第5回黄昏の絡まり道

2013年 8月13日(火)


2年A組桂崎哲史は駅前のドトールで綾女悦子と会っていた。


すでに関係は冷え切っているが、綾女は桂崎の心が離れてることを敏感に感じ取っていた。


「別れようか?」と桂崎が切り出した時もそれほど驚かなかった。来るべき時が来たかと少しうつむく。


「あたしはどっちでもいいよ……哲史が終わりにしたいなら、それでいい」


「すまんな……」


なんで謝るの?という言葉も飲み込み、綾女は涙を隠さなかった。


桂崎は綾女の涙を見て、自分勝手だよな俺……綾女は何も悪くない。全部俺が悪い。


桂崎と綾女は気付いてないが、隅の席で2年A組の陣野一は2人のやり取りを聞いていた。席が離れているので、聞き取れない言葉もあったが、別れ話には違いなかった。


壁に耳あり、障子に目ありとはよく言ったもんだ。しかし陣野は人の不幸を触れ回るほど軽い男じゃなかった。


彼は剣道部に所属していて、硬派な男気溢れる人物だった。それは顔つきにも表れていて、精悍な渋い役者のようなルックスだった。


天国口高校に入学してからすでに3人の女子から告白されてるが、今恋愛をしてる時間はないと言い訳をして断ってきた。陣野は彼女など必要なかった。


彼は人間の”気”や”無”の境地を模索していた。年齢にそぐわないことに興味を持つ自分に違和感はなかった。


父も母も剣道を志していたし、子供の頃からそういった人間観を教え込まれていた。ドトールでも禅の本を読んでいた所だった。


やがて2人は席を立って帰っていく。






無言の貴公子”欅坂蓮次郎”は天国口高校の校庭の隅で、野球部の練習を見るともなしに眺めていた。


スマホが震えた。姉の加寿美からだった。


「姉さんも暇だね。また夕食でも奢ってくれるの?」


「もう暇、暇。夕食前にどこかでお茶しない?」


「別にいいけど」


「あんた、今どこにいるの?」


「高校だよ」


「成績いいんでしょ、補習の必要ないわよね?」


「別に高校に用はないけど、夏休みといっても行く所ないからね……暇つぶし」


「あんた人のこと言えないじゃない……」


「まあね」


欅坂蓮次郎は駅前のスターバックスコーヒーまで呼び出された。






加寿美はいつも何か物足りない表情をする。


「ほんと、別れて別の恋人探した方がいいかもしれない……俺から見ての意見だけど……」


加寿美は余計影のある表情になって「簡単に別れられない大人の事情があるのよ」とつぶやく。


「親父やお袋に気兼ねする必要ないよ……姉さんの人生だろ」


「う~ん、別に父さん達に気兼ねしてるわけじゃないけど……だって結婚してまだ4か月よ、別れるとなると相当な慰謝料を請求できると思うけど、なんか疲れちゃって、別れるエネルギーがないよ」


確かに加寿美は見る度にやつれてる気はする。姉を見てると結婚ってただ面倒臭いだけのイメージしかない。


蓮次郎は人間が複数の恋に走ってしまう事態を他人事のように思えない。なぜかというと自分も将来にそういう時期が来るかもしれないからだ。


大体16歳の自分に何を想像しようがあるというのか?姉の不幸な結婚のケースがトラウマにならなければいいのだが……。


恋か……また落ちてみないと何とも言えない。過去の恋があまりにも張りぼてのように幼いものだったから……自分はまだ本当の恋には落ちたことはないんだろう。







2年C組登戸源氏は野球部の練習に精を出していた。打率4割3分1厘を打つキャッチャーで4番の堂見健太郎のアドバイスを受けながら打撃練習をしてる。自分より2割近く打率の高い堂見を指標にしている。


堂見が言うには登戸は守備は優秀だから、もっと練習すれば、打率が3割に上がるのも夢ではないとのこと。


3年がほとんど退部してしまったので、登戸か今5番サードの中島幸人に3番を打ってもらうかもしれないとも言われてる。


今3番を打ってる2年C組のレフト健勝佑一は打率2割9分2厘と、そこそこの成績を残してるものの得点圏打率は1割1分2厘とチャンスに弱い。その点自分の得点圏打率は3割4分4厘を記録してるので3番を打つ可能性があった。総合打率2割4分8厘でも3番を打つわけか……。大役である。





陽が傾き始めた天国口高校……登戸源氏が校門を出ようとしたら、雨宮季理絵が寄ってきて、登戸の左腕に右腕を絡める。登戸は雨宮の頭をポンポンと優しく叩く、雨宮は微笑む。


夏の黄昏に可愛い高校生カップル……誰もが微笑ましく見送ってる。


2016(H28)5/26(木)・2019(R1)11/26(火)

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