十三 金幕


「なにっ!」

「むむっ」


 俺の声に、地球王も振り返る。

 噴火か? いや、何かが違う。

 地揺れも音もなく、彼方にそびえる峰々の影の上で、ただ橙色に輝く光の雫だけが沸き立つよう躍っている。

 それだけじゃねえ。稜線に沿って光の筋が左右に伸びて行き、更にはその光が頂を越え、こちら側へも溢れ出して来くる。

 まるで煮え滾る光が、この山塊全てを飲み込もうとしているかのようだ。

 そして湧き上がる光の飛沫のど真ん中から、巨大な火柱が立ち昇ろうとしていた。


「ぬわははははっ! とうとうやったぞ!

 見よ、あれこそ紛れもない地脈の息吹! 不二の産声に他ならぬ!」


 だが!


「違う! よく見ろ、あれは噴火なんかじゃねえぞ! あれはっ!」


 そう。地を圧倒し天空を照らす神々しいまでの光の塔、それはただの火柱などではなく、明らかに生き物の動きをしていた。


「龍神か……」


 振り翳す鋭い鉤爪。

 蛇のようにくねる胴。

 そして天に向けて大きく開いた顎の下には、一際鋭く輝く宝珠を掲げている。

 余りにもデカすぎて感覚がおかしくなっちまっているが、確かあの腕一本でさえ大穴と同じ太さ、村一つ分もあったはずだ。

 それを思えば、あの姿そのものが不二の山と大差ない大きさだということが判る。

 しかもあそこに見えているのは、せいぜい胸から上の部分だけだ。全身を現わしたら、いったいどれほどのものになるのか。

 駄目だ。あれはもう……、人間の手に負えるような代物じゃねえ……。


 龍神はそのまま天に昇ろうとしているのか、それともそこに留まるつもりなのか。時折、首を振るようにして身をくねらせる。

 その度に、広大な山脈の上に光の飛沫が躍った。


「おおおお……」


 地球王が歓喜に眼を輝かす。

 完全に隙だらけだ。今こそこいつをぶっ飛ばす好機。

 には違いねえんだが、俺自身もこの光景に度肝を抜かれ、頭の芯まで痺れちまっていた。

 指一本動かすどころか、眼を離すことすら出来やしねえ……。


 天を仰ぐ龍神の頸部で、宝珠が更なる輝きを放つ。

 同時に、山塊全体が一気に光で溢れ返った。

 彼方にそびえ立つ峰々は完全に溶け崩れ、姿を消す。代わりに湯が沸き立つように、光の飛沫が躍り狂っているのが見える。

 あれは一体何なのだろう。溶けた岩のように見えるが、それにしても輝きが強すぎる。それとも、あまりの高温のせいでそう見えているだけなんだろうか。

 そしてとうとう、湧き出した光は村近くにまで達し、峠を越えてこちら側へ溢れ出して来た。


 津波のように。遠目には遅い足取りに見えるが、間近で見れば怒涛の勢いに違いねえ。

 山を下り切れば、あとは遮る物など何もない。すぐにここへも押し寄せて来るだろう。

 あのそびえ立つ山々の全部が溶けて流れ出したとすれば、ここら一帯どころか、どこまで被害が広がるか見当もつかねえ。

 逃げようにもとても逃げ切れるもんじゃねえ。村も、畑も、野も川も、全てが飲み込まれ、押し流される。


「くそ……。今度こそ、これまでか」


 諦めかけた、その時だった。

 村に程近い麓の一角から、突然火柱が上がった。


「なにっ!」


 その火柱は渦を巻きながら天空まで一気に伸び上がると、光の津波の前に立ちふさがるように、大量の火の粉を撒き散らせながらそびえ立つ。

 あの場所は確か……。

 そうだ、あれは火なんかじゃねえ。力任せとも言える圧倒的な輝きで闇を押し退け、辺りを昼間のように煌々と照らし出す、あの金色こんじきの光は!

 蓬子か!!


 驚愕に眼を剥く俺の前で、その光の柱は幕を張るように、横に大きく広がり始めた。

 あの本堂の中で見た光の靄にも似た、仄かな煌めき。金色の薄幕が、村と山を隔てるように広がって行く。

 もしやあれで龍神の山津波を遮ろうというのか。だが果たして、あんな物で防ぎ切れるか。


 そんな俺の心配を余所に、金色の薄幕は更に広がって行く。

 どこまでも、どこまでも……。あっと言う間に地平の彼方から彼方まで伸びて行き、端が見えなくなっちまった。

 まさか、この山塊全部を囲っちまうつもりか?!


 俺の脳裏に、昨夜の撫子の言葉がよぎる。


『首尾よく我らが地球王を倒せば、それで良し。

 じゃが万が一それを果たせず龍神が暴れ出す事態となった時には、これに対抗できるのは蓬子だけじゃ』


 あいつ、本気で龍神とやり合おうってのか……。


 そして遂に、橙色の怒涛と金色の幕が激突した。

 薄幕を通して、向こう側の様子もよく見える。

 山津波は、幕に達すると硝子の壁にぶち当たったように大きく撥ね返り、激しく乱れ狂った。

 薄膜はその華奢な見た目とは裏腹に、山をも越える怒涛に襲われてもビクともせず、里を目前に、金と橙の入り混じった光の絶壁を形作る。

 どうやら山津波は光の薄幕を越えることは出来ねえようだが、その代わり壁の内側で嵐の海のように激しく波打ち、大量の飛沫しぶきを飛ばした。


 その内の幾つかは遂に壁を越えてしまい、こちら側に降り注いだ。

 遠目には小さな飛沫程度と思われたが、そいつは地に落ちると大音響を響かせて炸裂し、野や畑に大穴を開けたうえ、広範囲に炎を撒き散らした。

 ちくしょう、やっぱりあれは溶けた岩じゃねえか!

 しかも元がデカすぎるから感覚がおかしくなっちまっているが、あれ一粒が家の二・三軒分はある。

 雫の一滴でさえあの威力。これであの山津波が丸ごと押し寄せてきたら、ここら一体、いや国の半分が火の海に沈む。


 俺は思わず地球王を睨み付けた。

 このクソ猿め、何が不二の山だ。それどころの騒ぎじゃねえだろ、この大馬鹿野郎が。


 だが立ち塞がる金色の壁は、膨大な量の光の波に押されながらも、微塵の動揺も見せちゃいねえ。

 薄膜どころか、十里四方にも及ぶ広大な土地を丸ごと囲い込み、煮え滾る岩と龍を封じて漏らさぬ、巨大な鉄鍋と化していた。



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