第34話 父との夜

 ――Side 幸希


「はぁ……、疲れた~」


 延々とカインさんにアレクさんとの事で無防備だ何だと怒られ続けた二時間。

 私はようやく自分の部屋付近へと戻って来る事が出来た。

 余裕で日付を越えた深夜の時間帯。後はもうベッドにダイブして眠るだけだ。

 回廊の手摺りに掴まって下を向きながら、よろよろと進む道のり。

 もうすぐ、もうすぐ部屋に辿り着く。大忙しだった一日がようやく終わる。

 あぁ、今から何時間寝られるかなぁ……。朝、ちゃんと起きられるかなぁ……。

 と、安心感半分、不安半分で自分の部屋の扉を開けた私は、目を点にしてしまった。


「遅かったな。子供はもう夢の中で遊んでいる時間だぞ?」


「お、お父様!?」


 大きなテディ・ベアのぬいぐるみを枕元に据え、まるで自分の部屋で寛いでいるかのようにゆったりとベッドのクッションに背中を預けて本を読んでいる男性。

 その人が私に向かって小さく手を振っている。再会を果たしたばかりの、私の神としての父親。ソリュ・フェイトだ。

 そういえば、後で私の部屋を訪ねると言っていた気がするけれど……。


「災厄の件がありましたから、てっきりもう来ないと思っていました」


「大切な愛娘との約束を破るはずがないだろう?」


「……そう、ですね。お父様は昔から、約束は絶対に守ってくれる人でした」


 遠い昔、異界からの軍勢と戦う為に天上を後にしたお父様。

 あの時、私と交わした約束は、ようやく果たされた。

 はじまりの十二神・ソリュ・フェイト。私達の大切な、たった一人の、お父様。

 起きてしまった悲劇や不幸はなくならない。けれど、確かに……、この人は私達の許に帰って来てくれた。


「お母様も、お父様に会いたくて、ずっと、ずっと……、待っていたんです」


「……知っている。俺が消えた後、ファンドレアーラやお前達の身に起きた事は、全て。神としての記憶が戻った時、この世界の記憶を読んだからな」


 自分の死を引き金に、愛する人の身に起こった悲劇。

 お母様を深く愛していた、いや、今も愛し続けているお父様がそれを知って悲しまないわけもなく……。私は促された寝床の中に入り、幼い頃そうしていたようにお父様の腕の中に収まった。


「俺のせいで……、ファンドレアーラだけでなく、お前達にまで辛い思いを重ねさせてしまったな」


「……お母様を救えなくて、ごめんなさい」


「謝るな。ファンドレアーラを狂わせたのは俺だ……。異界の軍勢を完全に仕留めきれなかった俺の罪。だが、そのままで終わらせる気はない。ファンドレアーラは、俺が救い出す」


 災厄の女神となり、十二の災厄に魂を封じられたお母様を……。

 それを望んでいたはずなのに……、ずっと、ずっと、その言葉を待っていたはず、なのに。

 また、お父様に何かあったらと思うと……。

 

「案じる事はない。これでも、記憶を取り戻してから色々と動いていたからな。ファンドレアーラを救う際も、様々なものに力を借りるつもりだ。だから、安心しろ」


「一応、信用はしておきますけど、あの、お父様はいつから、神として覚醒していたんですか? 何か事情があって気配を消していたんだとは思っていますけど……」


「アレクとルディーに騎士団を預ける少し前の事だ。それまでの俺はイリューヴェル皇家の血を巡り続け、何度も転生を繰り返した」


 何故、イリューヴェル皇家の血筋に生まれ変わり続けていたのか……。

 それを尋ねてみると、私が知らずにいた事実が出てきた。

 イリューヴェル皇家の血筋は元々、お父様が予め用意しておいた『神殻』の力を宿した存在。

 地上のどの器よりも強固な、神の魂を守る殻(から)。

 同時に、その血筋を巡り転生する度に、神の魂を強化し、力を強めていく作用があるのだという。


「お父様は……、自分が死ぬ事をわかっていたという事ですか?」


「あくまで、万が一の為だったんだがな……。だが、現に俺は死に、永い時を巡る羽目になった。俺と同じように、力を蓄え、機を待っている『災厄』を凌ぐ力を得る為に」


「どういう事、ですか……?」


 お父様が意味深に、確かな力を持って口に出した『災厄』という言葉。

 地上へと持ち出され、異空間に封じられた『ディオノアードの鏡』。

 そして、天上の神殿に封じられている、残り十一の災厄。

 その事を一纏めに言っているのかと思ったけれど、……何かが違う気がした。

 不安に揺らめく私の心を感じ取ったお父様が、表情を緩めて笑みを作る。


「それに関してはまた後日。皆(みな)が揃った時に話そう。――それよりも、久しぶりに再会を果たした愛娘に、ひとつ聞きたい事があるんだがな?」


「え?」


「俺がイリューヴェルの血筋の中で眠っている間に、お前に手を出してきた怖いもの知らず達がいるようだが……。さて、今後お前の父として、どう対応すべきか」


「お、お父様……っ」


 顔はニッコリ笑顔だけど、私の視界に映っているお父様の真紅の双眸は、どこからどう見ても怖い事を考えている過保護な父親の気配だった。

 そういえば、エリュセードの記憶を読んだと言っていたから……、あぁっ、アヴェルオード様とルイヴェルさんとの間で起きた事も把握されているという事でっ。

 

「え、えーと……、あの」


「アヴェルオード、ルイヴェル、……そして、今はアレクとカイン、か。母親に似てモテるのは結構な事だが、随分と困っているようだな?」


「い、いえいえいえいえ!! わ、私が優柔不断過ぎてっ、み、皆さんにご迷惑をかけてばかりなのでっ!! あ、あのっ、わ、悪いのは私なんですよ!! というかっ、一体どこからどこまで把握してるんですかっ!!」


「漏れがあっては困るからな」


「つまり……、ぜ、全部……?」


「全てではないが、うん、ある程度は把握しているぞ」


「ち、父親だからって、娘のプライベートを盗み見しないで下さいよ!!」


 お父様の方に身体を向けてその胸を叩くと、返ってくるのは謝罪でもなく朗らかな笑い声。

 昔と変わらない、幸せだった頃の……、大好きなお父様の笑顔。

 怒る私の頭を撫でながら、お父様が言う。


「仕方がないだろう? 神としての目覚めを迎えた時……、ファンドレアーラだけでなく、子供のお前やレイシュまでもが天上を去っていたんだ。悲しみの中で眠りに就いた娘の事を心配し様子を見てしまう父の気持ちも、少しは考えてほしいものなんだがな?」


「……ごめんなさい」


 お父様が一度滅んだあの時、私が苦しんだように……。お父様も、同じように胸を痛めてくれていたのだ。そして、大切な家族を失った世界で一人、置き去りにされてしまったようなもの。

 

「ごめんなさい、お父様……っ。でも、もう二度と、……二度と、絶対に、逃げませんっ。約束します」


「人も神も、逃げを選ばずに生きていけるほど、強くはない。だが、逃げの中で自身の弱さを認め、それを受け入れる事で、自身にとって恐れるものに挑む強さを得(う)る事も出来るだろう。永い時を経て、お前が自分の弱さと向き合う勇気を手に入れたように」


 逃げを選ぶという事は、時に自分だけの問題ではなく、周囲の者達を巻き込み傷付け苦しませてしまう事もある。その咎を、逃避の先でも決して忘れてはならない。

 声を低めて厳しい目をしたお父様に、私はしっかりと頷きを返す。


「まだ、私は弱いままです。お父様を失って狂ってしまったお母様のように、自分もそうなるかもしれないと思う度に、怖くて怖くて……。でも、それじゃ昔と変わらない。弱い自分と一緒に泣いているだけ。だから、怖くても、足が竦んでも、私は前に進みます。そう、決めました」


 失敗する事も、自分や誰かが傷つく事も、全て覚悟の上で進む。

 臆病な自分の弱さを胸に抱きながら、一歩、一歩、私は光を求めて歩んでいく。

 

「とは言っても……、亀の歩み、なんですけどね。ははっ……、はぁ」


「お前の恋路は中々に面倒そうだからなぁ。加えて、今のお前は狼王族の少女期……。神の器に在った頃よりも心が定まり難くなっている。それは自分でもわかっているだろう?」


「はい……。まぁ、私がどんなに気合を入れたところで、時が解決してくれるとしか言い様がないので、私に出来るのは、二人の想いから目を逸らさずに向き合い続ける事、ぐらいなんですけどね」


「だが、その時が訪れるまでには苦労が多い、と。そんなところか」


 苦労、というか……、アレクさんとカインさんからのアプローチに胸がドキドキし過ぎて、さらに自分の心がわからなくなってきている、というのが現状だ。

 二人と向き合い、一緒に過ごす時間の中で見えた、様々な表情(かお)。

 知れば知る程に、アレクさんとカインさんの事を大切に想う気持ちが深まっていく。

 そして、……今の私は、アレクさんの方に心が傾き始めている。そんな気がしていて……。

 その事についてはカインさんも気付いていて、さっきの二時間でたっぷりと怒られてしまった。

 アレクさんと一緒にいる時間を持つのなら、自分とも同じくらいの時間を寄越せ、と。

 私はお父様にその事を打ち明け、また前を向いた。


「でも、……気付いたんです。私が今アレクさんに抱いている変化し始めた心は、以前にも覚えがあるものだと」


 それは、幸希として生まれる前の事……。

 地上で出会った異界からの神、……ルイヴェルさんと出会い、彼が天上へと住まうようになってからの話。騒動も多かったけれど、皆で過ごす日々はとても楽しかった。

 レイシュお兄様がいて、アヴェルオード様達がいて……。


「あの時も同じでした。一方に対する想いを胸の奥で強めてしまった私は……、これ以上先に進む事を恐れてある決断をしたんです。……誰も、誰も、好きになる気はない。だから」


 自分への想いは忘れてほしい。そんな弱さを、訪ねて来たルイヴェルさんにぶつけてしまった瞬間、全てが壊れてしまった。

 逃げる事を許さないと怒ったルイヴェルさんと、その現場を見てしまったアヴェルオード様の暴走。二人の想いから逃げた私が招いた、恐ろしい結果。


「一度逃げたからこそ……、もう、繰り返したくはありません。だから、アレクさんに対して覚えたこの心も否定せず、二人に向き合い続けていこうと思います」


「二人に、か……。ルイヴェルの方はいいのか?」


「……向き合いたいのは、山々なんですけど」


 肝心の覚醒した御本人様が、そんな必要はないとばかりに保護者ポジションに徹しているので、どうにも出来ないんですよ~……。

 私が誰も選べないと感情をぶつけたあの晩の事について深く触れる事はせず、今まで通りの顔で接してくるルイヴェルさん。

 本音を隠したり、読めなくさせる事は上手そうだけど……、あれは、そういうのじゃないと思う。

 今のルイヴェルさんは本当に、私に対して恋愛感情の類が存在していないのだ。

 だから、覚醒しても冷静さを保てているし、アレクさんに対しても普通に接する事が出来ている。

 神で在った頃の記憶を持ちながら、私達への接し方だけが変わらない人……。

 それは恐らく、――ルイヴェルさんが自分の中に在った想いを封じてしまったから。

 愛しい者への恋情故に狂いかけた神や、想いが叶わずに心が壊れそうになってしまった神が縋るひとつの手段。その道を選んでしまった神は、救いと同時に……、永遠に満たされる事のない空虚を抱く。……そういう神もいるのだと、私はお父様から聞いた事があった。

 

「ルイヴェルさんの事は……、暫くそっとしておこうと思っています。少なくとも、災厄との戦いが終わって、エリュセードが平穏を取り戻すまでは」


「そうか……」


「はい。……それに、迂闊に踏み込んでしまうと、……とても恐ろしい事が待っているような気がするので」


 大魔王様に体当たりでぶつかっていくなんて、万全の状態でもないと無理!!

 お父様もエリュセードの記憶を読んだ際に把握しているのか、「そうだなぁ、災厄の前に面倒ないざこざは勘弁だ。はっはっはっ」と、若干遠い目をしているしっ。

 お父様にむぎゅぅっと抱き締められながら、二人で同時に溜息を吐く。


「「はぁ~……」」


 大魔王、起こすべからず。

 頭の上に顎を乗せたお父様と私の声が重なる。

 

「まぁ、お前の恋愛事は置いておくとして……、今夜は親子水入らずでゆっくりと眠るとするか」


「お父様と一緒に寝るのって、何十万年ぶりですかね……。ん? でも、何百万年ぶりっていう方が正しいかも……。あ、寝る前にひとつ質問なんですけど」


「ん?」


 いそいそと毛布の中に身体を横たえ始めたお父様に、私は機会を逃さないように解呪の儀式において災厄が残していった言葉について尋ねてみる事にした。

 セレネフィオーラ……。多分、女性の名前だと思うのだけど、それを聞いたお父様は僅かに息を呑む気配を見せ、眉を顰めた。やっぱり……、何か知っている。

 

「私だけに、聞こえたんでしょうか……」


 お父様の反応からそう察した私は、何かを悩んでいるような美しい顔を見上げながら返事を待つ。

 

「……あまり夜更かしはさせたくないんだがな」


「何も話してくれないと、気になって反対に眠れなくなりますよ」


「そうか……。なら、横になれ。子守唄代わりに話をしてやる。お前達が生まれる前、このエリュセードが誕生するよりも、恐ろしく永い時の果てに存在していた……、俺の故郷の話を」


 お父様に促されるまま横になり、私は頼もしいその胸に抱かれた。

 優しい手つきで頭を撫でられ、髪を梳かれ、温かな低い声が語り出す。

 お父様の故郷、全ての神々にとって、はじまりを意味する世界の話。

 はじまりの十二神が守護していたという、楽園の物語を……。

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