欲が為に、意味を持つ―6―


 意外にも、彼女は頑なに、その場に居合わせようとしなかった。


『よく考えてみれば、小鳥遊会長が知っててあの“ミヤさん”が知らないのもアレっすもんね。うんうん。悩む事なかったっていうか、そんな権利元々なかったっすわ』


『アタシも一緒に?……や、いいっす。センパイ話してきてください。別にどんな風に話したっていいっすから。アタシがΩだって事、あの方はもう知ってますし……え?それはまあ、話の流れで自然と……もうっ、いいじゃないすかどーでも!』


『橘委員長によろしくどうぞ。そんでは失礼します!』


 別れ際のほんの数分で、咲夜はそれだけを伝え、足早に去って行った。嫌なら無理にとは、と言っても「大丈夫、好きにしてくれ」の一点張り。彼女のやるせなさそうな態度にどこか釈然としないながらも、それならまぁ……という事で、天華は予定を決行していた。


「───と、大体そういう訳でして」

「……う、うん?わかったようなわかんなかったような……」


 神楽坂女子学院寮。夕飯後の談話室。咲夜が来ないのならばと選ばれたこの場所、この時間帯は、夕飯前と比べてガラガラに空いている。天華は、來夢と都の両名に許可を取り、都だけ少しここに残ってもらうよう頼んだのだった。


「ごめんね、何だか色々と予想外すぎて……ていうか天華ちゃん、もう告白してたんだ。咲夜ちゃんに」

「ええ。出逢った翌日」

「うわぁ、凄い行動力……尊敬しちゃうな。私だったら絶対無理だもんそんなの。だってその、ごめんなさいってされたのに……?」

「はい。それでこの勝負に持ち込みました。諦められるようなものじゃなかったので」

「……そこだよ、そこ。よく折れないでいられるよね……やっぱり天華ちゃんて、ラムちゃんの従姉妹さんなんだ」


 自身の経験を思い出したのか、嬉しげに微笑む都。まあそう言われたところで喜ぶべきかどうなのか、若干微妙な気持ちになったのは伏せておくが。


「あ、それで思い出した!ラムちゃんは何て言ってるの?」

「來夢ですか?私の幸せに瀧本さんが必要なんであれば、応援すると言ってくれました」

「咲夜ちゃんは?」

「それが……“愛”=夢物語フィクションだと」

「……え」

「“運命”なんて信じてないから、αである私からの好意なんか受け入れられるはずがないと……そう断言されました」

「……」

「……何か?」

「……そっか。咲夜ちゃんが………それっていつ?」

「告白したその時なので、結構前……春頃になりますね……」

「ふぅん……」


 それからふと、都は黙り込んだ。その視線は手に持つカップ式自販機のミルクティーに注がれ、何かを話そうとする気配は感じられない。天華もそれに釣られて、自分のホットココアの湯気をしばらく目で追っていたが、これ以上沈黙を続けさせる訳にもいかない事を思い出した。

 意を決して、口を開く。何故なら都にこの話を打ち明けたのは、何を隠そう自分の協力者になって欲しい狙いがあったからだ。大っぴらでなくていい。図書委員会での彼女の様子や、興味のありそうな話題などを聞き出せればそれで……


「運命───」


 それを伝えようと天華が喉を震わせるより僅かに早く、都が茶色の波紋を揺らした。


「ってさ、誰が初めに言い出したんだろうね」

「……さぁ」

「意味だっていっぱいあるし。そりゃ今はもうあんまり使われてない言葉だけどさ?『さだめ』とも読めるのがまた深いっていうか………そういえば天華ちゃんは、最初から運命の存在って信じてた?」

「いえ、正直、全く」

「だよねぇ。その気持ちもよくわかる。……よし、決めた!」


 都は元気良く立ち上がり、悪戯っ子のような笑みを浮かべてこう言った。


「じゃあ私、咲夜ちゃんの味方になるね!」

「……っはい!?」


 何という無邪気な、それでいて誤算にも程がある意味不明な敵対宣言。

 いや何が?何が“じゃあ”なの?!と、天華は全力で顔面を崩し、慌てて横に並び立った。


「な!え?都さん!?突然何を……!」

「あ。別に天華ちゃんの邪魔立てするっていう意味じゃなくてね」

「は……!?」

「応援はするよ?もちろん。だけど天華ちゃんにはもうラムちゃんがついてるんだから。勝負なら公平に行かなきゃ!ね?」

「こ……!それは……っ、で、でもどうしていきなりそんな?確かにさり気なく、あの娘の周りから固めていこうとしてたのは認めますけど……」

「え?そうだったの?」

「あっ」


 墓穴を掘った。

 気まずそうに目を逸らした天華は、無限のような数秒を経てようやく息を吹き返す。


「……どうぞ、話の続きを」

「………うん。まあいいか。うん。えーとね?」


 空気が読める先輩は、一旦ミルクティーを一口含み、タイミングを整えてから話し出してくれた。


「ラムちゃんが君の幸せ優先で動くなら、私は咲夜ちゃんの幸せ優先で動こうかなって」

「……? 具体的には、どういう……?」

「ううん、特には何も。例えばそうだなぁ?もし二人の希望が食い違った時は、まずは咲夜ちゃん側に立ってみるとかかな。二人の言い分にもよるけど」

「……はあ」


 ──それのどこが邪魔じゃないのかしら……

 と、多少燻る思いが無い訳ではなかったが、それくらいの立ち位置であれば大して今の來夢と変わらない。予想していたものより優しい提案に、天華は少しだけ拍子抜けしていた。

 いやむしろ、そういう意味なら來夢の方がよっぽどやり辛いだろう。カグジョでは誰より顔も広いし耳も早いし、出来る限り彼女の中の“誠実”を守らないといけない暗黙的なルールもあるしで……ああ、思い返せばあれから何度、女神関連で雷を落とされた事か。


「あのね──これは私の自論なんだけど」


 そんな天華を察してか、スッと空気を改めて、「聞いて」と都。


「一言で言える割にはすっごく重い言葉だよ、“運命”って。天華ちゃんはそれを証明ししみせるってさっき言ってたけど、そんなに簡単に出来るものじゃない。──のは、もちろん言われなくたって君も良くわかってるよね。

……運命の分かれ道って言葉、聞いた事あるかな?その時選んだ道が正解だったかどうかは、死ぬ時になってみないとわからないけど。でもね……そうじゃない。そうじゃなくて──『その道でなら、例え死んでも構わない』って、心から信じられるのが“運命”だと思うの」

「……その道でなら、例え、死んでも……」

「あー、ちょっとネガティブな言い方だったね……ごめん、言い直す!」


 呆気にとられる天華を背に、都は飲み干した紙コップをくしゃりと潰し──ゴミ箱に向かって投げた。


「『この人とずっと一緒に生きていきたい』って!心から思えるのが“運命”!」


 ぱこん。とさっ…… 意気込んで投げられた割には、その紙コップは無造作に床に転がった。ひょろひょろと飛んでいったそれは、残念ながらゴミ箱のへりに当たったのだった。都は「あらら……」と恥ずかしそうに苦笑しながら、「こういう時、ラムちゃんならちゃんと決めてくれるんだけどな」と細々と呟く。

 少しばかり格好悪い姿ではあったが、天華はそれに対して何も思わなかった。それどころか──受けるのは、感銘。


(この人が……來夢の選んだ“運命”───)


 そして、衝撃。


「咲夜ちゃん……きっとだけど、本当は信じてるよ。“運命”」

「───!」


 更には──対抗心。


「だから、どうかあの娘の道になってあげてね」

「……元よりそのつもりです」


 大人しく紙コップを拾いに行った都へ、天華は負けじと言い返す。


「うん、その意気だ!」

「……要するにこれは、ある意味都さんからの挑戦と受け取ってもいいんでしょうか?」

「そうかな?そうかもね」

「あの。それよりどうして、そこまで瀧本さんに肩入れ──じゃないですけど……とにかく、あの娘を優先しようとするんですか?正直言ってかなり意外で、驚いてます。てっきり都さんは、私──來夢につくものとばかり思っていたのに」

「……ほっとけないからかな、同じΩの先輩として……」

「……そうですか」

「うん。それに何たって、咲夜ちゃんは私の大事な読者さ──アッ」

「……読者?」

「ど……どく、ドクシャ……どく……しょ!読書!そう!読書仲間、だから!ねっ!」

「読書仲間?ああ、図書委員繋がりで……」

「うんうん!とにかく幸せになってほしいの!」

「……それに関しては、」


 ずん、と重々しい口振り。天華は、自分がまさかこんなに低いトーンで先輩に話し掛ける機会があるとは思わなかった。声どころか、恐らくコンプレックスの鋭い目付きも、いつも以上に角度を増してその人を見つめているだろう。もはや睨み──いや、威嚇にも近かったかもしれない。


「貴女に言われずとも……」


 胸のざわめきがそのまま、刺々しく空気を震わせる。


「いえ、もうそれ以上、何も言わないでください……はっきり言って私、今凄く、都さんに嫉妬してます」


 私より先に名前を呼んでいたのもそう。

 共通の趣味で距離を近付けたのもそう。

 二人が同じ第二次性であることもそう。

 それを貴女が知らされていたのもそう。

 それを私だけが知らなかった事もそう。


「彼女を幸せにする?そんなのはもう当たり前、確定事項の話です。幸せに……誰よりもなるんですよ、私達二人で。生きてて良かったって、私と出逢って良かったって──私と、生涯を共にするために生まれてきたんだって……!そう心から信じてもらう為に、私は生まれてきたんですから」


 ──まあ、その辺はまだ証明途中ですけど……

 喉の奥に引っかかったプライドは、ココアと共にぐっと飲み干した。熱い何かがお腹の中でぐるぐるしているのが良くわかる。ゴミ箱に狙いを定めた天華は、握り潰した白いそれを勢い良く投げた。


 ぱすっ。

 見事なホールインワン!


「さすが!」

「ありがとうございます」


 楽しげに笑った都。はてさて、その言葉はどちらを指したものなのか、それこそ今はどちらでも良い。不思議な関係ではあったが、認め合った者同士の澄んだ空気が、二人を包み込んでいた。


「ほんと、ラムちゃんそっくり」

「……ありがとうございます?」


──

─────


「……まあでも、天華ちゃんには普段たくさんケーキご馳走になってるからなぁ」


 自室へと続く廊下を歩いていると、隣を行く先輩が何とは無しにそんな事を言い出した。


「はぁ……まあ。でもそれは……」


 ほんの少し、返答に困る天華である。都が言ったのは事実だが、だからと言って別に恩着せがましい気持ちはこれっぽっちも無かったからだ。誓って下心はない。無論それは今となっては、例え咲夜関連であってもだ。

 故に、その事を重荷に思い、何かしらで返そうと悩ませているのであれば逆に申し訳ない……と、言葉を選び始めた天華に──


「あっ。確か、ご実家で犬飼ってるんじゃなかったっけ?」


 ──思い付きで与えられた、都によるワンポイントアドバイスが。


 後に天華を、スーパーウルトラハイパーミラクルロマンティックな展開に導く事になろうとは、この時は……まだ誰も────。

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