九 魔修羅
「まあ良かろう。
さて、いかな頭の悪い犬神とてこれくらいは判っておるだろうが、月は途方もなく遠い。空の向こうの遥か彼方だ」
一々俺のことを馬鹿にすんな、くそったれが。
「遠い所へ物を飛ばすには、莫大な力が必要だ。
そこで儂はまず、その力についての研究を始めた。今はそんなところだ」
「まだそんな取っ掛かりの段階か。随分と気の長いことじゃの」
「なに、焦る必要などない。
月へ届いたところで、儂が真に求める物はそのまたずっと先にあるのだ。百年や二百年の時は何程のものでもないわ。
それに、何をするにも力は必要だ。強い力は何にでも応用できる。
目下の研究課題はそこにある」
「なるほど、強き力か。それで?」
「グフフ……。ではこれを見よ。これが何だか判るか?」
地球王は、そう言って不気味に笑うと、懐からなにやら灰色の鈍い光を放つ、四角い塊を取り出した。
「「!!!」」
その塊を目にすると同時に、俺と
「なんだ、それは……」
正体はさっぱり判らねえが、途轍もなく危険な物だということは一目で感じられた。
あれは、瘴気の塊りそのものだ。
「ぬはは……、そう怖がる必要はない。これはただの鉛の箱だ。真に恐ろしき物は、この中に封じてある」
ただの箱だと? じゃあこの凄まじい瘴気も、隙間から漏れ出しているだけだっていうのか。
「この中には、儂がユウロパの地の遥か南方にある暗黒の大陸で見つけた、とある
これは面白いぞ、力と憎悪の塊だ。このような呪われたものが何故この世に存在するのか、それだけでも実に興味深い」
力はまだ判るが……。
「憎悪の塊ってのは、どういう意味だ」
「この石鉄はな、石ころのくせにこの世の全てを憎んでおるのだ。
故に、近寄る者を一人残らずその熱と毒で犯し、焼き尽くそうとする。相手は生き物だけではないぞ。石だろうが水だろうが同じだ。
そのうえこやつの毒に犯されたものは、それと同じ毒を身に纏い更なる憎しみを撒き散らすのだ。
なんとも素晴らしき力ではないか」
何が素晴らしいだ、ふざけやがって。
「だがその憎悪とても、ほんの少量なれば重宝な熱源となる。色々使いどころがあって便利であるぞ。
例えば、儂の可愛い
そういう仕組みだったのか……。いや、これだけじゃ何も判らねえけど。
「そんな、とんでもねえ物を使っていやがったのか」
「はっは!
野を焼く劫火とて、上手に使えば飯も炊ける。命を永らえる薬物といえど、摂り過ぎれば毒となる。強き力とはそういうものだ。
だがそれをとんでもないと言い放つ貴様も、何も判ってはおらぬ。この石が、どれほどとんでもない代物なのかということをな」
「なに?」
「この毒石の何よりも興味深い所は、こやつがこの世で一番憎んでおるのが己自身だということだ。
判るか?」
「自分自身を憎む石?」
「そうだ。
この石は憎悪を外に撒き散らすだけでなく、それ以上の憎しみを己自身の中に荒れ狂わせておるのだ。
その力は、量が多ければ多いほど強く、激しくなっていく。
そしてある一定以上の大きさになると、内に向けた憎悪と憎悪がぶつかり合って更なる憎しみを生み出し、遂にはその途方もない熱量に自分自身さえ耐え切れなくなる。
その挙句に、大爆発を起こして果ててしまうのだ。周囲に、決して消えることのない瘴気と毒をまき散らしながらな。
どうだ、なんとも素晴らしいではないか。
儂はこの素晴らしい石鉄を、
撫子は、その小箱を目にした時からずっと押し黙ったまま、ただそれをじっと睨み付けている。
「魔修羅石か。確かにとんでもねえ話だが、
そんな小せえ石ころで、本当にそんな大爆発なんか起こせんのか?
しかも、その大陸にはそんな危なっかしいものがゴロゴロしてるだと?」
とは言ったが、その小箱からはこうして見ているだけでも目が潰れそうなほどの、ものすごい瘴気が
これであの蓋を開けたらいったいどんなことになるのか、想像するだけでも背筋が凍る。
「愚か者が、誰がゴロゴロしているなどと言ったか。
これは鉄や鉛と同じ、石の中に僅かに紛れ込んでいる魔修羅の成分を根気強く絞り出したものだ。
それにこんな小さな欠片程度では、何も起こらぬ。
儂は、この魔修羅石を千樽分ほど用意したのだ。百年もの歳月をかけてな。
もちろん爆発せぬよう小分けしてあるが、あれを一つに押し固めれば、この山塊を丸ごと吹き飛ばすくらいは造作もないぞ」
こいつ……。
「そんなことをして、何になるってんだ」
「ぬははは! 何にも成りはせぬわ、それだけではな。
儂の目的はその程度のものではない。ただ闇雲に爆発させるのではなく、算を尽くし最も効よく作用させたら一体どれほどの力を生み出すことができるのか。
それを見極めるのが、今回の実験の目的である」
「その為の穴掘りか」
「その通り。最も強い力を生み出すことの出来る最適な場所を、こうして探っておるのだ」
まったく、ホントにとんでもねえ話だ。
やっと話が繋がったのはいいが、こいつをこのまま放っといたら村どころか山ごとぶっ飛ばされちまうってことかよ。
いやその前に、龍神がそんなことを黙って見過ごすはずがねえ。もし本気で暴れ出したりしたら、それだけでも無事じゃ済まねえぞ。
「おい地球王。いい気になってこの山でそんなことを続けていると……」
「終いには、龍の逆鱗に触れてしまうか?」
「なにっ?!」
「うわっははは!
やはり貴様も知っておったのだな! この地に龍が潜んでおることを!
それくらいこの儂が知らぬと思ったか!
無論知っておる! 知っておるからこの地を選んだのだ!」
地球王は目をギラギラと輝かせ、歯をむき出しにして笑った。
「この地の深くに潜む龍神。その正体とは、この大地の奥底を縦横無尽に走る地脈だ。
そしてそこを流れる力の経絡の結節点。それこそが龍穴、龍の逆鱗である。
儂はこの魔修羅石によって龍脈の力を呼び醒まし、大地の奥底から果たしてどれだけの力を引き出すことができるのか、それを確かめようと試みておるのだ。
すなわち! 儂がこうして掘り当てようとしている宝とは、龍神の逆鱗そのものである!」
「てめえまさか。逆鱗の上で魔修羅石を爆発させて、龍神をわざと怒らせようとしているのか?!」
「そうだ! そして儂の算に誤りがなく、龍の力を正しく導くことができたそのときには!
グフ…、グフフ……」
地球王は勿体ぶるように言葉を区切り、その顔に今にも涎を垂らさんばかりの下品な笑みを浮かべた。
「この地に、新しい不二の山が誕生するであろう」
「っ!!」
山を吹っ飛ばすどころの話じゃねえ。そんなことになったら国を揺るがす大惨事になる。
「そりゃあ是非とも、お前が間違っていて欲しいものだな」
「間違っていた時には、龍の力は正しく天に向かわず、地の底に向かって脈絡もなく放たれることになるぞ。
そうなればこの大地を支える
まあこんな地の果ての小島などどうなっても構わぬし、大地が沈みゆく様を見物するのもそれはそれで面白かろうが、如何せん美しさに欠けるな。
出来得ることなら、あの美しい山をこの手で作り上げてみたいものである。
ぬは、ぬは、ぬうわははははっ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます