第29話 両親との時間と、騎士団への訪問者

 ――Side 幸希


「ふふ、あらあら。攫われてから色々な事があったのね~」


「お母さん……、驚かないんだね?」


 レイフィード叔父さんがアレクさんとルイヴェルさんに、一時的な休戦を告げた日の午後。

 ほのかに甘い香りの漂う紅茶を飲みながら、改めて話を聞き終えたお母さんが微笑ましそうにそう言った。一応……、突然このウォルヴァンシア王宮からいなくなった上に、行方不明で皆さんにご迷惑をかけていたというのに、お母さんのこの反応。

 まるで、娘が遠足にでも行っていたかのような口ぶりに、むしろ私の方が反応に困ってしまっている。


「夏葉……、幸希はかなり重要な話をしていると思うんだが……」


 私の部屋のお庭に設えられた、紋様入りの白い丸テーブル。

その左側に座っていたお父さんの反応こそが、普通だと思う。

 少しだけ青ざめているその顔には、話を聞いたからだけじゃない、日々の疲れの気配が見える。

 レイフィード叔父さんの話では、私がいなくなってから自分も捜しに行く!! と言い張って、お父さんがかなりの度合いで暴走していたと聞いたのだけど……。

 私は居住まいを正すと、お父さんとお母さんにもう一度頭を下げた。


「お父さん、お母さん……、いっぱい、心配をかけてしまって、本当にごめんなさい」


「もう謝らなくていいんだよ、幸希。お前が無事に戻って来てくれただけで、お父さんは、お父さんは……っ」


「ふふ、ユーディスったら、大げさねぇ~」


「大げさじゃない!! どうして君は、いつもいつも落ち着いていられるんだ!! 娘が突然行方不明になって、見つかったと思ったら……、今度は、神がどうとか言われて、大事な娘がさらに大変な目に遭う未来が見えているんだぞ!! なのに、なのに……っ!!」


 泣き出しそうな表情でテーブルに顔を突っ伏して頭を抱えてしまったお父さん。

 たとえ神としての記憶を取り戻しても、月埜瀬幸希として生を受けた私にとっては、神々の世界における両親も、今目の前にいる二人も、大切な、とっても大切な、かけがえのない存在。

 だから、正直言って……、神々の世界についての事情を打ち明ける事には、若干の怖れがあった。

 本当の事を話して、自分が神の転生体であると話した時、お父さんとお母さんがどういう反応をするのか、と。でも、その心配はいらなかったみたい。

 二人の私を見る目は前と変わらずに愛おしさに溢れていて、あぁ、この人達の娘として生まれて来れて、本当に良かった、と、そう心から思えた。


「幸希」


「んっ……、何? お母さん」


 ふと、お母さんが目の前の席から右手を伸ばし、私の頬に触れた。

 

「本当に……、無事に帰って来てくれて、有難う」


「お母さん……」


 お父さんのように大騒ぎな反応を見せる事はないけれど、お母さんのその温かな眼差しに、全ての想いが込められているように感じた。

 むしろ、私がいなくなった時にお父さんの取り乱し方が酷かったからこそ、お母さんは、あえて落ち着いた態度を貫いて、それを続けているのかもしれない。

 自分まで不安になって、お父さんの心に負担をかけないようにと。

 母は強し、という事、なのかな……。お母さんの右手に同じように温もりを添えて、私もにっこりと笑顔を返す。


「ただいま、お母さん」


「ふふ、お帰りなさい、幸希」


「……二人とも、私を蚊帳の外において、何だか二人だけで分かり合ってないかな?」


 羨ましそうに見てくるお父さんだけど、なんだか嬉しそうな様子でもある。

 久しぶりの、家族三人でのひととき。何も変わらない、前よりも強くなったように感じる、家族の絆。この優しい時間を、私にとって大切な人達を、守りたい。改めてそう思った。


「ところで……、幸希」


「ん?」


「今夜の……、レイフィードの妻である彼女の解呪の件だが、やはりお父さんも、お前は参加しない方がいいと思うよ」


「お父さん……」


 関わりがあるからこそ、私はその場にいたいと望んでいる。

 けれど、何度お願いしても、許しては貰えなかった……。

 きっと、塔の地下に先回りしたとしても、三人がかりで私を外に放り出すのは確実。

 だから、その件に関しては大人しく引き下がる事にした。

 それをお父さんとお母さんに伝えると、心配性なお父さんの方から安堵の吐息がひとつ。

 

「大丈夫だよ、お父さん。勝手に一人で何か危ない事をしたりする気はないから」


「そうは言ってもね……、お前はお母さんに似て……、たまに大胆な行動に走る時があるから。お父さんとしては色々と心配なんだよ」


「大丈夫よ~。多少の無茶は仕方ないとしても、誰かを悲しませるような真似だけは、もう出来ないでしょう? ねぇ、幸希」


「う、うんっ!! それは、勿論……」


 どうしても必要な時や、危険な真似をしなければならない時の覚悟はあったけれど……、そうならないように頑張ろうと思っている。

 それに……、レイフィード叔父さんと、ある約束をしているから、迂闊な真似は出来ない。

 だって、だって……。


(今度無茶な真似をしたら、アレクさんとルイヴェルさんの身に恐ろしい危険が!!)


 そう、……私は、あの二人をレイフィード叔父さんに人質として囚われている。精神的な意味で。

 アレクさんとルイヴェルさんはそれを知らないけれど、私の行動次第で、また二人が危険な目に遭ってしまう!! 半ば脅迫同然の笑顔で強いられた約束の為にも、全力で危険を回避しなくてはならないのだ。


「ふふ、じゃあ、大丈夫ね~。……あら? 幸希、お迎えが来たみたいよ」


「え?」


 くるりと後ろを振り返ってみると、私の部屋に続いている回廊の陰に、アレクさんの姿があった。

 確か、レイフィード叔父さんとの話の後に、また騎士団のお仕事に戻っていたはずなのだけど……、何か用かな?

 

「アレクさん、どうしたんですか?」


 席を離れて駆け寄って行くと、アレクさんがどう切り出すべきかと悩んでいるような顔で、私の名を呼んだ。


「……少し、話があるんだが、騎士団の方まで、いいか?」


「あ、もしかして、今夜の解呪の事に関して何か?」


「いや、そっちじゃない。本当は……、もう少し前に話しておこうと思っていたんだが、可能性のひとつとして、話したい事がある」


「はぁ……」


 アレクさんの中に、何か迷いがある。口にしてもいいものかどうか、悩んでいる。

 それを察した私は、とりあえず騎士団の方に向かいましょうと促して、庭を後にした。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「よっ! 姫ちゃん!! おっかえりぃ~!!」


「ユキ姫様、お帰りなさいませ。ご無事の帰還、何よりです」


 騎士団の稽古場に辿り着くと、私とアレクさんの姿に気付いたお二人が出迎えに寄って来てくれた。獅貴族での騒動の時は会えなかった、ウォルヴァンシア騎士団長のルディーさんと、副団長補佐官のロゼリアさん。

 いつも通り、高校生くらいに見える少年姿のルディーさんからくしゃりと頭を撫でられ、あぁ、帰って来たんだなぁ、と、表情が和んでしまう。

 攫われてから色々ありすぎて、まるで何年も会っていなかったかのように感じられる人や、場所。

 私を見下ろしながら瞳に温かな気配を浮かべてくれているロゼリアさんも、私に対して懐かしさを感じているような表情をしている。

 それに、ルディーさんやロゼリアさん達以外の団員さん達も、稽古の手を止めて、私に「「「お帰りなさい!! ユキ姫様!!」」」と。思わず、涙腺が緩みそうになってしまった。


「ルディー、ロゼ、俺はユキと話がある。副団長室に向かうが、何かあれば遠慮なく声をかけてくれ」


「了解。――と、そういや、アレク」


「なんだ?」


「お前が姫ちゃんの部屋に向かってすぐの事なんだけどな、今、来てるぞ。お前の親父と、前任の騎士団長」


「父さんが? それに、前任の騎士団長まで……、二人揃ってか?」


 アレクさんのお父さんが来てる? ルディーさんの前に騎士団長をやっていた人も?

 幼い頃に何度か会っているはずなのだけど……。う~ん……、大勢の人達と一緒に会っていた記憶ばかりが浮かんで、どういう顔をしていたのか、よく思い出せない。

 でも、アレクさんのお父さんかぁ……、どんな人なんだろう。

 ちょっとだけドキドキしてきた私は、話の前にお父さんと、前任の騎士団長さんに会いに行きませんか? と、提案してみた。

 けれど……、せっかくお父さんに会えるというのに、アレクさんは何だか複雑そうで……。


「お父さんと何かあったり、したんですか? それとも、会うのが気恥ずかしかったりとか」


「いや、……そうじゃ、ない」


「アレクさん?」


「丁度良い、というべきなのか……。だが、……わかった、行こう」


 どうしたんだろう……。自分が、というよりは、何だか……、私の事を気にしているような気配が。確か、前に聞いた話では、アレクさんは騎士団寮住まいだから、ご家族の人達とは時々しか会う事がない、と、聞いた事がある。

 不仲という話は聞いてないし、……じゃあ、この戸惑いの気配は何なのだろう。

 首を傾げてアレクさんを見上げていると、何かを決意したかのような蒼の双眸に出会った。


「ユキ……、心の準備をしておいてくれ」


「え? は、はぁ……」


「副団長、お二人と話をされるのならば、副団長室にお茶とお菓子を用意しておきますが」


「あぁ、頼む。ユキ、父さん達と会った後に……、改めて、また二人で話そう」


 私の手をとり、少しだけ強い力で繋ぎ合わせると、アレクさんは裏の方へと向かって歩みだした。

 その表情の意味も、教えてくれないまま……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 

「父さん」


「久しぶりだな、アレク……。元気にしていたか?」


 裏の稽古場に着くと、沢山の団員さん達から囲まれていたその中から、一人の男性が私達の前へと出てきてくれた。

 アレクさんとよく似た真面目さと静かさを宿した顔に、服越しにもよくわかる、精悍さを纏う逞しい身体つき。髪の色は私と同じ蒼色で、あぁ、そうか……、アレクさんの蒼色の瞳は、お父さんの瞳の色と同じなんだ。という事は、銀髪は、お母さん譲りかな?

 それに、ウォルヴァンシア騎士団の団服を着たら……、その凛々しさが何倍にも跳ね上がるに違いない。

 身長はアレクさんよりも高くて、久しぶりに会えた息子さんへの愛おしさに満ちた表情で頭を撫で撫でとしながら会話をしている。ふふ、アレクさんたら、どことなく気恥ずかしそう。

 

「仕事の手伝いで丁度王都に来てな……。ついでに立ち寄ってみた」


「そうか。母さんや皆は、元気にしているだろうか?」


「あぁ、皆、風邪ひとつ引かずに元気だ。最近全然帰って来ないお前に顔を見せろと、口々に文句を言っていたぞ」


「すまない……。騎士団の仕事と、色々あって……、帰る時期を読めずにいたんだ」


 アレクさんよりも少しだけ年上に見えるような外見だから、お父さんと息子、というよりは、微笑ましい兄弟のようにも見える。

 まぁ、纏っている魔力や気配から、お父さんの方が百年以上の時を生きているのは一目瞭然なのだけど……、ふふ、二通りの見方が出来るから、一粒で二度美味しい感じかなぁ。

 親子の穏やかなひとときを眺めていると、アレクさんのお父さんがようやく私に気付いてくれた。


「……ユキ姫様ですね?」


「は、はいっ。お、お久しぶりですっ」


「ご無沙汰をしております。以前にお会いした時はまだ幼かったユキ姫様が……、大きくなられましたね。それに、とても愛らしくなられた」


「そ、そんな事はっ」


 その場に膝を着いて私の手をとったアレクさんのお父さんが、恭しくその甲に口づけてくれた。

 騎士を辞めてから二十年以上経っていると聞いていたのに、その洗練された仕草や気配はまさしく、――騎士の中の騎士様だった!!

 

「ところでアレク、お前は……、何故、お仕えすべき王兄姫殿下と手を繋いでいる? 臣下として、馴れ馴れしすぎるのではないか?」


 な、何だろう……。アレクさんのお父さんが、自分の息子さんに咎めるような視線とお説教を始めてしまった。

 

「あ、あのっ、私とアレクさんはずっとこういう感じで仲良くしているので、何も問題はないんです!!」


 と、親子の間に割り込んでフォローをしてみたけれど、その視線の険しさは弱まってくれない。

 王族と臣下のあるべき姿や関係性がどうのこうのと、鬼の気配で延々と……。

 もしかして……、この人、物凄く礼儀や上下関係に厳しい人達だったりするのかな。

 アレクさんも黙って怒られているままだけど、私の右手を絶対離すものかと繋ぎ続けている。

 

「――そのへんで勘弁してやったらどうだ? お前のように堅苦し過ぎると、時に上の者を悲しませる事になるぞ。昔からずっとそう言っているだろう?」


 困り果てていた私達の許に届いた、団員の皆さんの群れの向こうからの声。

 やれやれといった感じと、微笑ましさを纏うその音に……、私の鼓動が、何か衝撃を受けたかのように、トクン……!! と、強く跳ねた。

 ざわざわと賑やかな人垣が割れ……、その人が、口元に笑みを浮かべながら近づいてくる。

 

「口を挟むな、ソル……。俺は、元副騎士団長として、ウォルヴァンシア王族に仕える忠実な臣下として、息子に正しい道を説いているだけだ」


 ――ソル。その名前に、またひとつ、鼓動が激しく熱を抱きながら胸を打った。

 私の右手を握るアレクさんの力が強まり、心をしっかりと支えろと、そう支えてくれている気がする。


「それが、時には重荷になると言っているんだ。お前は騎士団にいた頃から律儀というか、ド真面目というか……。俺にだって、プライベートでしか素の口調で話さなかっただろう? 職務中は別だと言い張って、敬語ばかりの説教を」


「多少なら俺も何を言う事もない……。だが、見てみろ。ウチの息子は、事もあろうに、ユーディス殿下の大切なご息女であられるユキ姫様を自分の所有物のように手を」


「別に所有物扱いなんかじゃないと思うがな? ただ、二人が俺達の知らない所で絆を結び、そうしている事が普通になった、ただそれだけの事だろう? なぁ、アレク」


「……はい。ご無沙汰をしております。ソル団長」


 茶目っ気のある笑顔を向けられたアレクさんが、僅かな沈黙の後に頭を下げた。

 ソル団長……、もしかして、前任の騎士団長が、この人、なの?

 ルディーさんを団長に指名し、アレクさんを副団長に据えた……、ウォルヴァンシアの、騎士団長を務めた人。

 けれど、その事よりも……、私には別の事が気にかかって仕方がなかった。

 アレクさんのお父さんを宥めながらこっちを見ているその男性は……、騎士服とは少し違うけれど、剣士の人が着るような機能性重視の黒い上下に身を包み、腰に剣を纏っている。

 カインさんと同じ色合いの、クセのついている漆黒の長い髪に、美しい真紅の双眸。

 私の記憶の中に在った、『あの人』の面影が、どんどん目の前の男性に重なっていく。

 

「異世界から戻って来たという噂は聞いていたが、あのチビっ子姫とは思えない成長ぶりだな? ユキ・ウォルヴァンシア王兄姫殿下」


「ソル……、ユキ姫様に無礼な物言いは慎め。騎士団を辞めたとはいえ、我らは昔と変わらず、ウォルヴァンシア王家に忠誠を誓う臣下だ」


「い、いえ、……だ、大丈夫です。そのままで、……ソル、さんの、ありのままの言葉で、話してください」


 よろりと、ソルさんの目の前に近付いた私は、その顔を瞳に焼き付けるように見上げた。

 カインさんと同じ色だけど、私にとっては……、違う。

 この人が纏う色も、気配も、私を見つめるその穏やかな眼差しも……、全部。


「は、初めまして……、ゆ、ユキ・ウォルヴァンシア、です。もしかして、貴方が前任の、騎士団長さん、ですか?」


 声が、どうしても震えてしまう。何故、神の記憶を取り戻した時に思い出せなかったのだろう。

 沢山の人達の中に紛れていたとはいえ、この人の姿を、存在を……、今の今まで気付けなかった、なんて。でも、……あぁ、違う。

 挨拶をした後、握手を求められてそれに応えた私は、――人違いであると、そう気付いた。

 似た顔なんて、幾らでもある。名前が似ていた事と、その声が、顔が……、あぁ、でも、よく似ている。懐かしい……、もう、永遠に会えないかもしれないと思っていた、あの人に。


「父さん、ソル団長、副団長室で少し話をしないか? 久しぶりに、色々と……」


「あぁ、構わないが……。どうした、アレク? 顔色が悪いぞ」


「……いや、少し、体調が崩れているだけだ」


「おっ、父親に似て真面目一徹のお前が健康管理を怠るとはな。ははっ、珍しい事もあるもんだ。そういう時は、栄養のあるもんをいっぱい食って、しっかり寝ろよ。そうすれば、大抵はすぐ治る」


「はい……」


 なんとなく……、アレクさんが私に何を話したかったのか、わかった気がした。

 私とは違い、前任の騎士団長さんの顔をはっきりと覚えていたアレクさんが、目の前のこのソルという男性について、ある可能性を抱いた事を。

 

(でも、違う……。この人はあの人じゃない。だって……、気配が違うもの)


 ソルさんの温もりが離れていく事に必要のない名残惜しさを感じながら、零れそうになる涙を必死に抑え込む。他人の空似……、瓜二つでも、中身が違う。

 その事に、どうしようもない悲しみを覚えながら……、私は副団長室へと向かった。

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