第52話「うらやましいなぁって思っただけよ?」

 第五十二話「うらやましいなぁって思っただけよ?」


 「やはり貴様が手引きしていたのか……解っているのか!貴様の雇い主は……」


 鋭い眼光で睨み付ける異形の騎士をしれっとした何食わぬ顔で見返す女性。


 「契約では、”聖剣”の消滅……どこかに在るはずの捨てられた”聖剣”を見つけ出し、再び羽咲うさぎ・ヨーコ・クイーゼルの手に戻らぬように消滅させること。彼女やその関係者の暗殺までは請け負っていないし、それ以外の行動は私の自由だと思うけど?」


 そして彼女は真緑の歪んだ刃をクルクルと白い指で回す。


 「自由?自由だと……ふっ、貴様如き”実験体”が、片腹痛い!」


 男の吐き捨てるような嘲笑に、黒髪の美女、御前崎おまえざき 瑞乃みずのの眉がぴくりと反応した。


 ーー実験……体?


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのの登場で、すっかり蚊帳の外になったわたしは、好都合だと自身の心を落ち着けながら、フィラシス人てき瑞乃てき?、両方の隙を覗っていた。


 「だが考えてみれば確かにその通りだ。貴公の言うことも一理ある……とはいえ、肝心の”聖剣”が未だ滅していないみたいだが?」


 絶対的な幻獣種げんじゅうしゅの能力を得た余裕からだろうか、男は再び口元に笑みを浮かべて、突然の乱入者を問い糾す。


 「……羽咲このこからは奪ったのだから良いでしょう?どうせ消去するものなら私がもらっても問題……」


 ーードシュッ!


 「!」


 瑞乃かのじょが言い終わる前に、クーベルタンの”見えない槍”が火を噴いた!


 ーー!


 しかし、瑞乃かのじょはそれを独楽コマのように回転して躱す!


 「おっ?おぉっ!」


 そして、クルクルと、まるで糸巻きが糸を巻き取るが如く動きで逆回転して、今度はクーベルタンの懐まで間合いを詰め寄る!


 「男爵、貴方は実力はともかく、その性格はまったくの雑魚キャラそのものね」


 男の胸の中ともいえる距離で、まるで抱擁する男女のような距離で……しかし妖艶な朱い唇から零れる言葉はどこまでも挑発的だった。


 「実験体モルモット風情の阿婆擦あばずれがっ!」


 ジャンジャック・ド・クーベルタンの碧眼が怒りに燃え、懐の女性を両手で鷲づかみにしようとする……が!


 瑞乃かのじょはそれを難なく躱してスルリと抜け出る!


 「ふふっ、粗暴な男はモテないわよ」


 ーーザシュゥゥ!


 そして男の左胸、心臓の位置に魔剣”真緑の刃カリギュラ”を容赦なく突き立てた!


 フッ……フッフゥオォォォォッ!!


 突然鳴り響くサイレンのような雄叫び!


 勿論声の主はフィラシス人……それは、その異形に相応しい獣の咆哮だった。


 「!?」


 瞬間、瑞乃かのじょの顔から初めて不敵な笑みが消えた!


 「カ、カハハハハァァッ!……今の私は完全なる”神の使徒アポステル”!この肉体が常人の如き脆さだと思うな!」


 先ほどの盾也じゅんやくんと違い、魔剣の歪なやいばは確実に相手の心臓をとらえていたはず……でも、その男は全くひるむそぶりが無い。


 ーー明らかにさっきとは違う……つまり……


 それは既に……その肉体は寧ろ……高位幻獣種げんじゅうしゅ百腕百口魔神ヘカートケル”!


 「っ!」


 効果が薄いと判断し、即座に魔剣を引き抜こうとする瑞乃かのじょだが……


 クーベルタンの異形の上半身に再び出現し、がっちりと硬化した神の身体セルマンコルに絡め取られ、びくともしない。


 ーーヴ……ヴヴヴ……ヴォォッッーー!!


 ーーなにっ!?あれ……まだ……?


 神の身体セルマンコルを纏った背中が大きく盛り上がり、ブクブクと沸騰したように皮膚が泡立ち……そして……一際大きく弾けた泡の中から


 ーーズズ……ズッズゥゥ……


 もう一本の図太い腕……どす黒い悪魔の腕が生まれ落ちた。


 「くっ!」


 魔剣カリギュラをあきらめ、即座に後方へ飛び退く瑞乃かのじょ、でも……


 ズゴゴォォーーーー!


 男の背後から眼前の獲物に牙をむいた悪魔の腕は、猛烈な勢いで黒い影を伸ばしながら、のたうちながら……


 ーーガガッ!


 「ぅっ!」


 女性の流れるようなしなやかな黒髪を、そのまま空中で、あまりにも大雑把に鷲掴んでからーー


 ドカァァ!


 「がはっ!」


 床の上に叩きつけた!


 ーードサッ!


 力なく床に張り付いた女性の華奢な身体からだ……


 「…………」


 ズッズズゥゥ……


 そして、ニヤリと歪んだ顔で嗤う男は、異形の腕で未だ掴んだままの黒髪を力任せに引っ張り、たぐり寄せる。


 「……か……はっ……く……」


 「瑞乃みずのさんっ!」


 堪りかねたわたしはそこで大きく踏み出そうとした。


 ーーこの状況……いまは敵か味方かなんて言ってられないっ!


 「っ!!」


 しかしわたしは直ぐに立ち止まる……


 彼女は……御前崎おまえざき 瑞乃みずのは……


 ブチィィ!


 ーーゴロゴロゴロッ!


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのという女性は……自らの髪が引きちぎれるのもお構いなしで後方に転がって下がっていた。


 「み、瑞乃みずのさんっ!?」


 わたしの直ぐ近くまで転がり込んで下がった彼女に、わたしは思わず声をかける!


 ーーなんて……なんて無茶な……


 ーー如何にそのままでは命が危ないと言っても……掴まれたままの髪を自ら引きちぎるように……この女性は……この瑞乃みずのという女性ひとは……


 同じ女性として……わたしはその後の言葉が出なかった。


 理屈で解っていても出来ることじゃない……並大抵のことでは……


 ーーこの女性ひと盾也じゅんやくんがよく話題にしていた……この女性ひとが……盾也じゅんやくんの大切な……


 「…………はっ……はぁ……」


 黒髪の女性は、先ほどの悪魔の腕の攻撃で、腹部を床に殴打したのだろう、未だ立ち上がれないで苦しそうに呼吸を乱していた。


 直ぐに庇うべきだ、いえ、そうで無くても助け起こして……


 でもわたしは躊躇していた……


 それは……盾也じゅんやくんの……だ……から……わたしは……なんて非道い……


 「ご、ごめんなさい、直ぐに……」


 少し躊躇してから、わたしは無理矢理気持ちを抑えつけて手を差し出す。


 「…………」


 ーー小刻みに震える手……


 それは負傷した瑞乃みずのさんでは無く……わたしの手の平だ……


 「……だ、大丈夫よ……羽咲うさぎさん……ふふ……貴女……可愛らしいね……鉾木ほこのきくんが好きになるのが解るわ」


 「!?」


 わたしの直ぐ目の前で、蹲ったままお腹を押さえる女性は……とても大丈夫そうには見えないけど……


 ーーていうか!”好きになる”って……


 思わず耳まで熱を帯びたわたしは!……そんな状況では無いのに……つい、顔を伏せていた。


 「……羽咲うさぎさん、い、今の貴女では……あの怪物は倒せないでしょう?その”剣”では……だから」


 ーーだから?


 確かにこの剣では……


 改良されたと言っても使用回数に限りがある……あんな未知の敵相手は確かに……

 だけど、だから?だからどうするっていうの?


 「……」


 わたしは顔を上げ、目の前の女性を訝しい瞳で見ていた。


 「だ、大丈……夫……よ、今の私と貴女の目的は同じ……し、信用して……」


 相変わらず苦しそうな女性は、そう言ってクーベルタンの異形の腕に捕らわれたままの盾也かれに視線を向けていた。


 「…………」


 瑞乃かのじょの視線を追って、わたしはもう一度、頬を染めてからコクリと頷く。


 「やっぱり……可愛いわね……羽咲さんあなた


 ーーっ!


 ーーこれだ……なんだかひっかかる……そんな場合じゃ無いけど……その言い方……


 「じゃあ羽咲うさぎさん、貴女の”聖剣”……それへの最後の”繋がりパス”を切って!」


 「え?」


 こんな状況でも違うことに意識がいっていたわたしは少し間の抜けた声を上げる。


 「ふふ……そうすれば……ね、私はその力を完全に手に入れて……あ、あの化け物にも……対抗できるかもしれない……わ」


 「なっ……!」


 今度こそ私は絶句する。


 自身が奪った”聖剣もの”の本来の持ち主を前にして、平然とそう言ってのけるって……


 「…………」


 ーーで、でも……た、確かに今の状況では……


 ーーお祖母様を失い、制御を失った”聖剣グリュヒサイト”を受け入れる準備の整っていないわたしでは……


 わたしは、”聖剣グリュヒサイト”を自ら捨てたと言っても、それでも、その存在の有無くらいは感知できるほどには繋がりを保っていた……


 ーーそれさえも完全に絶てと?……


 それは……それは、本当の意味で”聖剣グリュヒサイト”を喪失するという事。


 捨てるのや消去するのでは無い。


 存在自体、そのものとの関わりを完全に消滅させるということ。


 つまり……わたしに……


 ”聖剣を無くした英雄級ロワクラス”ではなく、”英雄級ロワクラス”ですら無くなるという選択をしろということ……


 「…………」


 「……騎士の誇りを持つ貴女には無理かしら?……で、でも……そうすると……貴女もわ、私も……ここで終わる可能性が……高い……な、なによりも……鉾木ほこのきくんも助けることができない……わ」


 ーーっ!


 「それはっ!……で、でも!それは瑞乃あなたが”聖剣グリュヒサイト”をわたしに返せば済むことでしょ?どうしようと貴女には”聖剣”の力は制御しきれるとは思えないっ!だからっ!」


 ある意味、盾也じゅんやくんを人質に取った瑞乃かのじょの一方的かつ図々しい発言に、自身の事情を棚に上げて、わたしは反論する!


 ヴォヴォヴォォォォッッーー!!


 「!」

 「!」


 睨み合っていた私達に、すっかり蚊帳の外であった悪魔の腕がその存在を誇示するかのように横殴りに襲ってくる!


 ーーダッ!


 ーーシュバッ!


 そして即座にそれを左右に分かれて躱す、わたしと瑞乃かのじょ


 シュォォォーーン


 瑞乃かのじょは飛び退いた地点で、震える足でヨロヨロと立ち上がり、 魔法珠まほうじゅを展開した。


 「ちょっちょっと!」


 わたしはそんな相手に慌てて声をかける!


 ーーだって、いくら何でも無茶でしょっ?


 ーーそんな体調コンディションじゃ……それに……それに今更、”魔導士ソルシエール”如きの攻撃力じゃ……


 「交渉決裂よ!羽咲うさぎさん……私はね、頂上をめざすのよ!……それこそが御前崎おまえざき 瑞乃みずのの存在意義……そのためにも殺されたって“聖剣このちから”を手放すわけにはいかないのよ!」


 「なっ……!」


 ーーなんて、勝手な……”頂上?”なんのことよ……


 「…………」


 ーーでも、でも……


 わたしの視線は、もう一本の悪魔の腕に押さえ込まれたままの盾也じゅんやくんに向けられる。


 ーー目が覚めない……このままじゃ……も、もしかして?


 「……くっ!」


 ーーいいえ、そんなこと!そんなこと絶対駄目!……させない!



 「………………………………」



 ーーそして、わたしは決意した!


 「盾也じゅんや……くん……」


 ーーそうだ……わたしは捨てたんだ……”聖剣グリュヒサイト”を……


 戦いに意味を見いだすために、より戦い甲斐のある相手と命のやり取りを……痺れるような刺激がほしくて……


 弱くなることを……望んだ……


 ーーこんな……本当の戦いの意味……大切なものを失うかもしれない気持ちも知らずに……


 自らの欲望に溺れた当時のわたしは……きっとあの時、英雄級ロワクラスとしての誇りも無くした。


 ーーだから、だから……


 わたしは視線をしっかりと正面の脅威に向けた。


 ーー今度は……今度こそは……鉾木 盾也このひとを失うわけにはいかない!


 「わかったわ……瑞乃みずのさん……わたしは……」


 シュバッ!

 バシュッ!


 魔法珠まほうじゅを展開して交戦中の瑞乃かのじょは魔法の攻撃を放ちつつ、振り向きもせずに頷いた。


 「……選んだのね……それが羽咲あなたのこたえ……」


 表情は見ることは出来ないけれど……

 なんだか瑞乃カノジョの声は、この場にそぐわない穏やかで暖かい響きだった。


 「ほんとに……可愛いわね、羽咲さんあなた


 「ちょっ!ちょっとさっきからその”可愛い”って!少し……引っかかるんですけど!」


 「ふふ……そう?ゴメンなさいね……けど、羽咲うさぎさん、貴女はこんな状況でも……割って入った”聖剣泥棒”の私を前にしても……ずっと気にしていたのはずっと探し求めていた”聖剣ぶんしん”ではなくて誰かさんの事だったでしょう?」


 ーーっ!?


 わたしの顔が一気に熱を帯びて……


 「あっ……そ、それにゃ!?それはぁっ!!」


 ーー咄嗟になにを口走ったのかは憶えていない


 そして、御前崎おまえざき 瑞乃みずのという女性は、そんなわたしを和やかな瞳で見つめて優しく笑った。


 ーーみ、瑞乃みずの……さん?


 優しい笑顔……この女性ひとが……こんな笑い方をするなんて……


 「羽咲うさぎさん、”聖剣”の”繋がりパス”を切ったら、私がなんとかして彼奴に隙を作るから、その間に鉾木ほこのきくんを助け出して後方のドアから出て、二つ向こうの教室に飛び込みなさい……そうすれば、そこからは私の手の者が脱出の手引きをするわ」


 「?」


 呆気にとられるわたし。


 ーー脱出の手引き?この女性ひとはそこまで用意を?


 ……でも、それじゃぁ……瑞乃みずのさんは?


 「私は怪物こいつを仕留めるわ!どのみちフィラシスともこれで手切れでしょうしね」


 わたしの言葉を待たずにそう答えると、彼女の前に展開された魔法珠まほうじゅに力がどんどん集中されていく。


 ーーキィィーーーーン!


 「わ、わかったけど……み、瑞乃みずのさんも…………無理をしないで……」


 「ふふ、よい羽咲うさぎさん……"盾也くんあのこ“ね、”子供の頃”から見かけ以上にナイーブだから、お願いね」


 「え?」


 キィィィィーーーーーーン…………


 ーードッゴォォォォォォォォーーーーーーーーンッ!!


 「っ!!」


 言葉を交わした直後、瑞乃かのじょの周囲から波が広がるように色が無くなり、鼓膜を痺れさせる程の轟音が響き渡った。


 そしてーー

 たちまち高濃度の魔力があたりを真っ白に染める。


 「…………」


 ーー最後に見た瑞乃かのじょ郷愁ノスタルジックな横顔は、一体なにに対してだったのだろう……


 「……っ!」


 ーーううんっ!この瞬間はそれどころじゃ無い!


 わたしは頭を軽く左右に振り、即座に”聖剣グリュヒサイト”との繋がりを解除するように心に念じながら、視界の無い白い世界を盾也じゅんやくんの方へ疾走はしった。


 「…………」


 ーーなんだか、こんなものなのね……七年間繋がっていたものとの別れって……


 少しだけ拍子抜けするような”聖剣ぶんしん”との別れの感想を心に、この瞬間は瑞乃かのじょを信じてただ疾走はしる!


 ーー悪魔の腕に押さえられた盾也くんかれの元へ!



 ーーー

 ーー



 「鉾木ほこのきくんは無事助けられたみたいね……羽咲あのこ


 視界が戻った数十秒後の世界……


 そこには、一際輝く”九法正珠きゅうほうせいじゅ”を展開した、黒髪ロングヘアーの妖艶な女性……


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのの姿があった。


 「きっ貴様ーー!こんなモノがこの神の肉体に通じるとでも!!」


 瑞乃みずのの眼前には、直ぐさま体勢を立て直した、自前の腕以外に、背中から巨大な二本の悪魔の腕を持つフィラシスの大騎士……いや、すでに異形と化した……自称”神の使徒アポステル”。


 瑞乃みずのはその相手を呆れた、歪んだ笑みで見上げていた。


 「貴方も私と同じかもね……男爵」


 「?……何を言っている”裏切りの魔女”」


 意味不明だと、彼女を見下ろすフィラシス人を、女はどこか寂しげな瞳で見上げていた。


 「いいえ、なんでも……ただ、うらやましいなぁって思っただけよ……あの選択ができる羽咲あのこがね……」


 御前崎おまえざき 瑞乃みずのは相変わらずの諦めたような表情で……しかし、それでいてどこか口元には純粋な微笑みを浮かべていた。


 第五十二話「うらやましいなぁって思っただけよ?」END

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