第47話 憂鬱な心と訪問者

 ――Side 幸希


「ふぅ~、もう三日目なんだね~。明日にはアレク兄さんもユキさんも帰っちゃうし、はぁ~。寂しいな~」


「……私も、寂しいです。もう少し、シャルフィアさんや皆さんと色んなお話をしたかったから」


 三日目の朝。

 泣きはらした目に治癒を施して食卓に向かった私は、今日も元気にもぐもぐとパンを食べながら残念がってくれているシャルフィアさんに頷いて相槌を打っていた。

 明日の朝には、アレクさんと一緒に王都に帰る。ここへ来る機会は……、多分、もうないだろう。

 それでも、「また来ます」と口にした。叶わない、いつかの約束を、嘘を吐いてしまう自分。

 

「じゃあ、次に来た時には、一緒にお出かけしましょう!! ショッピングしたり、美味しい物を食べ歩いたり、可愛い物をみたり、ふふ、楽しみ~!! あ、女の子同士の一日にするんだから、アレク兄さんや父さんは来ちゃダメよ!!」


「わかっている。陰から護衛をすればいいだけだからな」


「それも駄目ぇええええええええ!! 男は黙ってお留守番!!」


 がっかりとしているアレクさんとお父さんが私にも「駄目なのだろうか?」と無言の問いをかけて縋ってくる。

 ふふ、勿論駄目ですよ~。女の子同士の一日にするんですから。……と笑顔に答えを込めて返す。

 果たす事の出来ない約束。私にはもう、手にする事の出来ない、大切な人達との未来。

 いつかの、その場所にいたいと……、ふと、そう思う時が、何度もあった。

 無責任だと、欲張りだと、その度に自分自身を縛める。願いを口にする立場なんて、……私には、ないから。

 楽しそうな食卓の席で、私に出来る事はひとつだった。

 嘘を吐きながら笑顔でいる事。ただ、それだけ……。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ふぅ……」


 なんというか……、一晩経ってみると、心も落ち着いてくるわけで。

 情緒不安定大暴走の状態もどうにか落ち着き、冷静に考える事が出来るようになってきた。

 まったく……、あんな見苦しい醜態を晒してしまうなんて。私の馬鹿っ。

 その上、アレクさんに……、本人に、あの出来事の理由を見抜かれてしまうなんて!!

 原因が嫉妬の情だと知られてしまった以上、私が、……その、アレクさんに対して、特別な感情を持ってしまった事だって、把握されてしまったわけで。あぁぁぁあああああっ!!


「……あの時と、一緒じゃないっ」


 逃げないと、そう誓ったのに……。

 自分の心を掻き乱すような変化が起きると、すぐに怖くなってしまう。

 あの時と同じ……。怖くなって、逃げようとした、昔と。

 強くなろう、前に進もうと思っているのに、全然実践出来ていない自分。

 

「面倒くさいな~……、私」


 マダム・モンモーこと、ヴィオラディーヌさんのお乳を搾りながら、零れ始めたのは、自分でも引くような不気味な笑い声だった。いやもう、本当に面倒くさい。

 自分の存在が、一人で勝手にうじうじと悩んでしまう、この性格が。

 昨夜の心のままだったら、きっとさらなる暴走を起こしていた事だろう。

 一人で突然またいなくなるとか、アレクさんの事を拒絶して、逃げの道に全力ダッシュとか。

 神であった頃の年月も含めて、――何の成長もない自分が、心底面倒臭くて情けなぁあああい!!


『声に出てるわよぉ、お嬢さん』


「えっ? あ、あっ……、す、すみません』


 幸いな事に、それほど大きな声ではなかったらしく、遠くに見えるアレクさんのご両親や弟妹さん達は自分の仕事に集中しているようだ。……ほっ。


『恋の悩み、みたいねぇ?』


「ま、まぁ、……はい」


『いいわねぇ~。恋、甘酸っぱい響きだわ~』


 何を想像しているのか、ヴィオラディーヌさんはうっとりと目を輝かせている。

 まぁ、私も他人事だったら……、好奇心でわくわく状態になれるんですけども。

 四面楚歌な条件しか揃っていない自分の立場に遠い目をしながら、また乳搾りを再開させる。

 思い出すのは、アレクさんのお母さんが語りかけてくれた言葉。

 女性は、儚く脆く見えても、いつか強くなる事を覚え、大樹のように逞しくなる。

 どうすればそうなれるんだろう? どうすれば、弱い自分を変えていけるんだろう……。

 このまま……、アレクさんを好きになっていけば、その分、醜い心も膨らんでいってしまう。

 これが普通の人なら、ここまで悩む必要もない、と思うのだけど。

 自分の力が誰かを殺せると知っているから、余計に悩んでしまう。

 それに、……もし、強くなれたとして、結果的に待っているのは、アレクさんや他の人達を傷付ける最後。

 私の中で育まれているこの想いは、幸せをもたらしはしない。

 

「……う~んっ、う~んっ」


 でも、なかった事にするにしても、……本人に知られている以上、逃げ道は、ない。

 多分アレクさんの事だから、また話をしに来るだろうし、う~ん……。

 レイフィード叔父さん、……レイシュお兄様と話して決めた覚悟の件も知られているわけでっ。

 この最終日あたりに、説得イベントが来そうな予感も云々!!

 

『……大丈夫? お嬢さん』


 ヴィオラディーヌさんの心配そうな声で我に返ると、私はいつの間にか牧草地の中で頭を抱えて唸っていた。

 それだけでなく、彼女の話によると。


『一人で色々言いながら頭を振り乱したり、半泣きになっていたわよ~?』


 と。あぁ、恥ずかしい!!

 

「ユキ姫様、大丈夫ですか?」


「ユキ、何があった?」


「え?」


 心配して駆け寄って来てくれたアレクさんと、彼のお父さんに、私は大急ぎで笑顔を作って誤魔化しの体(てい)に入った。物凄く挙動不審な身振り手振り付きで!!

 どう聞いても無理のある言い訳を真面目な顔で聴きながら、アレクさんとお父さんは眉間の皺を深めていく。

 ……あ~、嘘だって見抜かれてる!! 残念な子を見るような目がっ、視線がっ。


「ユキ姫様……、休憩にしましょう。今、茶の支度をさせます」


「えっ、あ、あのっ」


「そういえば、菓子の類が切れていたな。父さん、急いで買ってくるから、ユキの事を頼む」


「わかった」


「い、いやいやっ!! だ、大丈夫ですから!! 休憩なんていりませんから!!」


 むしろ、後一時間くらいでお昼のはずだ。

 確かに少し疲れはしたけれど、このくらい全然大丈夫!!

 そう訴え続けて、何とか朝の小休憩は回避する事が出来たのだけど……。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「よぉ、ユキ! ようやく追いつい」


「去れ」


「……」


 そろそろ昼食の準備が終わるという頃の事。

 どこから情報を仕入れてきたのか、何故かボロボロ状態のカインさんがアレクさんのご実家に現れた。

 開けられた扉はすぐに閉められ、ガチャリと鍵が掛かった……。


「あ、あの、……今のカインさ」


「気のせいだ。何も見ていない。誰も来ていない。さぁ、昼食にしよう」


『待てごらあああああああああっ!! 開けろ!! 開けやがれぇえええっ!! ぶち破っちまうぞおぉおおっ!!』


 やっぱり見間違いじゃなかった。

 乱暴に扉を叩き、……いや、蹴ってる、蹴ってる!!

 本気でぶち破ってきそうな勢いで、カインさんが暴れん坊と化している!!


「あ、アレクさんっ、開けましょう!! せっかくここまで来てくれたんですから」


「……わかった。外に出て、あの邪魔者を排除してくる」


「どうしてそうなるんですか!! 意地悪をしないで、開けてあげてください!!」


 私が焦って抗議をすると、アレクさんが扉の向こうに冷たい視線を向けて、舌打ちを漏らした。

 本当に……、カインさんに対してだけは、相変わらず態度が酷いんですね、アレクさん。

 仕方なくの体(てい)で扉が開けられると、竜手を構えて攻撃態勢に入っていたカインさんがその姿勢を解き、ふんっと鼻を鳴らした。

 扉は開いたものの、閉め出したアレクさんに対する怒りは収まっていないらしい。

 カインさんの真紅の瞳がぎろりと剣呑な光を宿し、改めての第一声。


「ユキはテメェのモンじゃねぇだろうが……。卑怯者」


「貴様に許可を取る必要はない。帰れ」


「ユキ、番犬野郎に同意してここに来たのか?」


「え~と……、それは」


「ほらみろ。テメェが勝手に掻っ攫った挙句、監禁してるようなもんじゃねぇか」


 はいと言ってしまえば、私がアレクさんを選んだように解釈されてしまうかもしれない。

 そうなるとまた面倒な事に……。というわけで、言葉を濁してみたところ、結局面倒が起きる事に変わりはなかった。生まれた時から犬猿の仲と言わんばかりの様子で睨みあう二人。

 バチバチと激しく散る火花のイメージを感じながら頭を痛めていると、別の声が割って入った。


「カイン、少しだけという約束を忘れたのか? 無駄な事に時を使っていると、何も出来ずに終わるぞ」


「え? ――っ!! お、お父さ、……じゃなくて、ソルさん?」


 お父様、と言わなかったのは、キッチンの方からアレクさんのご家族が顔を出したからだ。

 カインさんの傍でその肩に手を置き、穏やかに微笑んでいるウォルヴァンシアの元騎士団長様。

 元副団長であったアレクさんのお父さんとは旧知の仲で、ご家族の人達も親しげに寄ってくる。


「ソルさ~ん!! 最近顔見せなかったけど、どこに行ってたの!? お土産期待しちゃってたんだけど!!」」


「ははっ、ほんの一ヶ月ぐらいの事だろう? いつも通りの所用だから、土産は当然なしだ」


「そんな~!!」


「そのかわり、茶請けの差し入れならあるぞ。ほら」


「あ~!! リコリアの限定ケーキぃいいい!! ソルさんありがとう~!! もう大好きっ!!」


 手渡されたケーキの箱を受け取ったシャルフィアさんが、子供のようにはしゃいでキッチンへと戻っていく。

 流石お父様……、相手を喜ばせるのが上手い。

 でも、どうしてカインさんと一緒に?


「ユキ、ソル様は普段、この町に住んでいるんだ。働いている親の代わりに子供を預かり、夕方まで世話をする施設をやっていて」


「あ、はい。知ってます」


 お父様と再会した翌日に、ちらりと聞いて知っている。

 面倒見の良い神(ひと)にはピッタリの職業だ。


「俺が所用で出掛けている時は、別の者に留守を任せている」


「こんな捻くれきった悪ガキを預かるとは……、ソル様の懐の広さには脱帽です」


「なわけねぇだろうが!!」


 こんな大きなお子さんは預かれませんとわかっているでしょうに。

 アレクさんは至極真面目に言って、カインさんからノリの良いツッコミを受ける事になった。


「ソル、それと、そっちの子も、良かったら昼食を食べて行くといい」


「あぁ、すまんな。邪魔をする」


 何故カインさんと一緒にいるのか、それを聞く前にお父様はアレクさんのお母さんからの誘いに頷き、中へと入ってきた。カインさんも、アレクさん以外には敵意を向けず、大人しくそれに続き入ってくる。

 

「カインさん、何があったんですか……? 服、ボロボロで、身体の方も」


「あぁ、これか。気にすんな。大した事じゃねぇから。それよりも……」


「はい?」


「番犬野郎と、何もなかっただろうな?」


「えっ?」


 物凄く、何かありました。私の心情的に!! と、言えるわけがない。

 ついこの前、盛大に怒られたばかりだというのに、……まさか、ここまで急激な変化が起こるとは、私も思っていなかったわけで。だらだらと冷や汗を背中に感じながら口をパクパクとさせている私の手を取り、カインさんがぐっと顔を近づけてくる。


「……後で話がある。二人だけでな」


「は、はい……っ」


 その場で怒鳴られるという怖い事態は避けられたけど、あぁ~……、また試練がっ。

 アレクさんは特に何も言わず、私がカインさんと二人で話す事に口を出す気はないようだけど……。

 本当に……、次から次へと悩み事ばかり。ゆっくりと心を休ませる暇もなし、と。

 まぁ、幸いな事に、昼食の席は和やかに進み、カインさんはアレクさんのご家族に嫌われる事なく受け入れてもらう事が出来た。小さな弟妹さん達にも懐かれていたし、本当に……、アレクさんと以外は、問題なし、と。

 ――そして。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「で? 何があったんだよ。俺には聞く権利があるだろ?」


「……と、特には、何も」


「嘘吐け。お前と番犬野郎との間にある空気が、この前よりも面倒なもんになってる事、隠せると思ってんのか?」


「……」


 どう説明すれば、いいのだろうか……。

 アレクさんに対して変わり始めた私の中の気持ち。

 イレアさんに対して抱いた、どろりとした醜い感情。やってしまった愚かな行為。

 自分に与えられた部屋で、ベッドの端に腰かけているカインさんの隣に座り、ぽつり、と、語り始める。


「先に……、昔の事を聞いて貰っても、いいですか?」


「あぁ。お前が話しやすいペースでいい。ちゃんと、受け止めてやるから」


「ありがとうございます……」


 怒っているはずなのに、酷く、焦っているはずなのに、カインさんは平常心を心掛けた顔で私を見下ろしてくる。


「私が、神の器に在った頃の話、です……。あの頃、私は……、今みたいに、二人の男性から、想いを向けられていました」


「……」


「私は、皆の事が大好きで……、誰か一人を、特別に想う事が出来ませんでした。一人を選べば、全てが壊れる、と……、恐れていたんです」


 身勝手で、我儘な、ズルイ私。

 その相手がアレクさんとルイヴェルさんだとは明かさずに、私は話を続ける。

 自分に訪れた変化、その想いが育つ事を恐れ、大切な人達を傷付けてしまった事がある、と。


「私は……、人を好きになる事が怖いんです。私の母は、あ、神様としてのお母さんの話なんですけど、大切な、愛する神(ひと)を亡くしてしまったせいで、心から苦しみ、最後には……、災厄の女神になってしまいました」


「……あの晩に見た、お前の母親の事か」


「はい。……私は、今でも、怖いと思っています。誰か一人を特別に想ってしまったら、いつか……、自分も狂ってしまうんじゃないか、って」


 少女期のせいだけじゃなくて、私は、元から臆病だったのだ。

 立ち向かうと誓っても、結局逃げてばかり。優柔不断で、今だって……、遠回しに話して、カインさんにどう話せばいいのか、わかっていない。

 アレクさんに対して抱くこの想い、イレアさんに対して抱いた醜さ、それが示す答えはひとつ。

 花ひらき始める前の蕾。開花直前。だけど、……その蕾を両手に包んで封じ込めようとしているのは、私の臆病な心。まったく同じ……。あの頃に、神で在った頃に覚えた気持ちと。

 その人に惹かれていると感じながら、逃げたいと望む自分。怖がりで、どうしようもない……。

 

「私は、片方の神様に……、特別な想いを、抱き始めました」


 私の蒼く長い髪をひと房手に取り弄っていたカインさんが、大きく息を呑む気配がした。


「そいつの事を、好きに、なったのか……?」


「多分、好きに、なりかけていたんだと、……思います。その神(ひと)に強く惹かれて、そのまま流れに身を任せていれば、きっと、愛に変わっていたと思うぐらいには」


「……」


「私は、自分の想いがそれ以上育つ事を恐れ、二人の神様を拒みました。その結果……、二人だけじゃなく、沢山の人を傷付け、悲しませる結果を招く事になりました」


「逃げたんだな……」


「はい……」


 誰かの言葉でそう言われると、改めて、自分の罪深さを思い知る。

 カインさんの声音が冷え切っていたわけじゃなくて、ただ、事実を静かに口にされただけ。

 彼の手が、膝の上にあった私の手を包み込み、先を促してくる。


「後悔ばかりです。……だから、今度こそ、逃げないようにって、強くなりたいって、そう思ってたんですけど」


「……」


「なかなか上手くいきません。この場から逃げ出さないだけで精一杯で……。今、抱えている気持ちも、どう扱っていいのか」


 それは、私が誰かに対して特別な想いを抱き始めていると、そう打ち明けているのも同然だった。

 私はカインさんの切なそうな顔を見上げ、困惑顔ではにかむ。

 

「……それは、俺とあの野郎、いや、誰に対してだ?」


「……惹かれている、と、そう思っては、います」


「誰に対してだって聞いてんだよ」


「……アレクさん、です」


「――っ!!」


 嘘を吐く事も、黙って逃げる事も、出来なかった。

 真剣に想ってくれるこの人を前に、偽りを口にする事は……。

 カインさんの表情が凍り付き、やがて……、怒りと悲しみをぐちゃぐちゃに溶かし込んだような気配が広がり。

 低い呻きの声が、漏れ出した。


「番犬野郎の事を……、好きになりかけてる、って事か?」


「……はい」


「もう、決めちまった、って事かよ」


「……私には、選ぶなんて大それた事は出来ません。ただ、……あの人に、惹かれている事は確かです」


 逃げるのと、本音を口にする事、そのどちらが、罪深いのだろうか。

 自分を想ってくれる人の顔が、どんどん辛いものへと変わっていくのを見つめながら、胸の痛みに耐える。

 

「ふざけんな……っ」


「カインさん……」


「まだ、まだ決まってねぇっ!! まだっ、あの野郎がお前の心を全部ものにしたわけじゃねぇっ!!」


「カインさん、あのっ、――痛っ!!」


 服越しに肩を爪が食い込む程に掴まれ、その必死な形相に懇願される。

 憎悪と焦り……、その奥には、子供のように頼りない、切ない想いが滲んでいて……。


「まだ、決まってないよな? 惹かれてるだけで、愛したわけじゃないだろ? なぁっ!!」


「それ、は……っ」


「お前はっ、ただ……、惹かれてるかもしれない、って、そう思ってるだけだ!! 番犬野郎に抱かれてぇとか、そう思ったわけじゃねぇだろっ」


「なっ!! なななななっ、何言ってるんですかっ!! そんな事っ、思った事なんかありませんっ!!」


 だ、抱かれるって……、つ、つまりは、そういう意味なわけでっ。

 アレクさんやカインさんにドキドキした事はあっても、付き合った後のあんな事やこんな事を考えた事なんて、一度もない!! というか、裸だって想像した事ないのにっ!!

 真っ赤な湯でダコ状態になった私は、状況も忘れてカインさんの胸や顔を連打で叩く。

 いくら自分が女性に慣れていて経験があるからって、デリカシーがないにも程がある!!


「大事な事だろうがっ」


「どこがですか!!」


「好きなら、本気で愛しちまったなら、抱きてぇとか、抱かれてぇとか、思うだろ。普通……」


「うっ……」


 そんな大人の世界、私にはまだまだ早いんですって!! 

 でも……、う~ん、だ、抱かれたい、とは、まだ、考えた事がなかったわけで……。

 つい、話の流れに乗って妄想を生んでしまった私は、アレクさんの裸を想像した時点で鼻血を出しそうな予感に襲われてしまった。大急ぎで妄想を打ち払う!!


「はぁ、はぁ……っ。は、早すぎますっ、そういうのはっ」


「お子様」


「ぐっ……!! しょ、少女期ですから!! 子供ですから!! 初恋もまだの、経験値ゼロですから!! ふんっ!!」


「それでいいんだよ」


「え?」


「お前はまだ……、ガキでいろよ。俺以外を選ぶぐらいなら……っ、ガキのまんまでいりゃいいんだよ!!」


 そんな、無茶な……。

 駄々っ子のように怒鳴りつけてくるカインさんにきつく抱き締められ、宥める事も出来ずに、悲しげな声で耳元に囁かれる。


「頼むから……、まだ、決めんなっ。まだ、まだ……、俺の事を好きになるまでは、ガキのままでっ」


「カインさん……」


「ようやく、……ようやく、会えたんだっ。それなの、にっ」


 その『ようやく』という部分に、奇妙な違和感を覚える。

 シルフィールに攫われ、記憶を失くしてから過ごしていた日々の事ではなく、もっと……、別の、長い、長い時を感じるような響き。

 私を抱き締め、話をしているのはカインさんであるはずなのに……。

 別の誰かの存在が彼に重なっているかのような、……気のせい、なのだろうか。

 

「アイツの傍に居過ぎたせいだ……っ」


「カインさ、――きゃっ」


 爆発寸前の憤った声と共に抱き上げられたかと思うと、私達の目の前に闇色の光が出現した。

 禍々しさを抱くその色と、……清らかさを感じさせる真紅と青の光がキラキラと螺旋を描きながら形を作っていく。地上の民が使う術式ではない、読み解く事の出来ない、不思議な紋様が集まった陣。

 

「これは……っ」


「勘違いだって、……気づかせてやる」


「カインさんっ、どういう事なんですか!? この陣はっ、――え?」


 何が起きているのか、異変の正体を突き止めようと彼の顔を見上げた私は、そこにないはずの色を見た。

 ――真紅ではなく、憎しみと悲しみに身を委ねた、暗い青の揺らめきを。


「ユキ……、俺が目を覚ましてやる。在るべき形に、戻すんだ」


「カイン、さん……? そ、その目。何で……っ」


 この人は、地上の民。神の気配は……、なかった、はず。

 微かに震えだした身体から、徐々に力が抜けていく。

 神の行使する術式に近しいと感じる、目の前の陣と、強大な力の気配。

 魔力ではなく、それは神が生まれながらに抱く力。

 私を腕に抱えながら、カインさんはその光へと飛び込んで行く。

 ここではない、別のどこかに飛ぶ為に……。


「ユキ!!」


 扉を蹴破り踏み込んで来たアレクさんの姿に、心が叫ぶ。

 あの人の所に行きたいと、自分が求めているのは、あのぬくもりなのだと。 

 だけど、アレクさんが力を使う前に私は光へと飲み込まれ、――そして。

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