9月16日 三十六計逃げるに如かず

 ハイパームテキ!

 雪車町地蔵だ。


 割と現代日本、逃げるという言葉に負位置のニュアンスを与えている。

 逃げることは卑劣だとか、もっとまじめにやれだとか、悪いことだ的な意味が強い。

 それ自体は、別に社会の流れなので、どうでもいい。

 私は言語学者じゃないし、思想家でもないのだから。


 ただ、興味深いので、少しだけ考えてみようと思った。

 逃げることは果たして悪いことか──これについてのアプローチは、多岐にわたる。

 純粋に言葉としてとらえること、社会的責任、そういうのは専門家に任せよう。

 私はもう少し、衒学的だ。


 三十六計に逃げるに如かずという言葉がある。

 これは、戦いにおける作戦のうち、最後の策である三十六番目は逃げることですよ、という意味だ。

 三十六計は、孫子とかに比べると日本ではマイナーだが、割と大陸のほうでは庶民的な考え方とされている。


 戦うときの準備とか、工夫とか、心構えみたいなもので、ツッコミどころは多いのだけれど、案外頷くところも多い。

 そのなかで、最後の最後、ほかの手がすべて通用しなかったときに取るべき手段として、逃げなさいということが書かれている。

 つまり、逃げるとは最終手段であって、できるだけ考えてみなさいよというのが、三十六計なのである。


 全力を尽くしてから逃げろというのだから、額面通りに受け取れば、初手から逃げるのは悪手なのかもしれない。

 だが、逆に言えば、どうしようもないならさっさと逃げろという意味だと、受け取ることもできる。


 古今多くの歴史、物語に出てくる才覚ある軍師は、この逃げ時を見計らうのが、滅茶苦茶うまかった。

 つまりは高度な柔軟性を持って臨機応変に対応せよということなのだが、そんなもの、一般人にはわからない。

 逃げたいと思ったら、逃げてしまえばいいと、個人的には思う。


 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれともいう。

 まあ、あれだ。

 割と適当な物言いになるが、つまりは〝逃げるが勝ち〟だと、私は思うのだった。

 そういうわけで、以上!



(なるほど)

(なにがなるほどです?)

(こうやって唐突に終わっても、逃げるが勝ちと言っておけば勝ち逃げできるというわけだな)

(うぐぅ……それは内緒にしておいてほしかったですね……それでは、アデュー!)

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