誰が為に、華は咲く―4―
日本の学校の始業時間は早すぎる、なんてニュースが過去に話題になろうがならまいが、この日の天華が朝早く起きる宿命は避けられなかっただろう。天華だけでなく、全生徒の該当者多数がだが。
「おはよーございまーす!バレー部でーす!よろしくお願いしまーす!」
「おっ、君、背高いね!バスケとか興味ない?」
「おはようございます、弓道部です。まずは一度、見学に来てみませんか?」
……なんて。入学シーズンのお次は入部シーズンの到来だ。該当者である各部員達は、毎日の朝練に加えて勧誘活動に余念がない。天華達も似たようなもので、生徒会と書かれた腕章を付け、新入生の登校を出迎える列の先頭で声掛けをしていた。
「あ、生徒会長だ……!」
「ほんとだ。じゃあ、隣に居るのが竜峰先輩?」
「そうそう!はあ……やっぱ絵になる……私、生徒会入ろうかな?」
「え、マジ?」
とか言うヒソヒソ話も、正直もう慣れたもので。そしてそう言う人に限って大抵入ってくれないのも、何となくお察しで。少々不機嫌に肩を竦める天華を、まあまあとばかりに來夢が諌めるのが恒例であった。
生徒会による朝の挨拶運動。ある意味これが生徒会執行部の勧誘活動とも言えたが、本来は直接団体を見る事により、全生徒の清く正しい意識を高めるのが目的である。もちろんそれは、何もかも初めてな新入生も例外ではない。むしろ新一年生にこそ、生徒会メンバーは知れ渡るべきだと、学院は考えていた。何せ、彼女らは神楽坂女学院【カグジョ】の顔とも呼ばれる存在なのだから。
是非とも彼女達を見習って、気高く美しい生徒になって欲しい──と。そんな大人の思惑を全員が理解している。理解しているからこそ、実は天華は今、人知れず懸命に戦っていたのである。さて、何と?それは……
(ぜ、全然眠れなかった……)
過去最大級の寝不足と。
人間、お休みと唱えたら即座に夢の世界に飛び立てる生き物だったら良かったのに。と、突拍子もない恨み言をこの時程強く考えた事はない。天華は眠気と苛立ちを紛らわすべく、清廉な笑顔を貼り付けながら、昨夜の永い永い闇夜を想起してみた。
───
─────
天華は、天華なりに。あれから。來夢が泣きながらケーキを引っ掴んで部屋を飛び出して行ってから、ずっと考えていた。甘いものが喉を通らないこの状況は確かに異常事態で、未曾有の出来事で、つまりそれくらい自分はおかしくなってしまったのだと。状況は把握した。全く良くないが、とりあえずそこまではいい。いや本当にちっとも良くなんてないが。。
問題は、その要因。では何故ここまで急におかしくなってしまったのか?……と言っても考えられるのは一つしかなく、天華は自然と高鳴り出した胸を片手で抑えた。
あの娘だろう。まず、間違いなく。
親友が寝入ったのを確認し、天華はゴロゴロと寝返りを繰り返した。抑えた胸の真ん中が無性に詰まって、じっとしていられなくて。
「はぁ……」
口から勝手に溜息が漏れた。はぁ。
──あの時感じた気持ちを、何と表現するべきか。
それを、ずっと考えていた。何か、ああ、何か。そう、あったはずだ。あの感情を適切に言い表わせる、丁度良い具合の言葉が。でも、それは一体どのような言ノ葉だっただろう?
××の出逢い。
××の人。
××の赤い糸……。
うんともすんとも、閃かず。天華はしばらく、頭の片隅にしこりを抱えていたのだった。
───“運命”。
その答えを、親友の口から聞くまでは。
(ああ……それだわ)
拍子抜けする程ストンと落ちたその言葉。見覚えのある誰かの名前をようやく思い出せたような爽快さよりも、期待以上にピッタリと当てはまった驚愕が先に来た。
運命、そうか……運命。道理で辿り着けなかったはずだ。だってその言葉は、いや、関係は、とっくに途絶えているはずの結び付きだったから。例えαがΩのうなじを噛んでも他人のままな現代───少なくとも天華の中では、廃れた間柄を指す言葉だったのだ。
──なのに、私は。
今の今まで一考もしていなかったその因果。神の導き。見えざる絆。不思議な繋がり。予定調和。天の示し合わせ。当然、今すぐ信じ切れるはずもない。
……だけど。
もし、本当に。
“誰とでもいい”世の中で。
“貴女でなければダメなんだ”と、心から愛を叫べる存在がいるのなら。そんな気持ちになれる“唯一”に、巡り会えたとしたならば。
何て感動的。何て浪漫的。何て奇跡的。
……だから。
(私の運命は……出来れば、あの娘でありますように───………)
─────
───
何てことを一晩中願い続け、度々あの少女の笑顔を連想し、一人で勝手に悶えまくっている内に夜が明けた。そんなこんなで、全く眠れなかった。いや、夢見心地ではあったけれど……ってやかましいわ。
「おはようございま〜す!」
「竜峰先輩、おはようございます!」
「! ……おはようございます」
元気な新入生の挨拶で我に帰る天華。
(はぁ……また、らしくもない事を……)
アンニュイな面持ちで眉間を抑えながら、このままではいけない、眠気や意味不明な妄想に気を取られている場合じゃないと自らを叱咤する。
(私の評価はそのまま学園の評価にも繋がる……それに、同室で、従姉妹の私がみっともないと來夢の印象にも影響が……)
親友の頑張りを思い出し、気を取り直した天華はスッと前を見据える。上空では細い雲と若葉のコントラストが若人達の未来を照らしている。一陣の風が吹く。何処かで春を謳歌し切った花びらが、また会いましょうと宙を舞う。ええ、また来年。手のひらに乗ったそれに再会を約束し、風に飛ばしてさようなら。何とは無しに目で追って、今更気付いた蜜のような甘美な香りに───何故だか、身体が震えた。
(どうして)
下級生、同級生、上級生がひしめく昇降口前。目に映る全てが急にスローモーションのように見えてきて、一気に呼吸が出来なくなって、それでも視点が動かせなくて。
(どうして)
一年生を指す、青いスカーフ。膝丈ギリギリのスカート。黒のソックス。肩に掛かる、真新しい指定鞄。背が低めで、焦げ茶色の、ふわっと下ろした軽やかなミディアム。
……間違いない。格好は違えど、この私が見間違うものか。
(どうして……あの娘が、ここに……!?)
昨日、竜峰天華の核を溶かしたケーキ屋の店員が、今。目の前を、通り過ぎて行った。
頭を真っ白にして、目で追う事しか出来ない天華に、少女の残り香が容赦なく襲い掛かる。
「あ……」
また、これだ。この目が回るくらいに甘い香り。
──ここの、新入生だったのね……? 「どうして」に自問自答した天華の胸にその時、“運命”というワードが甦る。なるほど、これがそうなんだ。彼女にまた会えた喜び。感動から、今にも咽び泣き出したい衝動を必死に押さえると、無意識によろけた足が一歩列を乱してしまう。何だ何だ?と視線が集まりかけたその時、何者かが駆け寄って来る気配を感じた。
「行ってください、天華!」
「え……?」
何の事かわからずぽかんとする肩を強く掴んだのは、列の向かいに立ち、様子のおかしい天華にいち早く気が付いた來夢だった。
「今の人なんでしょう、貴女の“運命”は!」
「ら、來夢……?」
「話は後で聞きます、ここも任せてっ、だから今は行ってください!もし彼女がチャンスの女神だったら、もう前髪は掴めないんですよ?」
「………ありがとうっ!」
熱く込み上げる想いに身を任せ、突然走り出した天華に周囲はクエスチョンを浮かべるばかりだったが、送り出した來夢ただ一人だけは何だか誇らしげというか、謎のやりきった感を醸し出していて。たまたま側で一部始終を見ていた同級生は、堪らず彼女に尋ねた。
「來夢、どうしたの、竜峰さん?」
「……天華、Good luck」
「はぁ?」
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