第73話 長兵衛家の贅沢な晩餐
…そしてトシコも急斜面に跳びだして行き、やはり途中の木に掴まりながらのアズキ菜採りを開始した。
…それを上から見ているだけの王子にミツイが、
「…王子、もしも怖いのなら上で待っててもいいよ」
と言った。
「初めてだからやり方を見てただけだよ!」
強がって王子はそう応えたが、やり方を観察してたのも事実である。
(ああしてアズキ菜を採った後、上に戻るにはどうするんだろ?)
王子の疑問はそれだった。
…しかし清吉叔父の動きを見て間もなくその答えが分かった。
豪雪地竹之高地の山の木は斜面下に向かって横に生えた後、急に立ち上がって真っ直ぐ伸びる。…つまりL字型に曲がって生えているのだ。
これは、木がまだ小さい時には雪圧により下方へ押しつぶされながら、成長して幹が太くなると雪圧に打ち勝って上に伸びて行くのでそういう形になるのである。
清吉叔父はアズキ菜を前掛けのポケットいっぱいに採ると、木の横幹の上で助走をつけて勢い良く斜面を駆け上がって上方の木を掴み、そこでまたそれを繰り返して山上に戻って来た。
そして採った獲物を山上に置いてた竹かごに入れた。
「なるほど… !」
全てを認識した王子はついに覚悟を決めた。
「だ~~っ !! 」
気合いとともに斜面を駆け降りると、両足を踏ん張ってブレーキをかけながら途中の木に必死にしがみついた。…踏ん張った足から押し出された土と小石がズザザザザザ~ッ!とどこまでも落ちて行って100メートルくらい下方の木にカコ~ン!と石が当たって跳ね返るのが見えた。
「…さりげなく、命懸けじゃん !? これ」
あらためてそう自覚すると、王子はみんなに負けじと足元のアズキ菜を採り始めた。
アズキ菜は春の七草の芹に似た野草だが、芹のような青臭さやクセが無く、雪の消えた山肌に一番に生えてくる貴重な青物なのだ。
…慣れてくると、王子は斜面を駆け降りてそのまま木の横幹に走り込み、立て幹にキックするように止まるワザを覚えて、楽しくアズキ菜採集に励んだ。
一時間ほどすると、みんなが採ったアズキ菜で山上の竹かごがいっぱいになり、ミツイ隊長が、
「よし、終了~!」
と叫んだ。
アズキ菜採取隊が山上に集まると、清吉叔父は雪の中からボサッと出ていた枯れすすきの株を根元から鎌で刈り、根元と穂先付近をそれぞれ縄で縛ると雪面に置いて中央部分を広げ、舟のような形にした。
帰りはみんなでそれに乗って家までの雪斜面を一気に楽しく滑り降りた。…つまり草ゾリである。
「ひゃっほ~~!」
王子とトシコが歓声を上げて喜びながら、あっという間にアズキ菜隊は家に到着したのであった。
…王子がアズキ菜採りから戻ると、竹之高地ではまだ集落内のあちこちで住民たちによる除雪作業が行われていた。
「おそらく人が住む生活域としては間違い無く新潟県の山間部が日本一雪深い所なんだろうなぁ!…」
懸命に雪かきをする集落の人たちの姿に王子は胸中でそう思うのであった。
…夕刻、日が落ちると残雪の竹之高地は急激に気温が下がる。
家の中ではミツイとヤイ叔母が夕食の仕度を始めていた。
王子は炬燵でキノやトシコとテレビを見て寛いだ。
ただし山間集落の竹之高地では電波がうまく入らないので、まともに画像が映るのは近くの山に中継塔が設置されたNHKだけである。
さて、その日の夕食のおかずは当然みんなが命懸けで採って来たアズキ菜である。
「さぁ、竹之高地名産のアズキ菜を召し上がれ!」
ミツイがそう言って台所から食膳に料理を運んで来た。
お浸し、和え物、炒め物に味噌汁の具までフルコースメニューで登場である。
しかし何より自分の手で採った獲物なので美味しくない訳が無かった。
青臭さもエグミも苦味も無いアズキ菜は子供の口にも無理なく食べられる。
特に王子の好みは炒め物だった。
「美味しいね、アズキ菜!」
王子が言うと、ミツイが笑顔で応えた。
「そりゃあそうさ!竹之高地でなきゃ食べられないんだぞ~!」
…確かにああいう厳しい条件下に生える野草なのでスーパーや八百屋には出回るはずも無いものだ。
「…そう考えると実は贅沢な食材だなぁ!…竹之高地は贅沢な山菜の宝庫だから、ある意味実はとても贅沢な暮らしをしてるのかも知れないな…!」
王子はアズキ菜を食べながら、ふとそんなことを思ったのであった。
…後年、大人になって思い返せば、確かにもはやどんなにお金を出しても今ではその贅沢は体験することも味わうことも出来なくなっているのである…。
…そしてその晩も王子は湯タンポを股に挟んで寝たのであった。
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