ふふ、いらっしゃい、ユキ……』


 お母様の人格を真似た災厄の一部がアヴェル君の中から顔を出し、私に向かって両手を伸ばしてきた。

 首に絡みつく、しなやかな白い手。生かさず殺さず、けれど、動きを封じてくる力加減。


「うぅっ……!!」


『愛しい、愛しい、私の娘……。そろそろ『約束』を果たしましょうか』


「やく、……そ、く?」


『したでしょう? 私と貴女だけの、大切な『約束』……。果たせるかどうかは貴女次第だけど、試してみようかしらと思って』


 どういう事……? 私は、災厄と約束なんかした覚えは。

 息苦しさと、締め付けられる痛みの中で意識を霞ませながら睨み付ける私に、災厄が嗤う。


『アヴェル……、お母様からのお願いよ。――アヴェルオードの魂を砕きなさい』


「――っ!!」


 その瞬間、私の身体は後方へと突き飛ばされ、振り向いたアヴェル君が何の表情も浮かべずに……。


「いや、いやっ……!! アヴェル君!! やめ――」


 その手の中で躊躇なく握り込まれ、星屑のような煌めきに変じて砕け散った……アレクさんの、アレクさんの。

 神の魂が砕かれた時、神の生は終わり……、長い長い再生の眠りへと入る。

 ただの眠りじゃない。人にとっては永遠の時間、神にとっても、長すぎるほどに、気が狂うほどに長い、長い……、死の空白。アレクさんが……、今、死ん、だ。


「ぁ、……ぁあっ、あ、アレク、さんっ、アレク、……アレクさっ、いやっ、いやっ、嫌ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 絶望の煌めきは夜の闇に消え、アヴェル君がゴミでもついているかのように、その手を払う。

 死んだ、死んだ……、死んだ……っ。殺された、あの子に、アヴェル君に……、アレクさんが、――コロサレタ!! 胸の奥から心臓を突き上げるかのような衝撃を感じ、感情が、心が、深い悲しみと憎悪に染まっていく。


「……何?」


『ふふふ、アヴェル、よく見ていなさい。人も神も、その心は脆いもの。大切な物を目の前で壊してあげるだけで、――ほら』


 目の前で貫かれたアレクさん、魂を奪われる瞬間、何も出来なかった。……大切な人を、愛する人を、見殺しに、してしまった。

 災厄の気配に怯えていた世界に、止む事なく響き渡る私の慟哭。

 深海へと引き摺り込まれていくかのように、涙が視界を覆い尽くしていく。

 頭の中が滅茶苦茶になって……、救われる事のない絶望と悲しみに苛まれていく中、芽吹いたのは強烈な憎悪の情。

 理性が、感情を制御する枷が焼き尽くされ、『私』という『個』が塗り潰される……。違う何かに、変えられて、いく。

 

 

 ――そして。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 突如、ウォルヴァンシア王国内に生じた異変。

 アレクディースの家族が暮らしている町に発生した、魔物や瘴気の獣達の存在。

 そして、災厄と御柱の一人、アヴェルオードの後継である神の気配。

 隠す事も、各地を同時に襲うという攪乱行為もせず、あからさまな誘いの意図を向けてきた不穏達(災厄達)。

 そして、一瞬だけ感じ取る事の出来た、強大な負の力の気配。

 ディオノアードの鏡。それから生じている災厄の気配と酷似していたが、それよりも、もっと強く、歪みの深い……、何か。

 国王レイフィードは騎士団と魔術師団に他の町の警備を強めるよう指示を出し、ルイヴェルと共にすぐさま現地へと向かった。

 ――だが、そこで見たものは。

 

「「――っ!!」」


 浄化され、意識を失って倒れ込んでいる魔物達の群れで埋め尽くされた広場の上空。

 嫌な寒気を誘うような風に髪や服の裾を靡かせながら、レイフィードとルイヴェルは見た……。

 ――御柱の息子、アヴェルの剣によってその身を貫かれた、幸希の姿を。

 彼女がその頭上に掲げているのは、二つの刃が一振りの剣になったもの。

 それを振り下ろす事も出来ず、幸希はアヴェルの一撃によって害された。

 一体何が起こっている……、何故、こんな光景が、目の前にある?

 幸希の身に絡み付く一人の女……。女神ファンドレアーラの姿を模した災厄。

 そして……、眼下には、背中から血を流し、うつ伏せに地面へと倒れているアレクディースの姿が。

 一連の流れを想像する事は簡単だったが、――いや、今はそれよりも。

 

「ルイヴェル、僕はユキちゃんを助け出すから、君はアレクを、――あっ、こら!!」


 レイフィードの指示を無視し、自分が先に幸希の救出へと飛び出して行った王宮医師……。

 アヴェルの首根っこを掴み、容赦なく攻撃魔術を加えながらぶっ飛ばすルイヴェル。頼もしすぎるほどに凄い光景だが……。

 迷いなく幸希を選ぶあたり、友情の脆さに涙するべきなのか……、それとも、少しは迷えとツッコミを入れるべきなのか。

 

「いや、少し違うかな」


 ルイヴェルの選択は、彼の中で幸希を大切に想う気持ちが強いからだろうが、同時に、アレクディースの願いでもあるからだ。

 自分の事よりも、幸希の無事を優先する。自分の事よりも、幸希の幸せを願う。彼らに共通する、迷いなき選択肢。

 幸希の事が心配で仕方がないレイフィードだったが、彼は優先した。

 自分の願いではなく、大切なあの子の願いを叶える為に。大事な姪御を、妹をルイヴェルに任せ、彼は地上へと降りていく。


「アレク……、アレクっ」


「……ぐっ」


 深手を負ったその身に残っている、ひと欠片。

 恐らく、災厄とアヴェルに奇襲をかけられた際に守り抜いた、最後の輝きなのだろう。

 その存在のお陰で、アレクディースはまだ生きている。だが……、奪われた魂を取り戻さない限り、彼の存在を長く留めておく事は出来ないだろう。

 

「アレク、頑張るんだよ……。君が死んでしまったら、僕の可愛い姪御ちゃんが……、妹が、悲しむからね」


 自分も、とは、言わないでおく。まだ、あの時の事を根に持ち、恨んでいるのだから。

 だが、レイフィードの表情は憎しみや怒りとは無縁で、幸希の施した治癒の術に自分の力を重ね、アレクディースの回復を願うものだった。

 かつて友であった、男神レイシュ・ルーフェとして。一方では、アレクやルイヴェルが幼い頃から見守り続けてきた、保護者的存在のレイフィードとして。

 たとえこの胸に消えない恨みの情があろうと、結局は……、憎み切れない。

 

「アヴェルオードとしての君と妹の幸せを願う事はまだ無理だけど……、アレクディースと、僕の姪御、ユキちゃんの幸せを願う事なら、出来そうなんだ。だから、まだ逝っちゃ駄目だよ。たとえ魂のひと欠片となっても、君は生き残る道を探すべきだ。死ではなく、大切な人を、この手で、幸せにする道を」


 身体に負った傷は深く、また、災厄の色濃い浸食を受けている。

 こんな状態になりながらも、よくその心を、神花の一部を守り抜いたものだ。

 あの時、王都で感じた気配。その中にあった、幸希の神気から感じ取った激しい感情の乱れ。歪みを抱いた、力の兆し。

 アレクディースを傷付けられ、その魂を奪われた事が原因なのだろう。

 大切な者を害され、憎しみと恨みの情に染まった事のあるレイフィードにはわかる。

 異変を感じた際、幸希はこの地で我を見失い、深い悲しみと狂うほどの怒りに苛まれ……、本能のままに挑んだのだろう。災厄達に。

 だが、レイフィード達が到着した時に見た幸希は、剣を振り上げたままの態勢で胸を貫かれていた。

 災厄とアヴェルの力によって動きを阻まれたのか……、それとも。

 

「うっ……、ゆ、ユキ」

 

 自分の酷い有様よりも、幸希の事ばかり、か。

 僅かな苦笑を零しながら、レイフィードはアレクディースの両目に手を翳し、眠りの術をかける。

 今のあの子の、幸希の姿を見せるわけにはいかない。自分でさえ、理性を保つ事で精一杯の状況なのだから。

 レイフィードが天空を見やると、アヴェルを退けたルイヴェルがファンドレアーラの姿を模った災厄と対峙しているところだった。

 十二の災厄。ディオアノードの鏡を生み出した災厄の化身。目を開けたまま動きを止め、苦痛の声を零す事さえしない幸希の身に纏わりつくそれが、愛おしそうに、嬉しそうに、レイフィードの大切な存在の頬に口づける。

 

『ユキ……、もう少しだったのに。どうしてやめてしまったの? アヴェルは貴女の愛しい人を殺した。心が壊れる程に辛かったでしょう? アヴェルを憎み、殺したいと思ったでしょう? それなのに……、どうして、逆らうの? ――貴女の本質に』


「…………」


 やめてしまった。やはり、幸希は一度、アヴェルを殺そうとしたのだ。

 アレクディースを害され、溢れ出る憎悪の情に身を任せ、剣を手に取った。

 幸希の胸を貫いていたアヴェルは、あの時点で酷くボロボロだった。レイフィード達が来るまでに、僅かな時間しかなかったはずなのに。

 飛ぶ前に感じた、歪みゆく神の力、膨れ上がり、爆発しそうな気配を感じさせた……、災厄よりもさらに色濃い、破滅の力。

 アレクディースを害された事により、幸希の力が変質しかけていた事は確実だが、もう片方は……。

 災厄からの問いに応えない幸希を見つめ、レイフィードは願う。

 どうか……、これ以上の重荷を、あの子に背負わせないでくれ、と。

 

「ユキ……」


 災厄の隙を窺っていたルイヴェルが動きを見せ、神の力によってその悪しき光を打ち払う。

 幸希の身体からその気配が霧散した瞬間を狙って幸希を助け出し、その腕に抱きとめたルイヴェルだったが……。

 一度消え去った災厄が、愉しげな嗤い声と共にまた現れる。ルイヴェルの、いや、幸希の周囲を漂いながら、悲しそうに問う声が響く。

 

『せっかく果たせそうだったのに……。ねぇ、どうして? どうして、まだ目覚めてくれないの? 私のユキ……。私の、私達の……、セレネ』


「失せろ」


『ふふふふ、無駄よ、無駄なの。私は世界に望まれて生まれた存在(もの)。貴方達がどんな力を用いて消し去ろうと、また生まれるの。永遠に、永遠に、ね。世界の祝福を受けて、私達は生まれ続ける』


 ゆらりと揺らめく、陽炎のような女神の面影。

 世界の祝福を受け、望まれ、生まれ来る者……。自己の存在は正当なものだと主張する災厄の化身だったが、やがて、大気へと溶けるように、消えていった。ルイヴェルとレイフィードが周囲の様子を確認すると、アヴェルの存在もすでになく。

 レイフィードは自分の前に降り立ったルイヴェルの手から幸希の身体をそっと受け取り、止血と治癒の術がかかっているその胸からゆっくりと剣身を引き抜いていく。……痛いと、泣き喚く声が、聞こえない。穏やかに微笑むブラウンの瞳に光はなく、頬を伝うのは悲しみの跡。

 愛しい人を殺された。そのせいで、正気を失い、彼女は絶望に呑まれた。……だが、踏みとどまった。

 アヴェルに向かって振り下ろされる事のなかった剣。無防備に貫かれたその身。それが、幸希の辿った道を表しているかのようで……。

 地面に衣を敷き、そこに幸希を寝かせる。自分とルイヴェルの力を注げば、地上の器が死を迎える事はないだろう。

 だが……、一時的に不穏がこの地を去ったとはいえ、問題はまだ、残っている。

 

「陛下……、アレクの神花は、恐らく」


「別の場所に移された、でしょ? 僕達がここに到着した時点で、アレクの神花は転送されていた」


 恐らく、目的のひとつは、アレクディースの神花の回収。

 災厄は『愛しい人を殺された』と、幸希にそう言っていたが、それがアレクディースの事を指すならば……、それは偽りだ。

 アヴェルオードの神花を砕き、死を与えたと思わせ、幸希の心を乱す事。それが、第二の目的……、レイフィードはそう感じている。

 災厄にとって、母とも言える存在。はじまりの世界において、災厄の種の母胎となった女神、セレネフィオーラ。

 幸希の話では、ただの被害者。自分の母親と同じ境遇だと思っていた。――だが、本当にそれだけなのか? いや、違う。

 災厄は、幸希の心を壊し、その果てに何かを引き出そうとしていた。レイフィードが感じ取った、あの、大きな大きな、災厄よりも恐ろしい何かを。


「二人を王宮に連れて帰ろう。ユキちゃんの方は回復が早いだろうけど……、問題はアレクだね。ひと欠片の魂だけじゃ、いずれ限界が訪れる。戻ってすぐに対策を考えるよ」


「御意」


 気を失っている住人達の無事を確認し、魔物達を在るべき場所に帰したレイフィードは、心配そうにこちらを見ている一頭のモンモーに気付いた。

 幸希とアレクディースの傍に寄りたそうにしているところを見ると、元副騎士団長とその家族がやっている牧場の一員なのだろう。


「大丈夫だよ。二人は必ず元気になるから、家に帰りなさい」


『……わかったわ。アレクとお嬢さんの事、お願いね』


 気を失っている住民達が目覚める前に行こう。モンモーに別れを告げ、レイフィードはルイヴェルと共に治療中の二人を連れ、町を後にした。

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