第14話 横浜の紳士

「私はもう2度とお父さんと遊びになんて行かないよっ!」

 …手賀沼の一件でフミはすっかりヘソを曲げてしまい、以降森緒家に家族でお出掛けの機会はまるで無くなってしまったのである。

 王子にとっては寂しいことながら、しかしフミの立場を考えるとさすがに子供でもその憤りは容易に理解出来るものであった。


 しかし一方では、基本出不精なフミが休みの日に王子を連れて出掛けることも、たまにはあったのである。

 実はフミの叔父が横浜に居て、年に一度くらい日帰りで訪問する機会があった。

 王子はこの横浜行きが好きだった。

 叔父さんは眼鏡をかけた恰幅のいい人で、いつも紳士然としていた。

「ほほぉ、君がフミちゃんの王子様かね!」

 王子にそう言って笑いかけてきて、子供心にも何か大人~な格好良さを感じさせる人なのであった。

 何しろ、はっきり言ってサダジとフミの身内は新潟の田舎人ばかりなので、サダジも含めおよそ紳士淑女というようなフォーマルな大人達など居なかったのである。

 横浜の叔父さん宅で、フミは近況報告や世間話をして寛ぎ、夕方になると

「それでは食事に出掛けましょう!」

 と言って叔父さんは蝶ネクタイを着け、ジャケットを羽織り、フミと王子を連れて横浜の街へよく繰り出して行った。

 山下公園…氷川丸…マリンタワー…外人墓地…港の見える丘公園などを散策して中華街でよく食事をご馳走になった。

 …叔父さんは昔から注文文書の個人印刷の仕事をしながら、街中の質素な家に住んでいたので、特にお金持ちという訳ではないが、全く貧乏臭さを感じさせぬ人であった。

 北松戸に帰る際に横浜駅で別れる時には、

「王子、次もまたフミちゃんと一緒に来なさいね!」

 と言って改札口でニコニコ手を振っていた。

 …帰路は東海道線の緑とミカン色の湘南電車に乗って東京駅に向かう。

 電車鉄道が大好きな王子は本当に横浜に行くのがいつも楽しみであった。


 …その後、月日が流れて王子が高校生になった春、フミの叔父さんは亡くなった。

 寂しいと思う反面、王子にとっては、良い時代が1つ消え、良い思い出が1つ残って行くということなのであった。


 …その後、王子は身近に紳士淑女と感じるフォーマルな大人というものを見なくなった…気がするのである。


 追記…

 横浜のフミの叔父さんの姿は今も森緒 源の心に残っています。

 キザなことを言えば、叔父さんのように後年になっても、冷たい墓標の下で眠るより人の胸の奥に暖かく生きる大人になりたい、と思っています。


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