十六 舞



 その日の夜。

 寺の境内には、大勢の村人達が集まっていた。

 本堂の前には大きな篝火かがりびが二つ、それから広場を囲むようにいくつもの火が焚かれている。

 下手しもてには、笛と鼓。

 こんな山奥であっても、奏者の心配はなかった。祭りにがくは欠かせねえから、どこの村でも一人や二人の芸達者はちゃんといるもんだ。


 撫子は、これも名主が大急ぎで揃えてくれた真新しい巫女装束に身を包み、両手に鈴を付けた格好で、本堂を背に正面を向いて立っていた。

 篝火に照らされ、眼を伏せ死者に黙祷を捧げるように、静かに立ち尽くす。暗闇の中にぼうと浮かび上がるその姿は、ここではないどこか遠い世界を覗き見ているようで、集まった村人達はその幻想的な景色に、既に心を奪われている様子だった。


 暫くそうした後、顔を上げ、両手を大きく広げたのが合図になった。

 ぽん、と鼓が打ち鳴らされる。

 ひるるう、と笛の音が漂う。

 撫子が緩やかに足を前に踏み出した。


 俺は後ろの方で、銀杏の木の下に座り込んでその様子を眺めていた。

 佐助爺さんには、そんな遠くでなく一番前で見ろと叱られたが、俺はここでいいと断った。

 一番前でなんて、そんな照れくさい真似ができるかってんだ。


 がくの音に合わせ、撫子がゆるゆると舞う。

 舞いながら時折、手にした鈴をシャン! と響かせる。

 シャン! シャン! と鈴の音が響く度に、頭の中に水飛沫が弾けるような鮮烈な衝撃が走った。

 その、魂を清水で洗われるような心地よい刺激は、夏の夜の蒸し暑さまで忘れさせてくれるようだ。


「へえ、やるじゃねえか」


 時に緩やかに、時に激しく。

 撫子の舞は谷間を走り抜ける清流のように清らかで、そして力強く。村人たちの傷ついた心を浄め尽くして行く。

 観る者も舞う者も、時が移ろうのも忘れて恍惚の狭間に魂を漂わせる。

 巫女は闇の中に跳び、廻り、馳せる。

 髪を振り乱し、燃え盛る炎に肌をさらしながら。

 激しい動きで襟もはだけ、胸元が露わになるのも気にせず。

 ほとばしる汗すらも見せつけるように……。


「ふん、相変わらず色気のねえ乳だ」


 その途端、頭の中で怒号が響いた。


(大きなお世話じゃ! この痴れ者がっ!)


 俺はびっくりして撫子の顔を見た。あいつ……。

 撫子は踊りながら俺の方を見、ニヤリと笑った。歯をむき出しにした、獰猛な獣の笑みで。


ろうよ、私を見よ。もっと、もっとじゃ。体の隅々、手足の付け根の、その奥の奥まで!)


 衣は肩から滑り落ち、汗にまみれた背中を篝火が妖しく照らし出す。

 高く蹴り上げられた脚が根元まで剥き出しになり、大胆な仕草と細身に似合わぬ筋肉のうねりが、暗闇の中でいっそう艶かしさを際立たせる。

 撫子は踊りながらずっと俺の方を見つめ続け、俺ももはや目を逸らすこともできずに、その視線に釘付けになっていた。

 さあ、もっと見せてみろ。もっと、もっとだ!

 既に俺の目には踊り狂う撫子の姿しか映っておらず、頭の中には鈴の音だけが鳴り響いていた……。



 それからどれ程の時が経ったのか。気が付くと、辺りは静寂に包まれていた。

 篝火は既に消え、境内は暗闇の中。

 笛や鼓の音も去り、村人達の姿すらねえ。

 そして俺の前にただ一人、撫子が立っていた。

 撫子は、舞っていた時の恰好のまま。衣ははだけ落ち、汗に塗れた体を晒したまま、魂を抜かれたような虚ろな目で俺を見下ろしている。


「狼……」

「いつまでそんな恰好をしている。体を冷やすぞ」


 ボソリとそう告げると、撫子は崩れ落ちるように体を預けてきた。


「狼……狼……」


 首に手を回し、かすれた声で俺の名を呼ぶ。

 頬を伝い落ちるのは、汗。それとも涙であったか。

 濡れた肌は冷たく、まるで水の中から出てきたかの如くに凍え震えている。

 だが同時に、その奥に潜む火のように熱い何かを感じた時、俺はこいつが女であった事に初めて気が付いたような気がした。


 俺は、その細い腰を無言で抱き寄せた。



 ――*――*――*――



 目を覚ますと、もう日は高く昇っていた。

 撫子は既に起きていて、俺の隣に座り込んだままボーっと遠くの空を見つめていた。


「よう」

「ああ……、起きたか」


 撫子が振り返らずに答える。

 俺はその横顔を黙って眺めながら、昨夜のことを想い返していた。

 あれは本当に現実のことだったよな。なんだか夢の中の出来事みてえだ。


「のう、狼よ」


 撫子が、遠くを見つめたまま言った。


「ん?」

「子ができた」

「ブッ!」


 思わず噴き出した。こいつ……、まさか……。


「い、今。何て言った」


 撫子はチラとだけ俺の顔を見ると、まるで出来の悪い子供を見るような苦い顔をした。


「何をそんなに驚いておる。犬猫とてすることをすれば子くらいできる。人も変わりはなかろうが」


 俺は皆まで聞かず、ガバと起き上がり喚き散らした。


「ふざけんなてめえ! 昨夜ゆうべの今朝で何言ってやがんだ!

 たった一晩でそんなことが判るか!」

「判ってしもうたのじゃから仕方なかろう。

 私はおぬしの子を産む。そしてその子が子を産み、さらにその子がまた子を産んで、私らの子供たちが地に満ちてゆくのじゃ。

 五百年の後には、千人にもなっていようぞな」


 撫子はそう言って嬉しそうに腹を撫でた。

 出会ってからこれで何度目になるだろう、俺は思った。こいつ、頭おかしいんじゃねえのか? と。

 だが、そうじゃないことも俺はよく判っていた。

 こいつがこうだと言ったら、それは本当にその通りに決まっている。そういう奴だ。


「お前、生娘だったよな」


 つい口に出して聞いちまった。

 昨夜の感じ、まさかと思ったが間違いねえ。


「うむ、おぬしが初めての男じゃ。どうじゃ、嬉しかろ?」


 声色は特に動揺した様子もなかったが、チラリと俺を見たその目は何かを語っていた。

 ふーん、そうかい。


「いや、それより驚いたよ。こんな色狂いの変態女のくせに、まさか男を知らなかったとはな」

「ふん、私の勝手じゃ。今まで本気で抱かれたいと思った男がおらんかっただけじゃ」

「んじゃ、なんで俺なんかに抱かれたんだ? それも勝手か」

「そうじゃ、おぬしに抱かれとうなった。おぬしの子が欲しくなった。私の勝手じゃ」


 おっ、声に落ち着きがなくなってきたぞ。へへ、面白れえ。


「へー。で、何で俺なんだ?」

「知らぬわっ!」


 何だか拗ねてるみたいに見える。もしかして照れてんのか?

 こいつが……?


「プッ、クックックッ……」

「なんじゃ、何を笑うておる」

「いや、おめえも結構かわいいとこあるじゃねえかと思ってよ」

「こ、この痴れ者が……」


 顔を真っ赤にして立ち上がる。


「ぶはははっ、お前そんな娘っこみてえな顔ができたのかよ! あははっ!」

「死ねっ!」


 腹を蹴られた。

 痛ってえ!

 けど、あははははっ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る