約束

「じゃあ、ほんとに部長とは付き合ってないの……?」


 あの瑠璃の告白は言葉足らずだったこと、瑠璃に彼氏役を頼まれたこと、偽物の恋人なったことを説明し終えた後の、あかりの第一声がそれだった。


 事情を説明されても、どこか不服そうで、納得がいっていないようで、未だに疑っているようだった。


 だが、それも仕方のないことなのだ。


 その時の事情を知っているのは夜と瑠璃しかいない。あかりも聞いていたのだろうが、頭が真っ白になっていたため会話の内容を一切覚えていないのだ。だから、夜と瑠璃が結託して嘘を吐いているという可能性だって大いにあるのである。


 夜がそんな嘘を吐かない人だということはあかりだってわかっている。きっと、夜の話は本当で二人は付き合っていないのだということもわかっている。


 だが、それでもどこかで信じられない自分がいるのだ。


 本当に付き合っていないのか。嘘を吐いているだけじゃないのか。そんな疑念は夜の説明を聞いた後でも払拭されないでいた。


「ねぇ、ほんとに?」


 不安で不安でたまらなくて。


 そんな不安を取り払ってほしくて、取り除いてほしくて、何度も何度も同じことを聞いてしまう。


「ほんとだって」


 だというのに、夜の言葉を聞いても疑念が消えることはなく、益々不安になるばかり。


 どうしても、疑念が、疑惑が、疑問が、疑心が。一向に消えてくれないのだ。


 そんなあかりの心境など知るはずもない夜は、自室へと向かうために歩き出し。


 あかりは服の裾を掴み引き留めた。


「あ、かり……?」

「おにいちゃん、一つだけ聞きたいことがあるの……」


 すでに何度も何かを聞かれているような気がするが、夜は何も言わずあかりに向き直る。


 真剣なあかりの瞳を見たら、横からとやかく口を出すのは無粋極まりないと思ったから。


「帰ってくるよね? 絶対に帰ってくるよね? もう二度と、勝手に遠くに行かないよね?」


 きっと、あかりが不安で不安で仕方がないのは、一年前のこと――夜が何も言わずに出て行ったことが未だにトラウマとして根付いてしまっているからなのだろう。


 夜にどこか遠くへ、手の届かない場所へ行ってほしくない。


 だから、夜と瑠璃が付き合ったと知ったとき、何もかもを失ったと思ってしまったのだ。


 本当は付き合っていないのだと、ただ彼氏役を頼まれたのだと知らされた後でも、ぽっかりと空いた心の傷が埋まることはない。


 故に、疑惑に疑念に疑問に疑心に囚われている。


 帰ってこなかったらどうしようと、またどこか遠くへ行ってしまったらどうしようという不安に苛まれ続けているのだ。


 きっと、あかりが欲しかったのは夜の言葉ではない。


 絶対に帰ってくると、もう二度と遠くへ行かないと、約束をして欲しかっただけなのだ。


 そんな想いが、あかりの涙とともに音となった。


「……帰ってくる。遠くにもいかない。約束するよ」

「……約束だよ、おにいちゃん」


 約束は守ることは難しいのに、破ることは赤子の手をひねるよりも簡単なこと。そう簡単に信じられる言葉ではないのだが。


 あかりの不安は約束というたった一言で何事もなかったかのように消え去っていた。


 あかりは知っている。夜は約束を必ず守る人だということを。


 だから……。




 翌日の早朝――午前五時。


 未だに眠っていたいとだらける気しかない脳を無理矢理動かし、せめてもの抵抗なのか無駄に重たい瞼をこする。


 流石にパーカーを着ていくわけにもいかず、かといってまともな服装なんて生憎持ち合わせていないので、柳ヶ丘高校の制服に袖を通す。格好がつかない気もするが、少なくともパーカーよりは幾分かマシである。


 洗面所へ向かい、鏡を見つつネクタイを結ぶ。普段は曲がっていようがちゃんと結べていなかろうが別に気にしないのだが、流石にそんなわけにもいかないだろう。第一ボタンも開けられないし。


 そうして身だしなみを整え、昨夜の家に作っておいたおにぎりを頬張り、着替えやら何やらを詰め込んだリュックを背負った夜に。


「もう行くの?」


 いつの間に起きていたのか、あかりが声をかける。


「瑠璃先輩の実家が遠いらしくて早めに……って、あかりも聞いてたんならわかるだろ……?」


 つい忘れそうになるが、あかりは盗聴をしていた。だったら、それくらいあかりだって知っているはずである。


 ちなみに、盗聴器やら発信機やらが仕込まれていた例のストラップは外してある。プライバシー侵害極まりないし。


 まぁ、夜が眠っている間に他の手を打たれている可能性はあるが……。それはそれ、これはこれ。その時はもうあきらめた方がいいかもしれない。


 愛用のスニーカーを履き、玄関のドアへと手をかける。


 夜は肩越しに振り返り。


「――行ってきます」


 本当なら、行かせたくはない。


 彼氏役とはいえ、偽物の恋人とはいえ、演じるだけでも本音を言えば嫌だ。


 けれど、それを言ったところで夜はやめない。瑠璃を助けるために。


 夜が優しいことなんて、傍で見てきたあかりが一番知っているのだから。


 一夜明けて、消えたはずの不安はひょっこりと顔を出し何食わぬ顔で戻ってきていた。疑惑も疑念も疑問も疑心も完全に消え去ったわけではない。


 けれど、約束してくれたから。


「――行ってらっしゃい、おにいちゃん」




~あとがき~

 今回はなし! ギリギリになってすみませんでしたッッッ!

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