第44話 それぞれの想い……。

 ――Side 幸希


「アレクぅうううううううう!! お前という奴はぁああああああああああっ!!」


「――ぐっ!!!!!!」


「アレクさぁああああんっ!?!?」


 目の前で起こった、突然の悲劇!!

 背後を取られたアレクさんが、華麗なるシャーマンスープレックスを決められたその瞬間。

 私は瞬きも出来ずに、しっかりと一部始終をこの目に焼き付けてしまった。

 ……この世界にプロレスという文化はなかったような気がするのだけど。

 アレクさんのお父さんが繰り出した技は、間違いなく、シャーマンスープレックス!

 それも、素人技じゃない……、プロ級の鮮やかさ!!

 日本に住んでいた時の事を思い出す。プロレスラーをやっていた近所のお兄さんが試合に招待してくれた、あの日の事を……。その時に見た光景と完全に一致していた。


「アレク……。ユキ姫様に対し、礼を欠くどころか……」


「と、父さん、俺の話を……」


「尊(たっと)き御身を、賊の如き野蛮さで攫ってくるとは何事だぁあああああっ!!」


  

 騎士団を辞めても、アレクさんのお父さんは根っからの熱き忠誠心の持ち主だ。

 王族や、自分より上の立場の人達に対する礼儀は絶対のもので、その在り様はアレクさんのお父さんの信念そのもの。……そして、今起きている、多大なる誤解の原因でもあった。

 説明しようと口を開く度に怒鳴られ、……あぁ、今度は蠍固めの刑に、

 本当に一体どこで覚えたんだろう。

 ……って、あ。傍観者になってる場合じゃなかった!

 苦しそうに呻いているアレクさんの傍に駆け寄り、激怒している彼のお父さんに制止の声をかける。


「やめてください!! 今日の里帰りは、わ、私が、無理を言って一緒について来ただけなんです!!」


「ユキ姫様……?」


「アレクさんのご家族がこの町で牧場をしているって聞いたんです! だ、だからっ」


「ユキ……」


 

 剥き出しになっている逞しい二の腕にしがみつきながら懇願する私を、アレクさんのお父さんが困惑を宿した瞳で見下ろしてくる。……嘘か、本当か、見定めようとするかのように。

 その真っ直ぐな視線を受け止め、粘り強く見つめ返し続けた結果……。


「……そういう事でしたら、仕方がありませんね」


 ぐったりとしているアレクさんの背中に乗ったまま、完全には納得していない気配で弱められていく力。

 アレクさんのお父さんが私の手をやんわりとした仕草で外し、ゆっくりと立ち上がる。


「家の方にどうぞ。大したおもてなしは出来ませんが、家族一同、ユキ姫様のお越しを心より歓迎いたします」


「ありがとうございます」


 多分、半分嘘なのはバレているのだろう。

 だけど、アレクさんのお父さんはこの場を私に譲り、恭しく一礼して家の中へと入って行った。

 残された私達は視線を交わし、ほっと息を吐く。


「……情けないところを見せた」


「事前に聞いてはいましたけど……、予想以上でしたね」


 なにせ、実家への帰省の話と、同行してほしいという懇願を受けたのは、今朝の事。

 それも、王都を出発してからの……、この町に至るまでの馬上での話。

 

『三日間……、どうか、俺と一緒に過ごしてほしい』


 何故、そんな事を言い出したのか……。

 最初に思い当たったのは、天上での……、シルフィールとの一件。

 全てが終わった時、私はレイシュお兄様と一緒に罰を受けると言った。

 それを、……アレクさんに、聞かれてしまったから。

 きっと、何故勝手に決めるのかと、身勝手だと……、責められると思っていたのだけど。


『俺の実家にいる間は、何もかも、忘れていてほしい』


 馬上で前を見据え、振り返る事なく紡がれた……、切なる懇願の声。

 アレクさんが望んでいるのは、私との穏やかな三日間。

 騎士と王兄姫、神、エリュセードに起きている重大事、……その全てを、忘れる。

 難しい注文だと思った。そんな事、出来るわけがない、と……。

 だけど、全てが終わったら……、もう、こんな風に一緒に過ごす事も出来なくなるのだと、そう思ったら。

 私は無意識にアレクさんの腰に絡めていた力を強め、『わかりました』……と、答えていた。

 

「家族を紹介する。行こう」


「はい」


 差し出された手にそっと温もりを預け、二人で歩き出す。

 ただの、アレクディースと幸希。今だけは、この三日間だけは……、それが、許される。

 



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 


「……あの子も、思い切った事をするわね」


「そう? 大胆な行動をする事にかけては、君の方が上手(うわて)だろう?」


「……嫌味?」


「ちょっとだけ、ね」


 幸希とアレクディースが目的の町に到着した頃。

 ウォルヴァンシアの国王レイフィードは、ようやく話が出来るまでに回復した王妃の許に足を運んでいた。

 大きなクッションを背に上半身を預けている彼女、――ウォルヴァンシア王妃、ルフェルディーナの不機嫌な視線に、レイフィードは含みのある笑顔で応える。

 今は自分の妻であり、天上に在った頃は……、想い合う恋人同士だった相手。

 エリュセードの御柱であり、アヴェルオードとイリュレイオスの姉である女神。

 フェルシアナの転生体である彼女との、久しぶりの……、落ち着いて過ごせるひととき。

 呪いから解放された彼女の額にキスをし、レイフィードはその手を自分の温もりで包み込む。


「天上にいた頃も、地上に転生してからも……、君は変わらない。誰が何を言っても、思ったように行動し、誰が止めても、無茶だと思う事に突進していく暴れ馬のようなところがある人だ」


「……あの子ほどじゃないわよ」


「そうかな? 僕には、よく似ているように思うけど」


「あの子は、……アヴェルオードの場合は、暴走すると自分のやってる事を自覚出来ないでしょうが。全然違うわ」


「なら、君の方が性質(たち)が悪いね。わかっていて、人を心配させるんだから」


 手の甲に落とした口付け。お互いに嫌味を言い合いながらも、触れ合っている温もりを嫌う事はない。

 笑みを崩す事のない夫に溜息を吐くと、ルフェルディーナは細くしなやかなもう片方の手を、彼の頬へと伸ばした。


「……神としての感覚でいえば、一瞬の事だったけど……、貴方や子供達にとっては、酷く辛い時間だったのよね?」


「君も……、僕が天上で眠りに就いてから、辛かったんだよね?」


「……ごめんなさい」


「……ごめんね」


 遠い昔……、アヴェルオードが嫉妬に狂い、十二の災厄を共鳴させてしまった、あの日。

 レイフィードはもうひとつの罪を犯した。

 妹神を、ユキを追い込み傷付けた男神達や、自分達を疎み続けてきたエリュセード神族を憎み、全てに背を向けて眠りに就いた。

 残された家族の事も……、心から愛した女神(フェルシアナ)が、どんな思いをするかも、何も、考えず。

 自分よりも、彼女が痛みを抱えて過ごした時間の方が、遥かに長い。

 

「……決心は、変わらないの?」


 レイフィードの温もりを受けながら、ルフェルディーナが辛そうに呟く。


「また、私を……、いいえ、子供達や大事な人達をおいて、逃げるの?」


「御柱の君が、僕の……、罪人(つみびと)の心を揺さぶるような事を言っちゃ駄目だろう?」


「……わかってるわ。でも、……番人達が罪を犯したのは、私達のせいでもあるのよ。ソリュ・フェイト様が滅びた後、私は……、全てを知っていながら、ファンドレアーラ様を守れなかった。貴方と、ユキ達を守る事も出来ず……、悪意に晒し続けた。裁かれるべきは、私達エリュセード神族の方だわ」


 愛する夫の胸に爪を立てるようにしがみつき、ルフェルディーナは悔しそうな呻き声を漏らす。

 彼女がレイフィードの神としての母であるファンドレアーラから話を聞かされたのは、やはり……、全てが手遅れになってからの事だったのだそうだ。

 エリュセードに侵攻した異界の軍勢、いや、災厄の分身達が滅びる際に放った『災厄の種』。

 そのひとつがファンドレアーラの体内に潜り込んだと、彼(か)の女神(ファンドレアーラ)が知ったのは……、孵化の時が迫った、手遅れの状態になってからだったという。

 最初は本当に、愛する夫神を失った為に塞ぎ込んでしまっていたファンドレアーラだったが、自身の身の内に災厄の種が根付いていると悟った時、彼女は御柱たるフェルシアナに後を託した。

 これから起こる悲劇を、エリュセードという世界と、神々にかけてしまうであろう迷惑を詫び、自分の家族を託し、災厄の女神となった……、母。

 何故、息子である自分に話してくれなかったのか……。やはり、実母を憎々しく思ってしまうのは、信頼して貰えなかったという悔しさがあるせいだろう。

 だが、もしも……、母が全てを自分に打ち明けていたら、どうなっていたのだろうか?

 災厄の女神となる未来を避けられず、事が終わった後……。

 恐らく、自分はエリュセード神族への憎悪を当時よりも募らせていたのではないだろうか?

 何も知らず、守られているだけのあの神々に……、母を貶められて、黙っている事は……。

 もしかしたら、それが原因で……、フェルシアナと仲違いをしていた可能性も、否定は出来なかった。

 母は、ユキと自分達を、この世界を守る為に……、全てを引き受けて変貌したのだ。

 その想いの全容を明かせば、『災厄の種』の魔の手から逃れられたとしても、今度はエリュセード神族達が、妹を、ユキを災いの根源として執拗に責め立てたに違いない。


「ねちっこい神々に対しては色々と恨みがあるけど、君や御柱、味方になってくれた神々に対しては、感謝しているよ。君達が庇ってくれていたお陰で、さらなる最悪の事態は避けられた」


「どこがよ……っ。私は、嫌っ。御柱としても、私自身としても、貴方とユキを裁くなんて……っ、絶対に!」


「それじゃ示しがつかないだろう? 御柱は、エリュセード神族の親であり、道標だ。責任を果たす義務がある」


「嫌!! 今度は絶対に、いいえ、今度こそ!! 私は、貴方とその家族を守ってみせるわ!! 誰が何を言っても、御柱としての信頼を失っても、私は――」


 激情に駆られ、御柱としての本分を投げ捨てようとしている妻の唇に、レイフィードは指先を添えて音を封じた。涙に潤む深緑を見つめ、彼女の想いに抱かれたいと願う自身の心を抑え込み……、首を振る。


「あの子達に番人の責を任せたのは、僕だ……。残された者の事を考えず、衝動に身を任せた。そのせいで、君とアヴェルオード、欠片を抱いた神々は眠りに就き……。地上にも、償いきれない程の被害を出してしまった」


「眷属の罪は親神の罪だと言うんでしょう? でもねっ、あの道を選んだのは、選ばせてしまったのは、エリュセード神族の、私達の咎なのよ!! 自分達だけが償えばいいなんて、身勝手だわ!!」


「……君がそう言ってくれる事も、全部わかっていたよ。だけどね、僕達を疎み続けた神々が、大人しく君の言う事を聞いて、自分の罪を認めると思う? あのふてぶてしい神々の事だから、僕達が御柱達を誑かしたとか、そんな風に考えるだろう……。そして、僕達に温情をかければ、新たな火種が根付くのは、目に見えている」


 溜まりに溜まった不満と憎悪が爆発した時、子が親を喰らう瞬間が訪れる。

 そんな事になれば、新たな悲劇が起こり……、最悪の場合、御柱と、その側に立つ神々が不満を抱える者達と争い、この世界がどうなるかは考えるまでもない。

 だから、その最悪の未来を回避する為に……、レイフィードは、裁きを受ける。


「嫌、……嫌っ」


「愛する女性を悲しませる上に、その手を下せと命じる僕は最低の男だと思うよ。だけどね、たとえ僕の父であるソリュ・フェイト神がエリュセード神族を黙らせたとしても、見えないところで不満や怒りの情は膨らみ続けるんだよ。そして、必ず、……その脅威がこの世界を襲う時がくる」


「させないわ……!! どんなに時がかかっても、私達が、私がっ、皆を納得させてみせる!!」


「その前に、このエリュセードが滅びてしまうよ?」


「――っ」


 君が選ぶべきは、愛する男とその家族を逃がす道じゃない。

 レイフィードはルフェルディーナの震える温もりを抱きながら、彼女の柔らかな水銀髪の髪をひと房指先に絡め、優しい口づけを落とす。

 

「君が……、僕の愛する人達が幸せでいてくれるなら、幾らでも罪を背負うよ」


「レイ……っ」


 どんな言葉を重ねても、どれほど深く、溢れるほどの想いを注いでも、レイフィードの心が変わる事はない。

 ルフェルディーナは悲しみの涙で頬を濡らしながら、そう悟ったのだろう。

 

「馬鹿……、馬鹿っ」


「大丈夫だよ。たとえ、神器と神花を砕かれ、永遠にそれを繰り返す時の流れに身を置いたとしても……。僕の心は、君だけのものだ」


「こんな時に愛を語られても……っ、腹が立つだけよ……!!」


 愛する女神(ひと)が、永久(とわ)に幸せでありますように。

 愛する人々が、愛する、この世界が……、永遠に、続きますように。

 胸を弱々しい力で叩かれながら、レイフィードは寂しげな笑みを湛えてルフェルディーナの動きを抑え込み、その悲しみに震える唇へと、そっと愛の証を重ねたのだった。

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