第35話 セレネフィオーラ

 ――Side 幸希


「俺の故郷であるはじまりの世界は、俺を始めとする十二の神々がひとつの世界を治めていた。今でこそ、神々が治める世界は数多あるが、当時はひとつの世界しか存在していなかった。お前も知っているだろう?」


「はい。とても美しい平穏な世界で、だけど……、何かの理由で滅びてしまったのだと」


「……その滅びに関わっていたのが、セレネフィオーラという女神だ」


 お父様の声音に宿る……、悲しそうな響き。

 かつて、はじまりの世界を守護していたお父様達は、地上に生じたある異変と直面する事になったらしい。十二神の一人、ガルヴァという神様の地に現れた、巨大な赤い石。

 それが元凶となり、その地に住まう人々の記憶に悪い影響を与え、血に塗れた争いを引き起こしてしまった。事態はすぐに収拾されたけれど、十二の神々が集う大神殿に納められたその赤い石こそが、――後(のち)にセレネフィオーラと名付けられる女神の卵だったらしい。

 

「ガルヴァの地で起きた異変からすぐ、今度は別の神の地でまた異変が起きた。赤い石が元凶となり生じた騒動よりも大きな、狂わされた民の争い……。それに関わっていたのは、その地を守護する神、リュシン・フレイスに献上された指輪にあしらわれていた青い石だった」


 青い石が生み出した瘴気に汚染された地上の民は、自我さえ狂わされて互いを傷付けあった。

 自身が味わう苦痛さえ悦びだというように……、神の声さえ聞こえなかった人々。

 お父様達がその騒動を鎮めはしたものの、被害は甚大だった。

 そして、元凶となった青い石から、新しい神が生まれた。

 セレネフィオーラよりも先に生まれた、――レガフィオールという男神。

 最初から大人の姿で生まれた十二神達とは違い、赤ん坊の姿で生まれた男の子。

 

「地上に起きた異変は、新たな神が生じた為に起きたものだった。十二神の中には、レガフィオールを封じてしまえと主張する者もいたが……。新たな神を導き、地上を繁栄させる手助けが出来るように育てる事もひとつの償いだろうと思う者が多く、レガフィオールは俺が手元で育てる事になった」


 そして、レガフィオールという男の子が普通の子供と同じように成長し、五歳になった年。

 大神殿において沈黙を守っていた赤い石から、第二の新たな神が生まれた。

 それが、――セレネフィオーラという女の子。

 柔らかでふわふわとした長い黒髪と、真紅の瞳を抱く女神。

 

「セレネフィオーラは、十二神の一人、トワイ・リーフェルの許で教育される事となった。レガフィオールと同じように、純粋で、好奇心旺盛で素直な娘だった……」


 世界の導きにより生まれた神々は、たとえ神の器と神花を破壊されても、またいずれ還ってくる。

 でも、だとしたら……、はじまりの世界を守護していた十二神や、その世界の滅びに関わったというセレネフィオーラは、今どこにいるのだろうか。

 過去形で話すお父様にどこか違和感を覚えながら、私は話の続きに耳を傾ける。


「二人が生まれてから、千年程経った頃の事だ。その時にはもう、レガフィオールとセレネフィオーラも、人間でいうところの十代半ばほどの姿になっていてな。自分達の力に振り回される事も、誰かを傷付ける事もなかった」


 十二の神々に見守られ、すくすくと幸せな時の流れの中で育った二人。

 レガフィオールとセレネフィオーラは、自分達が誕生する際に犠牲となった命に償うべく、彼らに授けられる二度目の生が必ず幸福なものであるようにと、祝福の加護を授けた。


「神の誕生は、強大な力が渦巻いて生じるようなものだ。影響の大小に関わらず、世界に及ぼすそれは、良くも悪くも必然的なものとなる。レガフィオールとセレネフィオーラが自分達の意思に関わらず、地上の民を犠牲にしてしまったようにな」


「お父様達の時も、ですか?」


「ん? あぁ、俺達の時は条件が違う。何もない混沌とした闇の中で生まれ、無から有を生み出していったからな。傷付けようにも、その対象となる命が周囲にない。だが……、あぁ、そういえば、十二神の力が荒れ狂って、神同士でぶつかり合う事はよくあったな」


 今では珍しい事でもないけれど、犠牲を出して生まれた最初の神々……、それが、レガフィオールとセレネフィオーラ。

 二人は成長と共にはじまりの世界を愛し、地上の民や数多の命を愛し、彼らの為にその力を揮うようになったという。自分達が傷付けてしまった悲しみを凌ぐ幸福を、残された者達や生まれ変わった者達に降り注がせるように。

 

「まぁ、レガフィオールの方は反抗期もあったが、成長を経て落ち着いてくれるようになった。セレネフィオーラと協力して、率先して地上の民の相談に乗ったり、自分達から問題ごとに首を突っ込んだり」


 そんな二人を、十二の神々は良い子に育ってくれたと、満足そうに見守っていた。

 神としての自覚と、その真っすぐな志し。この二人なら、間違いを起こさずに世界を愛し続けてくれるだろう。……そう、誰もが信じ、果てのない永遠の幸福を思い描いていた。


「だが、セレネフィオーラの身に起こった異変をきっかけに、はじまりの世界は滅びへと向かい始めた」


「……」


「ある晩の事だ。セレネフィオーラは自分だけに聞こえた不思議な声を頼りに、地上へと向かった。父と慕うトワイ・リーフェルと共にな。だが、そこで……」


 セレネフィオーラは、地上にある山の奥深くで……、ある存在と出会ってしまった。

 瘴気よりも恐ろしい、……はじまりの世界に生じた、不穏を抱く『種』と。

 山の中でトワイ・リーフェルという神様とはぐれてしまった彼女は、泉のある場所でその『種』と出会い、害されそうになったところを寸でのところで救い出された。――けれど。


「その時は、窮地を脱したと安堵していた。だが、セレネフィオーラは気付いていなかった。――災厄の種の『母胎』とされてしまった事を」


「母胎……」


「神の器を介して生まれる存在……。『種』としてでは意味がなく、『母胎』を得る事によって形を持つ、破滅をもたらす存在(もの)」


 セレネフィオーラの中に潜り込んだ『種』。

 それは、長い時をかけて自分の命を育み……、やがて、彼女の影より産声を上げるに至った。

 それが、このエリュセードに侵攻してきた、軍勢の核たる者の正体。

 セレネフィオーラの身より生まれ出でた災厄。……母胎となった、女神。

 

「……じゃあ、セレネフィオーラは、災厄にとって……、母とも呼べる存在、という事、ですよね」


「そうだ。災厄を育み生み出してしまった事により、セレネフィオーラの存在も変質し始めた。神としての力が侵食され、自身の半分が災厄を抱く影を抱いた」


「そんな……っ」


「そして、ようやく誕生に至った災厄は、その力を高める為にもうひとつの器に狙いを定めた。それが、瘴気を生む力を抱いていた、レガフィオールだ」


 セレネフィオーラから生まれた災厄は、彼女と同じ姿をした少女だったそうだ。

 災厄の少女は地上へと根を張り、あらゆる命を腐敗させ始めた……。

 けれど、まだ生まれたばかりだった為か、はじまりの世界を全て侵食する為には力が足りず、瘴気の力を操る事の出来るレガフィオールを狙い、その身体を乗っ取るに至った。

 災厄を生む際に疲弊し、神としての清廉さを穢され、その力の半分を破滅の力に侵食されたセレネフィオーラ。彼女は辛い状態にも関わらずレガフィオールの許に向かい、十二の神々と共に災厄と戦ったという。


「レガフィオールを救い出し、災厄を消し去る為に戦い続けたが……。世界の崩壊は現実のものとなってしまった。十二の神々は疲弊し、最後には……、俺を守る為に力を注ぎ、斃(たお)れた」


 はじまりの世界が災厄の力によって満たされ、終焉の時が訪れた瞬間。

 お父様は自分以外の神々によって守られ、世界の外へと吹き飛ばされた。

 そして……、どれだけの時が経ったのか、お父様が目を覚ました時には……。


「はじまりの世界の外には、別の世界など存在していないはずだった。だが、俺は新たに生まれた世界の中で目を覚まし、自分の故郷が滅びた事を知った……」


「お父様……」


「随分と長い間眠っていた俺の知らぬ間に、数え切れぬ程の世界が生まれ、見知らぬ神々が誕生していた。……そして、どれだけ探し回っても、俺の故郷は見つからなかった」


 災厄の影響で滅びの道を辿っていたはじまりの世界……。

 浄化する者や導く者がいなくなったあの世界がどうなったのか……。

 その脈動を感じ取る事の出来なかったお父様は、世界が滅び去った事を悟った。

 

「十二神の皆さんや、レガフィオールさん、それから、セレネフィオーラさん達は……」


 お父様は悲しげな笑みを零し、一度私の身体を強く抱き締めた。

 

「大丈夫だ……、と、そうは言えないな。あの世界に在った命は全て、俺達十二神の力で肉体から切り離し、外へと逃がしたが……。皆(みな)、一度死んでしまった。俺以外の、皆(みな)……」


 外の世界を漂っていた魂は、新たに生まれた世界に導かれ生まれ変わった。

 消滅を強いられずに救われた部分もある。けれど……、はじまりの世界で生きていた彼らの生は、終わってしまった。絶望の記憶をその魂に刻んで……。


「外の世界に生まれた新たな息吹、その世界を守護する神々は……、俺の事を原初の父と呼ぶ。こんな……、何も守れずに、守護していた世界を滅ぼしてしまった……、俺のような者を」


「お父様は……、十二の神々として、世界の為に戦ったんでしょう? 必死になって、皆を救おうと……っ」


「だが、結局何一つ救う事は出来ず、俺だけが生き残った……。神でありながら、自身の死を願う程に……、当時の俺が抱いた絶望は深く、苦痛と後悔に満ちていた」


 過去を詳しくは語ろうとしなかったお父様が見せてくれた、――本音(弱さ)。

 全く知らない世界で目覚め、状況を把握した時のお父様がどんなに辛かったか……。

 温もりを通して伝わってくる微かな震えが、当時の事を物語る。


「二度と、俺の故郷に起きた悲劇を繰り返させたくはない。そう決意して世界を巡る旅路の中、俺はお前の母、ファンドレアーラと出会った。自身の力を上手く扱えず、絶望に支配されながらも必死に生きていた彼女に」

 

 そして、二人は愛し合い……、後(のち)に、私とレイシュお兄様が生まれた。

 

「ひとつの世界を滅ぼしてしまった俺に、幸せなど分不相応だと思っていたんだがな……。結局、どんなに悩んでも、目を背けようとしても、俺はファンドレアーラを愛さずにはいられなかった。出会うべくして出会った、唯一人の伴侶だと、そう魂が叫び続けていたからな」


「お母様にとっても、同じだったんでしょうね。辛い境遇の中、自分の手を取って光の中に引き上げてくれたお父様と出会えたお陰で、お母様は幸せを見つける事が出来た……」


「幸せを貰っていたのは、俺の方だと思うが?」


「だから、同じなんですよ。天上で暮らしていた頃、お母様はいつも語って聞かせてくれていました。お父様と一緒にいると、絶望も不幸も、何もかも小さなものに思えてくる。嫌なものを全部吹き飛ばしてくれる頼もしさがある、って」


「……そうか」


 少しだけ身動ぎをしながら、お父様が照れ臭そうに視線を彷徨わせた。

 その表情が何だか可愛らしくて、今でも二人が深く想い合っているのだと安心させて貰える。

 愛する人といれば、何も怖いものなどない。何にだって、立ち向かっていける。

 そんな両親の関係性が、私は大好きで羨ましかった。

 

「……また、皆で仲良く笑い合える日が来ますよね?」


「当然だ。俺が目覚めた以上、災厄の好きにはさせん。だから、安心して構えていろ。ふふ、お父様は無敵だからな。今度はもう負けんぞ」


「ふふ、そうですね……」


 お母様、必ず……、必ず、災厄の呪縛から救い出してみせます。

 お父様と一緒に、皆と一緒に、また家族全員で笑い合える日を迎える為に、私も、私に出来る事を全力で頑張りますから。だから……、もう一度。


「……ところで、セレネフィオーラという女神様の事はわかりましたけど」


「……」


「どうして……、災厄はその名前を言い残していったんでしょうか?」


 母胎としての意味があるのはわかったけれど、……結局、私達に対してそう言い残した意味は一体。ううん、それよりも、災厄が言い残したもうひとつの言葉。


『ふふ、――あの真実を、貴女はいつ知る事になるのかしらねぇ?』


 私にとっての真実、という意味があったように思える、災厄の囁き。

 俯いて悩んでいた顔を上げると、お父様が何だか面白そうな百面相をやっていた。


「お父様?」


「う~ん、う~ん……」


「お父様~?」


「むぐっ! 痛たたた」


 あ、これは絶対に誤魔化される。

 瞬時に悟った私はお父様の頬をグニグニと両手に掴んで引っ張り、ちゃんと最後まで話すようにお願いした。正直言って、物凄く眠い。さっさと寝てしまいたい。

 だけど、また忙しくなるこれからを考えると、今聞いておくに越した事はない。


「まぁ、……災厄が揺さぶりをかけてきた時点で、手札に使われるよりはマシ、か」


「……」


「ユキ、予め言っておくが……、お前は、俺とファンドレアーラの娘だ。大切に愛し、育んできた、自慢の娘だ。それを頭に入れておけ」


「はい……」


 何となくだけど、今自分の中にある情報を全て繋ぎ合わせた結果、ひとつの真実が見えたような気がしている。災厄が私に対して向けていた感情や囁きの意味。

 お父様が話してくれた過去の出来事や、今のわかりやすい前置き……。

 深呼吸の後、口を開こうとしたお父様の先手を打って、私は口を挟んだ。


「私が、セレネフィオーラ本人、という事なんですね?」


「……あのな、人がせっかく心の準備をして重大な事実を告げようとした矢先に出鼻を挫くな。お父様の立場がないだろう?」


「わかりやすい前置きをしたお父様が悪いと思います。……で、否定しないという事は、正解なんですね?」


 今の自分の立場や過去にだって押し潰されそうな時があるというのに、また重い事実が出てきてしまった……。それも、災厄の『種』を宿して、孵化させてしまったのが自分……、だなんて。

 

「胃が痛いです……」


 一万年ぐらい引き籠って寝込みたいくらいに……。漢方、漢方がほしい……っ。

 多分、お父様としては、私に伝えずにいられるならそれでもいいと思っていたはず。

 だけど、塔の地下で私が災厄から揺さぶりをかけられてしまったから、また対峙した時に心を乱されないようにと打ち明ける気になってくれたのだろう。

 

「災厄と対峙した際、俺達はレガフィオールとセレネフィオーラの魂を肉体から切り離した。だが、二人とも災厄の侵食と疲弊が激しく、深い眠りへと就いた」


「そして、また新しい器を得て生まれ変わった。それが、ユキとしての私なんですね?」


「俺とファンドレアーラが愛し合い、新たに育んだ命。お前はセレネフィオーラの魂も有しているが、実際は二つの魂が融合して生まれた存在だ」


 あくまで、偶然の果てに再び生まれて来たのだと、お父様はそう語る。

 ただ、それによってセレネフィオーラの魂は新しい器を得ると同時に、十二神の一人であるお父様の力を受け継いだ無垢なる魂と溶け合い、より強い神となって誕生した。

 だから、私はお父様達の娘であるユキであり、また、セレネフィオーラでもある。


「何だか……、本当に胃薬が欲しくなってきました。ついでに、頭痛薬も」


「はっはっはっ。まぁ、そう難しく考えるな。お前は俺とファンドレアーラの愛娘だと言っただろう? そして、今はウォルヴァンシアの王兄姫だ。どのお前も、お前に変わりはない」


 いえいえっ。流石に自分三人前把握は頭が追いつきませんよ、お父様!

 幸希とユキ、それから、セレネフィオーラ。あぁ、あと、キャンディだった時もあったなぁ。

 まぁ、どれも私である事に変わりはないから、お父様の言う通りなのだろうけどもっ。

 これでセレネフィオーラ時代の記憶まで蘇ったりすると、……うん、間違いなく寝込む。

 記憶の把握と、当時のトラウマが一斉に押し寄せてきて……、知恵熱は確実っ。

 だけど、お父様は昔の記憶を、セレネフィオーラの記憶を戻す必要はないと言い含めてくる。

 その時の記憶があると、災厄と対峙した際に感情が引き摺られて錯乱するかもしれないから、と。


「大体、セレネフィオーラとしての記憶を戻したりしたら、俺の父親としての立場が危うくなるだろうが……」


「え?」


「いや、何でもない。ふあぁぁぁ……、さて、寝るか」


「お父様~? 父親としての立場が危うくなるって、どういう事なんですか? ……もう寝てる」


 拗ねたように唸ったお父様はあっという間に眠ってしまい、結局その意味は聞けずに終わってしまうのだった。

 そして、部屋を訪ねて来たレイフィード叔父さんが親子水入らずの図を見てしまい、朝から王宮中に轟くような怒り満載の絶叫をあげてしまうまで……、あと、数時間。

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