R2.5.31『あ、安部礼司』の感想

 やる前はあんだけ不安だったリモートもすっかり慣れた安部礼司。PCごしのみんなの顔が日常になじんできた。が、ひとつだけ慣れないことがある。

 それはZOOM会議が終わったあとに秒でやってくる静寂。

 以前は、仕事と家庭のあいだには通勤があった。電車でメールしたり、ネットを見たり、音楽を聴いたり、考え事をしたりと、仕事の前と後で、精神的に一人になれる時間があった。しかし今はない。


⇒わかる。一日中――というか4月からずっと、景色が変わらない。ずっと自宅の景色に。これが新しい生活様式なのかなあ。コロナとともに、というよりストレスとともに、だよなあ。辛いなあ。



 リモートワークには妖怪がいる。それは『リモート妖怪』。

①いったんごめん:通勤時間がないのをいいことに、朝から晩までぎちぎちに会議をつめている人。いったんごめん、と言ってつぎのZOOM会議に行く。

②口だけ男:会議がリモートになっただけで激しいキャラ変で攻めてくる人。

③いわされ:画面に映っていない誰かから、さも自分の意見のように言わされている人。


⇒①はあるある。ずっと打合せが入っているひといるねー。②もあるある。激しくはないけど若干変わってるひと。③は、さすがに聞いたことないなあ……とは思うが、リモートなので分からんね。



 今ツイッターで流行っているハッシュタグ「#コロナで終わってしたいこと」。

 五十嵐さんが熱く芝居愛を叫ぶ「俺は劇場で芝居がしたーい!!」


⇒いつ終わるんのだろうかな。なにをもって終わりなのかなあ。。生殺しは辛いなあ。



 不要不急でいろいろと我慢している姫ちゃん。しかし結構限界。

 今、我慢しているものは確かに「不急」ではあるが「不要」なのだろうか。今まで自分の心身を支えてきたことは確かに「不急」ではあるが「不要」ではない。

今回のコロナで分かったことは、


⇒我慢が有期だと思っているなら頑張れるけど、これが中長期になったら、結構精神や人格も変わってくるよなあ。



 リモートワークを希望する飯野っす君。子供な顔を見ながら仕事をしたい。そんな子供の半平太(五十嵐ボイス)が、飯野っす君の仕事ぶりにダメだしする。


⇒昔「パパの歌/忌野清志郎」って歌があったけど、サラリーマンが少なくて自営業が多かった時代、子供は親の仕事ぶりを間近に見ながら親を尊敬したけど、サラリーマンはそれがなかなかできなかった。今のリモートワークで仕事をするパパの背中に尊敬を覚えるのかな(逆もあるかも)。


 イケテルとテレビ会議。しかしイケテル元気がない。

 ソーシャルディスタンスで男と女のあいだに定められた新しい距離を取らないといけない。ボディタッチしたい。時になれなれしく肩に手を置いたり、

 リモートワークじゃべたべたできない。直接会ってもソーシャルディスタンスで距離を取らないといけない。

 そしてイケテルは、誰も俺にぐいぐい来てくれない。誰も仕事以外の連絡をくれないことに気づいた。もしかしたら人望ないんじゃ、と悲しむイケテル。



 リモートのメリットは、通勤時間がなくなったこと。

 世の中には、これからは完全リモートだ、と都心のオフィスを解約した会社もあるとか。


⇒極端すぎな気もするけど、なにが切っ掛けになって世の中の向かう先が変わるか。ここ最近はなんか、ジワリジワリというより一撃的な衝撃が切っ掛けで変わっている気がする。


 リモートだとサボるのが心配。会社によっては、サボったりしないように社員のPCをリモートで監視する、というのもある。



 ユウちゃんのコロナが終わったらしたいこと。それはガールズトーク。給湯室の何気ない会話が実は尊いものだった。そのためユウちゃんオモヤマちゃん姫ちゃんの三人で女子会することに。しかし姫ちゃんがお疲れモード。

 平和すぎる毎日に疲れた。家からでなくて、仕事だけちゃんとすれば、一日外にでなくてもいい。会社だと嫌な人に出会ったりしたがそれもないので張り合いがない。今までは嫌な仕事を嫌な人にぶつけていたこともできないので、体に毒がたまっていた。

 そこにZOOM招待で呼ばれたのはイケテル。リモートで姫ちゃんにぐいぐいいくため、愛の言葉を話す。


・愛することはすべてをなしえることだ。by.チェホフ

・人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。by.ボアロ(フランスの詩人)


 全然タイプじゃない人から言い寄られて、生きてる、を感じた姫ちゃんだった。


⇒これからはボディータッチなんかの言葉以外のランゲージがなくなる時代になっていくのかな。

 余談だが、私の好きな小説に「残像」(作・ジョン・ヴァーリィ)というのがある。全盲で聾唖の人々がコミューンで共同生活する話だが、そのなかで『会話』というのが全員が全裸になって密集密着でまさぐりあう(意図しない性行為含む)ことで、個々人がなにをしたか、なにを考えているか、という会話をする。半世紀ぐらい昔の小説だが、この会話方式はすごく新しいな、と感じた。



・「六月」とかけて「狭い楽屋で筋トレを始める小林タカ鹿」と説く。その心は「ジメジメ、どこかに行ってくれー!」(ジムジムってこと?)

・「六月」とかけて「キノコたっぷりざるそば」と説く。その心は「していますね」。

・「安部礼司」とかけて「タイムラインに流れてくる動物動画」と説く。その心は「あなたにひと時の癒しを与えます」。


明日から6月ですがオーバードライブでいきましょう!

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