第69話「たてたてヨコヨコ?」

 第六十九話「たてたてヨコヨコ?」


 「こんにちは、鉾木ほこのきさん、右手の具合はどうですか?」


 廊下を歩く俺に、ここでは珍しい日本語での声がかけられる。


 「こんにちは、安瀬日あしびさん、おかげさまで……」


 挨拶を返す俺の右手は清潔な白い包帯がグルグル巻きで、腕自体も首から吊り下げているという有様だ。


 すれ違う愛想の良い美人看護師さんに馴れない笑顔を返し、俺は歩を進める。


 今日も外は三十度越えの真夏日……病院内の廊下も空調設備があるとはいえ、入院患者のために過度な冷房は効かせられていない。


 ーー県内にある、私立アイゼルスタイン記念病院。


 ファンデンベルグ帝国が全面的に出資したこの施設は名目上は民間の病院だが、実質的には、かの国の専用施設で日本の中の外国、大使館と並ぶ治外法権だった。


 そして俺は無惨に引き裂かれた右手だけで無く、身体からだのあちこちをそこそこ痛めていて、一週間ほどベッドの上の住人だった。


 「……」


 久方ぶりの運動ついでに、ジワリと背中に汗を掻きながら目的の病室に向けて歩く。


 ーーもう大丈夫みたいだよ、事情聴取も粗方済んだそうだし……


 昨日も俺の病室に見舞いに来てくれた奇特な少女。

 プラチナブロンドの美少女はそう俺に報告してくれた。


 勿論、面会許可が出たのは、同じ病院に収容された御前崎おまえざき 瑞乃みずのの事だ。


 彼女はあの夜、到着したファンデンベルグの救護班に救出されて、俺と共にこの病院に緊急入院した。


 日本政府と色々問題のある彼女を保護するためには、この治外法権はもってこいの場所だったからだ。


 羽咲うさぎの口利きがあったからこその処置だが、ファンデンベルグ帝国にとっても、瑞乃みずのから引き出せる情報は有用だったようだ。


 とはいえ……


 俺は教えられた御前崎 瑞乃かのじょの病室の前で暫し思い返す。


 ーー

 ー


 「幾万いくま 目貫めぬき!?」


 個室病棟のベッド上で間抜けな声を上げる俺。


 つい昨日のことだ。


 あの食わせ者……黒頭巾が俺の病室を訪れたのは……


 「やあ、やあ、お気になさらずに、この身はただの傍観者アナザーワン……鉾木ほこのきくん、ただのお見舞いだよ、それ以外に意味は無いから」


 そう言って右手に持ったフルーツ盛り合わせを掲げて無遠慮に部屋に入ってくる覆面姿の奇妙な風体の男。


 言うまでも無く、ここはファンデンベルグ帝国の施設で治外法権だ。


 警備厳重なそんなところに、こんな堂々と……この男は……


 「……」


 さすがの羽咲うさぎも俺のベッドサイドの椅子に腰掛けて、右手にリンゴ、左手には果物ナイフを握ったまま、翠玉石エメラルドの瞳を丸くしていた。


 「……その傍観者アナザーワンが今更なんの用なんだよ」


 ーーまったく……色々と手を回しやがって……


 そもそも俺達があの廃校舎で窮地に陥ったのも、元を正せば幾万 目貫こいつが偽情報?いや、クーベルタンにも情報を流していたからじゃないのか?


 「これはこれは手厳しい、鉾木ほこのきくん……今日はね、少し見ない間に随分と成長したかもしれない男を……ね、見物に来ただけだよ」


 「……」


 ーー見物?俺は珍獣か何かかよ……


 「聞くところによると素晴らしい”剣”を創り上げたようだね、観測者で傍観者たる私がそんな”聖剣しろもの”を見逃したとあっては傍観者アナザーワン幾万いくま 目貫めぬきの名折れだ」


 「極秘情報こっかきみつだぞ?それ……」


 しれっとそう言ってのける黒頭巾にやんわりとつっこみを入れる俺。


 いまさらこの黒頭巾がどういう手段で情報を……なんて馬鹿げた詮索だからな。


 「凡人が決して持ち得ぬ才能を有しながら、嘗てそれを臆病と卑怯と矮小さで失い、あまつさえ、その可能性の一部を自己保身から”防御専用の盾”というくだらぬ殻に造り替えて閉じこもった正真正銘の”引きこもり”鉾木ほこのき 盾也じゅんやくんがまさかここに来て……一体誰の為にかと……ね」


 黒頭巾は言いながら、唯一露出したぎょろ目で、チラリと俺の傍らの羽咲うさぎを見る。


 「!」


 思わず赤くなって俯くプラチナブロンドの美少女。


 「少女の為に、愛しい少女の為に……ああ、愛する少女の為にぃぃ!その性質とは真逆の存在……つまり剣に創り替えてしまったのだから、ただただ驚愕するばかりだよぉぉ!」


 「とっ、特定のフレーズをこれ見よがしに、しつこく繰り返すな!」


 悪趣味頭巾の執拗なからかいに、俺の傍らの少女は耳まで赤くなって下を向いてしまった。


 ……俺も正直顔が熱い。


 「おや?……あまり得意げではないね鉾木ほこのきくん、自慢しても良いのだよ、声高々に!俺は九振り目の”聖剣”を創り上げた男だ!職人フォルジュとして歴史上初の快挙を成し遂げた天才だぁぁぁ!……とか?」


 「…………」


 全くもって巫山戯た黒頭巾だ……幾万いくま 目貫めぬき


 俺は黙って静かな病室で派手なパフォーマンスを披露する男をしれっと眺めていた。


 ーー天才?偉業?


 そんな事を思っていたら俺は本当に愚か者だろう。


 そもそも自ら蒔いた種を、なんとかかんとか刈り取れたってだけで、その為の手段がそうだっただけだ。


 ”聖剣”にしても、それを具現化したのは、あくまでも羽咲うさぎ・ヨーコ・クイーゼルのポテンシャルが成せた業だろう。


 「ん?ん?暗いね、昔から失敗ばかり、万年負け組である臆病者の鉾木ほこのき 盾也じゅんやくん、滅多に無いキミの手柄を思う存分、余すこと無く喧伝したまえよ」


 ーー余計なお世話だっ!


 「……そうだ俺は失敗しただけだ……今回はそれをなんとか埋められただけ、”俺”は大した事はしていない」


 いつも通りの黒頭巾であったが、今更、なんとなく苛ついた俺は、吐き捨てるようにそう答えていた。


 「……」


 ナイフで綺麗にリンゴを剥いていた白い指が止まり、少女が心配そうな瞳を向けてくるのがわかる……


 ーーうう、気まずい……黒頭巾め!余計な話題を振りやがって……わざわざ嫌がらせに来たのか?


 「ふふん、そうだね、俺は”聖剣”創ったんだぞぉ!フィラシスの大騎士様とやらも倒したぁ!俺最高ぅっ!……なんて自惚れ過ぎるよ、自惚れ過ぎだよ鉾木ほこのき 盾也じゅんや


 ーーいやいや!お前が言ったんだろうが、俺は一言もそんな恥ずかしい事は言ってないぞ!


 「世界はね……とはいってもこれは他の世界の話だけど」


 ーー!


 幾万いくま 目貫めぬきがズイッと不気味な黒頭巾を俺の顔に寄せる。


 「世界は多様だ……例えば”邪眼を持つ不死身の魔獣”、”貪欲なる鋼鉄の魔神”、”禍々しき古代神いにしえがみの巨人”……それ等に比べるとキミの今回の相手はたいしたレベルじゃ無い…」


 ーーゴクリッ!


 俺は黒頭巾から覗く、幾万いくま 目貫めぬきの奈落のような双眸に思わず生唾を飲み込む。


 何処か違うところへ、戻れることの無い暗黒へと続くような感覚に、俺の身体からだは強ばっていた。


 「!おっと……」


 言葉を失い、呆然とした俺から巫山戯たように両手を挙げて離れる黒頭巾。


 「……」


 その背後には無言で幾万いくま目貫めぬきの背中に果物ナイフを突きつける羽咲うさぎの姿があった。


 「ふぅ……」


 黒頭巾が離れ、俺は一気に肺の空気を吐き出して同時に緊張は緩和された。


 当の幾万いくま目貫めぬきはというと、あのジャンジャック・ド・クーベルタン相手よりも真剣で迫力があるのでは?と思わせるような翠玉石エメラルドの瞳に見据えられ、万歳して戦意は無いと表現しているが、どこか戯けた態度である。


 「あーコホン、とはいえ、良くやったよ鉾木ほこのきくん」


 なんだか、今更取り繕ったように俺を褒める男。


 「キミは”失敗した”と言うが、”失敗した”とは過去系だ、取り返すことが出来ないからこそ、未来の糧になるのでは無いか?」


 「……」


 「キミは過去にいくつかの取り返しのつかない失敗をした、羽咲かのじょの”聖剣”の事もそうだ……しかしキミはそれを糧にして、今回は羽咲かのじょを救えた!そうは考えないのかい?」


 ーー急に尤もらしいことを……この黒頭巾は……


 「俺は別に悲観はしていない……だが、失敗はするよりは、しない方が良い」


 相変わらずな俺の答えに、幾万いくま 目貫めぬきはヤレヤレといった感じで背を向けた。


 ーーいったいなにしに来たんだ?この黒頭巾おとこは……


 俺はその謎の男の謎の行動に頭を捻りながら、病室の入り口の方へ去りゆく不可思議な後ろ姿を見送っていた。


 「ああ、そうそう!」


 病室のドアまで到達していた男は、あくまでも今気づいた様に装ってあざとく振り返る。


 「ここに、あらゆるものを貫く最強の矛がある……謂わば最強の戦士ソルデアだ」


 そして、チラリと未だ果物ナイフを持つ羽咲うさぎを見やった。


 「……はぁ?」


 俺はいきなり何かを始める傍観者アナザーワンとやらに、疑問の声をあげていた。


 「で、ここに、何者をも寄せ付けぬ盾がある……臆病な引きこもりの殻だ」


 「ってちょっとまて!それは俺の事かよ!」


 続いて失礼な事を宣いながら、大げさにベッド上の俺に左手を指し示した。


 「最強の矛と盾……この二つが相対すとき、その結果は如何に?」


 「…………」


 ほんと、マイペースだな……いや、ただの変人か?そもそも、なんだよ?一体……使い古された故事だろ?いまさら、何なんだ?


 「それは矛盾でしょ?”なにものをも貫く矛”と”なにものをも寄せ付けぬ盾”、その仮定は成り立っていないわ……どちらかを是とするならどちらかの事は非になる、つまりその両者が並び立つ世界は存在しない」


 左手に果物ナイフを握ったままの羽咲うさぎは、俺と同じように半ば呆れながらも、答えなければ帰りそうも無い難儀な相手に渋々と答えていた。


 「だ、そうだが……どうだね?鉾木ほこのきくん、キミはどう考える?」


 羽咲うさぎの答えは折り込み済みと言った顔……いや覆面だが……

 兎も角、それを引き出すのは予定通りと言った感じで俺に尋ねる幾万いくま 目貫めぬき


 「……ふぅ」


 俺は深い溜息を一つ吐いてから、仕方なしに口を開いた。


 「羽咲うさぎ、それは正確じゃ無い。”なにものをも貫き”、”なにものをも寄せ付けない”ものが唯一無二の同一の存在であれば、それは是であるし、それがまったく別の存在であっても、それらの接点が確立されない世界ではそれもまた是であるだろう」


 「?」


 羽咲うさぎは俺の方を見て不思議そうな顔をする。


 そうだ、俺はあくまで羽咲うさぎに話している体で言葉を発する。


 正直、幾万いくま 目貫めぬきの進行で踊るのは何となく癪に障るから。


 「前提条件を固定、限定するというような、”同じ世界、同じ条件”でというごく限られた状況下でということなら……それこそ”なにものをも”という下りは、誇張でそぐわないと言わざるを得ない」


 「……で、そのココロは?」


 そんな俺の態度は気にもせず、結論を促す流石の黒頭巾。


 「……そんなもん、状況や立場、世界、ことわり、ルール次第でどうとでもなる些細なことだ」


 「へっ?」


 長々と講釈を垂れた割には、無責任で投げやりな俺の結論に、羽咲うさぎは目を丸くする。


 「ほほぅ」


 対照的に、幾万いくま 目貫めぬきという男は、うんうんと頷いていた。


 「そもそも物理的な矛盾なんて、ただの研究不足、未知の領域、いつか必ずたどり着ける真実で否定できる代物だろう、らないだけ、らない間の一時的な処置、命題を棚上げ状態にしてるだけ」


 俺はあくまで、羽咲うさぎのためを装って説明を続ける。


 「本当の意味での矛盾……”両者を否定と同時に肯定できるという事象”は……それは多分、精神的な、理性の整合性に対する”二律背反”だけだろうな」


 ひとつの事柄に対し、こっちの筋を通せば別の筋が通らない、でも、どっちの筋も正しい……この場合の正義は?てな事は多々あることだ。


 「えっと……盾也じゅんや……くん?」


 益々混乱したような顔の羽咲うさぎ


 「いやよいやよも好きのうちってやつだよ、羽咲うさぎちゃん」


 「あーー!」


 横入りの幾万いくま 目貫めぬきの言葉に、プラチナブロンドの美少女は果物ナイフをそのままに、両手を胸の前で合わせて声を上げる。


 ーーなにを太陽のような眩しい笑顔で納得してんの!羽咲うさぎさんっ!!


 「いや、それは違……」


 「なるほど!そうだね、ひとのこころはそう簡単に量れないものね!」


 「…………」


 抜群の笑顔で微笑む少女に、俺は……もう頷くしか無かった。


 ーーまぁいいか……そんなに的外れでも無い……か?


 もともと大した理由で始めた話では無いしな……


 俺は羽咲うさぎはそのままに、なにやら含みがありそうな黒頭巾に再び視線を戻していた。


 「で、結局、何が言いたいんだ幾万いくま 目貫めぬき!」


 「……鉾木ほこのきくん、キミの剣、それこそ”そういうもの”かもしれないね」


 「は?……だから、物理的にはそんなものは……」


 ーーこいつ……いままで何のためにこんな無駄話をしたと思ってるんだ?


 話が全然噛み合わない!


 「守る為の盾が破壊するための剣に……自身の存在を守る為に戦いを避けていたのに、その戦いの中でしか自己の存在を確立できない……鉾木ほこのき 盾也じゅんや!まさに”名は体を表す”!キミは”矛盾むじゅん”くんだね」


 ーーは?


 ーーなに上手く言ったってどや顔してんだよ!覆面だけど……おまえ、全然上手くないぞ!……


 「命名!聖剣”グリュヒサイト”改め、”二律背反剣アンビバレンツソード”!!」


 ずびしぃぃぃ!と指さして決めポーズを取る黒頭巾。


 「わぁぁぁーーーー!」


 パチパチ


 つられて拍手を送るプラチナブロンド少女。


 「だから!二律背反ってそういう意味じゃ……」


 「いやいや……そこまで喜んで貰えると照れるねぇ」


  パチパチ


 「……」


 ーー聞けよ!頭巾とプラチナ少女!


 「……ん?不満そうな顔だね、鉾木ほこのきくん、なにか別案でも?」


 いまさら、わざとらしく俺に気づく黒頭巾……策士だ。


 ーーくっ!この雰囲気で代案をだと!?


 ジッと興味ありげに俺を見詰める翠玉石エメラルドの瞳。


 ーーお、俺にネーミングセンスを問うのか?……しかし……しかし、このままでは俺の剣に不本意な銘が……


 俺は考える……


 そう必死になって考えて……


 ーーえっと……失った俺の能力ちからである”少年じゅんや”と、これまた失われた羽咲うさぎの”聖剣”妖狐ヨーコ能力ちからをかき集めて何重にも練り込んで創られた剣……えっと……じゅんや……ヨーコ……盾也たてなり……ヨコ……たて……ヨコ……


 「あ、えっと!……”たてたてヨコヨコ”の……剣?」


 「……」


 「……」


 完全なる沈黙が訪れた。


 「う……あの……」


 「命名!聖剣”二律背反剣アンビバレンツソード”っ!!」


 「わぁぁぁーーーー!」


 パチパチ


 幾万いくま 目貫めぬきは再び宣言し、羽咲うさぎは目一杯の拍手を送る。


 ーーそっ!そんなに俺の名前が嫌かよぉぉーー!


 「どっ、とちくしょうーーーー!!」


 ーー

 ー


 「じゃあ、僕はこれで……」


 ひとしきり俺の反応を楽しんで、勝ち誇ったかのように高らかに笑った黒頭巾は見舞いの品であるフルーツ盛り合わせのカゴを置いて病室の外へ去って行く。


 羽咲うさぎ幾万 目貫やつが来たときとは正反対に、ご機嫌そうに見送っていた。


 ーーもういいよ……なんでも……


 俺はチョッピリだけセンチメンタルになったのだった……


 ーーー

 ーー


 「はぁーー」


 俺は昨日の出来事を思い出しながら、もう一度溜息を吐いた。


 「とにかく……切り替えよう……」


 ーーコンコンッ!


 そんなこんなで、たどり着いた病室のドアをノックする。


 ここは特別病棟だ。


 羽咲うさぎのおかけで許可が出て、本日面会がかなうある人物の部屋。


 ーー

 ー


 「どうぞ、傷心センチメンタル鉾木ほこのきくん」


 ーーって、誰かどころか、そこまで解るのかよ!……さすが……


 ガチャリ


 俺は少し緊張気味にドアノブを回して中に入っていった。


 ーー御前崎おまえざき 瑞乃みずの……彼女の個人病棟に……


 第六十九話「たてたてヨコヨコ?」END

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