第21話 招かれたその先には。

 ――Side 幸希


 もっふもふのシスター風フェルティアに控室らしき場所へと引き摺り込まれた後、エリュセードにおける神々の古き良き花嫁衣裳的な物へと着替えさせられた私は、もう一度開かれた扉の向こうに別の世界を目にする事になった。

 足元に広がったのは、サラサラとしたクリーム色の砂浜。

 教会の外と同じく、夜の気配を知らせるように小さな星々の光が闇空の中に広がっている。

 エリュセードの御柱的三人の神々を象徴する月の姿は見られないようだけど……。

 ここは、イリュレイオス様の力によって創られた、箱庭のような場所。

 確かな絆を結んでいる恋人同士が訪れる場所のはず……、なのに。

 

『お嬢様、どうぞ私の背に』


「あ、は、はい」


 逆らっても無駄な相手、というよりも、逆らうと怖い存在に口答えは厳禁。

 私は促されるままにシスター風フェルティアのもふもふとした背中に横向きの体勢で乗り込むと、砂浜を踏み歩くそのサクサクとした静かな音に耳を傾けながら進みだした。

 てっきり、着替えさせられた後に、またあの教会の中に戻って強制結婚式でも挙げさせられるのではないかと思ったのだけど……。果たして、これから何をさせられるのやら。

 シスター風フェルティアの砂を踏む音だけが、静かな空間に小さく溶け消えてゆくだけの世界。

 他に音と呼べる気配はなく、肌を擽る風のひと撫ですら、感じられない。

 やがて、シスター風フェルティアが歩みを止めたのに気付いた私は、促されるままに彼女の背から再び砂浜へと降り立った。

 サラサラとした砂が足裏を撫でていく。そして、目の前に視線を据えると……。


「海……?」


 波音さえ聞こえない、けれど、静かに佇んでいる大海原……。

 シスター風フェルティアが私の前へと歩み出て行く。


『お嬢様、少々お待ちを』


「は、はい」


 ふぅ、と、シスター風フェルティアが吐息を宙に溶かした途端、近くの海面に小さな光が生まれた。クルクルと楽しげなダンスでもしているかのように回りながら海の中へと、ぽちゃん。

 沈んでしまった光は、やがて一筋の柱のように海中から飛び出し、星空を貫いた。

 

「え……?」


 どこまでも広がる夜空の世界から、煌めく星々が連なって海面に向かって急降下するかのように流れてきて……。

 眩い光に瞼を閉じた直後、星々が流れ落ちたその場所には、―― 小舟がひとつ。

 純白の薔薇と、黄色い薔薇によって飾り付けられた可愛らしい小舟。

 

『さぁ、参りましょう』


「え? こ、これに乗るんですか?」


『はい。花婿様がお待ちですので』


「いえ、ですから……、アレクさんは花婿さんじゃ」


『グルルっ』


 あ、はい。口答えは駄目なんですね。わかりました、もう何も言いませんっ。

 丁寧な言葉遣いをしているくせに、異論を唱えるとこのシスター風フェルティアは歯をぐわりと剥き出しにして唸るから、ちょっと、いや、かなり、怖いっ。

 先に小舟へと乗り込み、私にも一緒に来るようにと促し……、脅してくる。

 溜息と共に仕方なく同乗すれば、小舟は操る人の姿さえ見えずひとりでに動き出した。

 波を掻き分けて進んで行く音さえ聞こえず、星空の明かりだけを頼りに舟は海面をゆっくりと進んで行く。

 イリュレイオス様の力で創り出された世界……、確かな絆を結び合った恋人同士の為の。

 多分、この先にアレクさんが待っているのは間違いない。

 私と同じように、神々の花婿が纏う衣装と共に……。


(でも、イリュレイオス様は……、何故、こんな場所を作ったんだろう)


 昔のように、気まぐれなお茶目が生んだ趣味の場所なのだろうか……。

 イリュレイオス様の性格的に納得出来る場所ではあるけれど、……何かが引っかかっているような気がしてならない。

 だって、ここは確かな絆を結び合った恋人同士の為の場所でしょう?

 それなのに、結ばれてもいない者同士が立ち入れたのは、何故?

 静かな暗い水面の中に美しい星々の姿を見ながら首を傾げた私は、シスター風フェルティアに視線を投げてみたけれど、彼女は小舟の中で瞼を閉じて座り込んだまま反応を示してはくれなかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ユキ……」


「やっぱり……、アレクさんも強制的に着替えさせられたんですね」


「いや、無理矢理、というわけではないんだが……」


 砂浜が遠くなり、やがて辺り一面が星空を映した大海原だけになると、前方からアレクさんと神父風フェルティアを乗せた小舟がやって来て、無事に合流する事が出来た。

 私と同じように、神々の花婿衣装を着ていたアレクさん……。

 短くなったはずの銀髪は、何故か同じ色の長いウィッグによって隠されている。

 コツン、と、小舟同士の先がぶつかった後、私とアレクさんは目の前に現れたもう一艘の新しい小舟へと促された。今度は、あっちの舟に?

 足場に気を付けてそちらに乗り込むと、アレクさんが私の肩を支えて傍に寄り添ってくれた。

 

「私達の乗って来た物よりも、……大きいですね」


「飾り付けも派手になっているな……。フェルティア、訪れた恋人達全員にこんなよくわからない手順を踏ませているのか?」


 それぞれの衣装に着替えさせたかと思えば、海に出ての移動。

 確かに、教会は最初の地点にあったのだから、あえてこんな手順を踏む必要はないはず。

 アレクさんの問いに頷き、二頭のフェルティアに視線を向けると……。


『他の方々とは違います……。ここは、アヴェルオード様とユキ姫様だけが訪れる事の出来る場所。私達は、遠い日の『約束』へと、お二人をお連れする役目を任されているのです』


『イリュレイオス様から託された、いつ全う出来るかもわからない役目でしたが……、ようやく、その時が訪れました』


 順番に、神父風フェルティアとシスター風フェルティアが頭を垂れながら伝えてくれたその言葉に、私とアレクさんは顔を見合わせる。

 イリュレイオス様がこの場所を創った理由、認められた恋人同士だけが来る事の出来る、『誓いの花園』……。それは、獅貴族の民の間で噂されているもの。

 

『お二人がいらした教会は、お二人だけにしか訪れる事の出来ない約束の場所……。他の者達は、たとえ入れたとしても、この教会を見つける事は出来ません。見えるのも、立ち入れるのも、外の花畑が広がる場所だけ』


 あぁ、だから……、『誓いの花園』だったのか。

 レアンの話では、教会、という言葉は一度も出て来なかった。

 幻想的な世界の中に佇む、資格のある者にしか見えない教会……。

 私と、アレクさんだけが、訪れる事を許された……、約束の、場所。

 

「そういう事か……。地上に戻るなら、獅貴族の王宮をよく注意して見てみろと言っていたから何かと思えば……、アイツらしい真似だな」


「アレクさん?」


「すまない、ユキ……。恐らく、フェルティア達が案内しようとしているのは」


 アレクさんは、切なげに蒼の双眸を揺らめかせると……、その先を言おうとして口を噤んだ。

 神父風のフェルティアが、そっと口にメモらしき何かを銜えて、それをアレクさんに。

 

「アレクさん、何が書いてあるんですか? それ……」


「……はぁ。我が弟ながら、どこまで先読みしているんだか」


 くしゃりとメモを手の中に握り締め、アレクさんはそれを神父風フェルティアに差し出した。

 

「早急に始末してくれ」


『仰せのままに。……ムシャムシャ』


「ちょっ!! お腹壊しますよ!!」


 紙は食べ物じゃない!! それなのに、神父風フェルティアは躊躇なくメモ紙を食してしまった。

 あぁ、駄目って言ってるのに、美味しそうにムシャムシャムシャムシャ……。

 よ、良い子も悪い子も、絶対に真似しないように!!

 早く吐き出すように急かしても、神父風フェルティアは余裕の顔でまだ咀嚼を続けている。


『ご安心を。私は神獣ですので、地上の生き物のような脆さは、――ううっ!!』


 言ってるそばからお腹に当たった!! ……だから言ったのに。

 蹲ってしまった神父風フェルティアを気遣うように、シスター風フェルティアがもふもふの毛並みで寄り添いながら、『お馬鹿さんですね~』と、笑って痛みを抱えているお腹を撫でてあげ始めた。

 

『申し訳ありませんが、私達はあちらの舟に戻ります。あとはお二人で』


「え? ここから先は私達だけなんですか?」


『はい。元々、イリュレイオス様からお二人をこの場所にお連れするまでをお役目と定められておりましたので』

 

 あれ、でも、約束の場所まで連れて行くのが役目とか言っていたような気が……。

 そう尋ねる前に、シスター風フェルティアは腹痛で苦しんでいる神父風フェルティアを乗って来た方の舟の片方に追い立て……、物凄い速さで闇の彼方に消えて行ってしまった。

 なんだろう……、このあからさまに何かを誤魔化されて逃げられたような余韻。


「えーと……、どうしたらいいんでしょうか?」


 取り残されてしまった私とアレクさんが顔を見合わせていると、乗っていた舟が静かに動き出した。

 風の後押しを受けたわけでもない、明確な意思を感じさせる方向への転換。

 目的地への案内はこの舟が自動でこなしてくれるようだ。

 

「イリュレイオスの定めた場所に着くまでは、特に何もする事がないと見ていいだろう」


「そう、ですね……」


 確かにそれしかないのだけど……、飾りつけをされた舟の中で、お互いに結婚衣装に身を包んでの二人きり……。落ち着かないのは私だけなのだろうか。

 私から少し離れた場所に腰を下ろしたアレクさんが、ちらりとこっちに視線を向けてきた。

 その視線は、ようやくじっくりと私の姿を眺める事が出来ると言われているかのようで、……気恥ずかしさが増して居た堪れなくなってしまう。


「ユキ……」


「は、はいっ。な、なんでしょうっ」


「……そう、怯えないでくれないだろうか。お前の花嫁姿を見られて幸せを感じてはいるが、自分の欲のままに何かをしようとは考えていない」


 僅かに身を引いた私に対し、アレクさんはゆっくりと距離を詰めながらその右手を伸ばしてくる。

 アレクさんに対しては安定の信頼感を持っているから、その方面の心配はしていない。

 今は感情も穏やかで落ち着いているようだし、情緒不安定になった時とはまるで違うのだから。

 けれど、その指先が私の頬に触れてくると、アレクさんの奥に秘められた想いが沁み込んでくるあのように伝わってくる気がして……。

 私の戸惑いをわかっていても、アレクさんが詰めた距離を引く事はなく、気が付けばぴったりと寄り添われてしまっていた。

 お互いに何かを話す事もなく、トクトクと胸を打つ鼓動の熱を感じながら海面に視線を据える。

 星屑が流れ落ちてきたかのように揺らめく海面。そこに、ゆっくりと手を差し入れてみると……。


「ん? これは……」


 私の右手に掬い上げられたのは海水だけではなく、確かな感触を伝えてくる硬い物。

 小さな星形をした可愛らしい桃色の石と、水色の石。

 顔を寄せてきたアレクさんに、私は水色の石の方を手渡してみた。


「可愛らしい石だな……。星空の光を受けて周囲が明るいのかと思っていたが、どうやらこの石のお陰でもあったようだ」


「キラキラと光って、まるでお星様を掴めたかのような感動がありますね」


「あぁ、俺も昔は……、何も知らなかったせいで、父さんに星をねだって困らせた事があるな」


「ふふ、私もです」


 それは、神様としての私達ではなく、この地上の民として生まれてからの記憶。

 全てを忘れ、無邪気な子供時代をやり直していたあの頃の……。

 私とアレクさんは顔を見合わせて笑みを零すと、星の小石を手に座りなおした。

 地球の中から見える夜空の星々は、遥か遠くの星が放つ輝きだったけれど、異世界エリュセードの夜空に輝く星々は、――別の世界の光。

 存在する空間は違うけれど、確かに互いの存在を伝え合うかのように輝きを放っている。

 それぞれの世界には、エリュセードの御柱たるアレクさん達三姉弟のような神様達がいて、それを支える他の神様達が世界の運航を手助けしていると教えてくれたのは、確か、お父様だった。

 このエリュセードを深く愛し、今に至る未来へと繋げてくれた、無敵の戦神(いくさがみ)。

 天上で生まれ、まだ幼かった頃……、お父様の腕の中で見上げた星々の煌めきはどこで見るよりも近く感じられた事を思い出す。


(アレクさんと一緒にいる時に感じる安心感は、お父様のそれと似ている……)


 どんな不安や寂しさを抱いていても、その大きな温もりで包んでくれる、懐の深さ。

 天上で暮らしていた頃は、そんなこの人をお父様の身代わりのように思う事はなかったけれど、お兄様と同じような保護者的な存在として慕っていた。

 けれど、違う……。アヴェルオード様は、アレクさんは、私の保護者なんかじゃなくて……。

 想い続けて貰ってから数か月どころの話じゃなくて、実際は相当の年月が積み重なっていたわけで……。ヴァルドーナツさんの件が片付いた後も、アレクさんはその想いを捨てる気はないと言ってくれた。望む答えが返ってくるかも、結局わからないままなのに。

 どうしたら、アレクさんやお母様のように、誰かを一途に想い続けられるのだろうか。

 遥か昔からその胸に抱き続けてきた、唯一人への愛。

 私も恋をしたら……、オカアサマノヨウニ、コワレテシマウ。


「ユキ?」


「……」


 あの時、最後に見たお母様は……。

 目の前で災厄の女神として覚醒し、神々の手によって封じられたお母様。

 その瞬間を間近で見ていた私は、受け入れ難い現実の恐ろしさと、お母様を失っていく悲しみに耐えきれず、断片的にしか記憶を思い出せないでいる。

 でも、最後の瞬間……、お母様は一度だけ私の方を見て、……何かを言い残した気が。

 どれだけ思考の深淵へと沈んでも、……思い出せない。

 それがどんな言葉だったのかすら……、ただ、あの時の事を思い出すと。


(なんだろう……、この奇妙な感覚)


「ユキ、――ユキ!」


 不意に、自分の意識がどこかへと溶け消えていきそうな心地に陥った私は、両肩を熱い感触に掴まれて名を呼ばれた瞬間に現実へと戻った。

 心配そうな……、アレクさんの顔が、目の前にある。

 

「アレク……、さん」


「大丈夫か?」


「は、い……」


 覗き込んで状態を確認してくれているアレクさんの蒼い双眸を見ていると、徐々に意識が定まり始めた。大丈夫……、大丈夫、私は、ここに、いる。

 

「すみません……。ちょっと」


 考え事に沈みすぎていました、と、アレクさんを安心させようと微笑みかけたその時。

 身動ぎをした際にアレクさんの胸へと倒れこんでしまった。

 トク、トク、と、少し早足で音を刻むアレクさんの鼓動。

 それを聞いていると、なんだか子供に戻ったかのように安心出来て……。

 お父様に感じていた安心感と似ているけれど、違う、アレクさんだけが与えてくれる優しい温もり。

 心全体に沁み渡っていった大きな安心感と共に瞼を閉じかけてしまった私は、やがて我に返った瞬間にその場から大慌てで立ち上がった。


「す、すすす、すみません!! つ、ついっ」


「ユキ?」


 わざとではなかったけれど、まるで飼い主の腕の中で安心しきった子犬のようにすり寄っていた気がする!! お父さんでもお兄さんでもないのに!! 私は何を無防備状態になっていたの!!

 舟の上で頭を抱えながら小さなパニック状態になっている私に、アレクさんは危ないから座るようにと声をかけてくれる。すみません、アレクさん!! 毎回毎回、甘えてばかりの駄目な私で!!

 その場に座り直し深々と頭を下げて謝ると、突然立ち上がって舟を揺らしてしまった事に対する謝罪だろうかと尋ねられ、とりあえず本当の事を言うのが恥ずかしくて、頷いておく事にした。


「ユキ、本当に大丈夫か……? さっきは少しの間だったが意識を飛ばしていた気がするし、その後も」


「だ、大丈夫です!! そ、それよりも、目的地にはま……、だ、――え?」


 静寂だけに包まれていた世界に生じた、どこか遠くから聞こえてくる凄まじい滝のような音。

 徐々にそれは近くなり、アレクさんが私を自分の腕の中へと閉じ込めると、前を鋭く見据えた。


「イリュレイオス……、あの馬鹿者がっ」


「あ、アレクさんっ、あ、あれ、あれって!!」


「ユキ!! 絶対に俺から離れるな!! しっかりとしがみついていろ!!」


「は、はいっ!!」


 突然前方へと向かって速度を速めた舟。一面海の世界だと思っていたのに、海面が途中で大きく割れて、その先に舟が踊りだした、――その瞬間。


「きゃああああああああああああ!!」


「くっ……!!」


 大海の中に出来た、不自然な大穴。

 凄まじい勢いで流れ落ちていく雪崩のような波の光景が視界に飛びこみ、私達は闇の中へと呑まれていった。――イリュレイオス様、貴方本当に一体何がしたいんですか!!

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