八 嚆矢


「来るぞ」


 撫子が、薪棒を光剣に変えて構える。

 周りの侍達も刀を抜いて身構えて見せてはいるが、皆、戸惑いを隠せねえ様子だ。まあ無理もねえ、なにしろ向かって来る相手はついさっきまで仲間だった連中だからな。


「おい、どうするんだ。本当にやるのか」

「決まっているだろう。こちらが遠慮しても、向うは手加減なんかしてくれないぞ」

「でも、あいつは俺の……」


 ざわつきは収まらねえ。

 だが、そうこうしている内にも、先鋒隊であった死人どもは間近に迫っていた。

 どうする、このままやるのか。

 と、俺も刀を抜いて身構えたのと時を同じくして、藪の間から更に多くの死人が姿を現してきた。

 ただし、今度出て来たのはさっきまで味方だった奴らじゃねえ。正真正銘の敵だ。


 それにしても、おいおいおい……。

 こりゃあ千人以上もいるんじゃねえのか。

 そして森の方でも、あちこちで叫び声が上がったかと思うと、続いて剣を打ち合う甲高い音が響いてきた。

 どうやらあっちも始まっちまったようだ。

 こうなったらもう、やるしかねえか!


「ふん。この程度の数など、どうということもない」


 狼狽え気味の部下に痺れを切らしたのか、居並ぶ侍達を押しのけて、那須の大将がズイと前に出た。


「お前達は下がっていろ。俺がまとめて成仏させてくれる」


 大将はそう言うと、例の鉄弓を死人の群れに向けて大きく構えた。

 でも大将、矢をつがえてねえぞ。いったい何をする気だ。


「南無八幡大菩薩! 我に力を与えたまえ!」


 大将が天に向かって叫ぶ。すると鉄弓が、眼も眩むような光を放ち始めた。

 更に「むううんっ!」と気合を込めて弦を引くと、そこに弓と同じように輝く大きな光の矢が現れる。

 それもただの大きさじゃねえ。矢というよりもむしろ大槍と呼びたくなる程の、巨大な光芒だった。


 その場にいた全員が驚愕の目を向ける中、大将が光の矢を放つ。

 そして驚きはそれだけに留まらなかった。矢は放たれると同時に数百本にも分かれ、野を埋め尽くす死人の群れに一斉に襲いかかって行ったのだ。

 しかもその矢は敵を捕らえても勢いを衰えさせることなく、その体を軽々と突き抜けて後ろに居並ぶ者達までも一気に葬り去った。

 死人だけじゃねえ。草も木も、そして岩までもだ。

 大将の放った矢はその進路にある物全てを一直線に粉砕しながら遥か前方の森の彼方まで飛んで行き、最後は静かに消えていった。


 光が飛び去った後には、綺麗に薙ぎ払われた一面の草原だけが残されていた。

 すげえなんてもんじゃねえ、千人以上もいた死人共を一撃で片付けちまった。こりゃあ、撫子のあの大技にも劣らねえ威力だぞ。


「者共、進め!」

「「「おおおーっ!」」」


 号令一下、軍団が前進を再開する。

 森の方はどうやら大した人数ではなかったらしく、騒ぎは次第に収まりつつある。

 那須の大将はその場に留まったまま、侍達が馳せて行く様子を眺めていた。


「大将、すげえっすね」


 俺がその背中に声をかけた、その時だった。

 ドス、と音を立てて鉄弓が地面に落ちた。


「大将?」

「ぐうううっ……」


 大将がうめき声を上げながらその場にうずくまる。


「大将!」

「どうした、与一!」


 俺と撫子は慌てて手を差し伸べようとした。が、正面に回って思わずその手を止めた。

 なんと、大将の両腕が真っ黒に焼け焦げ、ブスブスと音を立てながら煙を上げている。


「これは……」

「大将、大丈夫っすか!」

「ふはは……。どうやら、八幡菩薩の聖なる力はこのよこしまな体には合わんらしい。

 なんとも情けないことだが、これではあと何発も撃てそうにないな」

「何を暢気なことを言っておるか。これ以上は一発たりとも射てはならぬ」


 撫子が、声を荒げて大将を叱った。


「撫子、この傷なんとかならねえのか」

「無理じゃ。私の力では傷を深めるだけじゃ」

「そうか、くそっ」


 他の死人なら、こんな小さな火でもあっと言う間に火達磨になっていたはずだ。やはり大将の体は、他の奴とは大分違っているらしい。

 だがそうは言っても、このままでは弓を引くことはおろか刀を振るうのも難しいだろう。どうにかして傷を癒すことはできねえものか。


(おい)


 その時、何者かが俺を呼んだ。


「誰だ」

(誰でもねえよ。俺は俺だ)


 それは、俺の中のもう一人の俺だった。


 もう一人の俺は、それまで俺の中でずっとうずくまって大人しくしていたが、何を思ったかいきなり俺に話しかけてきた。


 何の用だ。今忙しいんだからすっこんでろ。

(おい、この俺をあまり舐めんなよ。俺はお前に負けた訳じゃねえんだぞ。

 ただお前がこの女を守ろうとあんまり必死なもんだから、可笑しくなっちまっただけだ)

 てめえ……。

(それにしてもお前らしくもねえ、こんな乳無しのどこが良いんだ?)

 うるせえ、ほっとけ。用がねえなら黙ってろ。

(はっ、御挨拶だな。せっかく手助けしてやろうってのによ)

 手助けだと?

(そうだよ。おめえ、このおっさんを助けてえんだろ?)

 そうだよ。だが死人の体なんて訳がわかねえし、撫子でも手が出せねえとなると……。

(ははっ、女頼りで泣き言かよ。なっさけねえ)

 何が言いてえんだよ。言いてえことがあるんならはっきり言え、俺は今忙しいんだって言ってんだろ。

(お前の体の中には、万能の秘薬が流れてるんじゃねえのかい?)

 秘薬?

(マリモに貰っただろうが。ああ、でもこれも女頼りか。男の意地が許さねえか?)

 そうか! 摩璃桃の血か!

 でもちょっと待て、あれは竜神の力だぞ。八幡菩薩と同じで死人には返って毒じゃねえのか?

(神とは言っても、仏なんかとは違ってどっちかっていうと物の怪の類だろう。やってみる価値はあるんじゃねえのか?)

 そうだな……。


「大将、ちょっとごめんよ」


 俺は大将の腕の上に自分の左腕を差し出すと、刀で小さく切った。


「何をする」


 訝(いぶか)しむ大将の腕に、俺の血がポタポタと滴になって落ちる。

 するとその腕が緑色の光に包まれ、焼け爛れた傷が見る見る癒されて行った。


「おお……」

「なんと!」


 撫子までもが驚きの声を上げる。


「どうやら上手いこと行ったみたいだな」


 俺はもう一方の腕にも血を垂らした。そちらも緑色の輝きと共に見る見る癒えて行く。


「お前は、いったい何者なんだ?」


 大将が驚きに目を見開いて尋ねてくる。

 うーん、何者って訊かれてもなあ。今の俺は自分でもよく判らねえ状態になっちまってるし……。


「この血はただの借り物でさ。詳しいことは言えねえけど、この山の神様の御加護ってとこかな」


 流石に、河童の血の秘密を教えるわけにはいかねえ。


「まあとにかく、前へ進みましょう。砦はもうすぐそこですぜ」

「応!」


 大将は力強くそう答えると、再び鉄弓を手にして立ち上がった。

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