第193頁目 ここ、どこ?

 目を奪うという事は闇を与えるという事だ。俺は魔法でその"闇"を顕現出来る。


「液体だけどな!」


 騎士団全員を流す量の水を顕現してタムタムに被害なんて出したら俺は完全な悪人になってしまう。少なくとも自警団は狙ってくるに違いない。だから範囲魔法は控えていた。だが、すぐマナに還るこの魔法なら問題ないはず。



 ――墨魔法。



 そう呼んでいいかはわからない。何故なら、この魔法の顕現には条件があるからだ。それは……殺意を抱く事。


 水の顕現には水を思い浮かべる事が必要だ。だが、この魔法は殺したいと思わなければならない。その条件を調べるのは苦労した。だからこそ今、使う事が出来る。


「喰らえ……!」


 展開したアニマから溢れ出す大量の”黒"。光を全く跳ね返さないそれは凄まじい違和感を発しながら景色を塗り潰していく。奴等は見た事も無い物体を見てさぞかし怯えているだろう。しかし、その動揺は向こう側で起きているであろう事。俺からはもう見えない。言ってしまえば黒いペンキをぶち撒けただけだ。これだけの量を顕現したのは初めてだったけど、上手くいったな! にしても、凄い光景だ。輪郭すら見えないあの中で今、騎士団は必死に藻掻いているんだろう。


「ソーゴさん! 行きますよ!」

「あぁ。」


 マレフィムが現れて俺を急かす。だが、確かに俺まで目を奪われている訳にはいかない。さっさと逃げ――。


『ドドドドドドドッ!』


 何!? 視覚はもう殆ど役に立たない。だが、俺の耳は確実に何かが近付いている音を拾う。だから、その方角の鼻先を向けて熱源を探るが

……。


 遅かった。自分の魔法に見惚れて気なんて抜いていたから闇の中で動き続けるロイ達の接近を許してしまった……!


「お前ーッ!」


 鬼気迫る声を発しながら闇が分離する。そして、少量の闇から霧散する様にマナへ還っていき、表れるエカゴットをる騎士ロイ。と、その後を追うリアン。俺は不意を突かれ完全に足を地面に縫い付けられていた。このままでは”やられる”とか”捕まる”なんてのも全く頭に浮かばないくらいには狼狽していたのだが、そんな俺をマレフィムが引き戻す。


「何してるんですか! 走って下さい!」


 しかし、それも遅い。もうどうしようと間に合わないくらいには猛スピードで迫って来ていたからだ。



 だが、その刹那。差し迫った緊迫感は俺の前に吹き込んできた煙で散らされた。



「ロイ!」

「あぁ!」


 煙を警戒する二人。だが、その煙は瞬く間に人を象った。小鳥の翼の様な耳。仰々しい篭手を嵌めている様な腕。うなじから伝い腰に巻かれたフサフサの触手。まるで夕闇の使者の如き立ち姿。


「「「ノックス!?」」」


 俺だけでなくロイとリアンも同時に叫ぶ。知り合い、なのか?


「何故お前がここにいる!」


 警戒を隠さないロイ。リアンも顔が険しくなっている。そうしている間にも、後ろから残りの騎士団が追いかけてきていた。だが、ノックスはいつもの調子で話を続ける。


「えっと……? 誰? 騎士団ってホント多過ぎてわかんないんだよね。それとボクが何処に居ようと勝手でしょ。」

「邪魔するんですか?」

「内容によるかな。何故彼を追いかけてるんだい?」

「その竜人種は王国から持ち出されている神巧具を持っているからだ。」

「『精霊器せいれいき』の事?」


 ノックスが知らない単語を口にする。文脈的には恐らくミィを捕らえている魔巧具の名前だ。だが、ノックスはこれについて何も知らなかったはず。


「知っているのか?」

「あっ、ボクは関係無いからね。」

「おい、ノックス! お前これが何か知ってんのか!?」


 堪らず俺もノックスを問い詰める。


「あぁ、うん。でも、嘘を吐いてたんじゃなくて思い出したんだよ。それは昔、王国で見た事がある。」

「当然だ! 王国から持ち出された物なのだからな。」

「あー、はいはい。そうなのかもね。それよりも、ソーゴ君。精霊器は”ひねる”事が出来るんだよ。知ってたかい?」

「捻る?」

「このッ……!」

「ロイ! 駄目だよ!」

「……ッ! わかってる。」

「懸命だね。君達じゃあボクには敵わないだろう。」


 気づけば最初にロイ達が連れていた他の騎士団が奴等の後ろに控えていた。今からはもう逃げられそうにない。だが、ノックスが言っていた事が気になった俺は鞄から魔巧具を取り出した。その見た目に変わりはない。でも、捻るってどういう事だ?


「ソーゴさん! 不用意に出しては……!」


 マレフィムの忠告は尤もだったが、それでも俺は雑巾を絞る様に魔巧具へ力を込めた。すると、カチッと音を立てて透明な管を覆う檻みたいな部分の一部が回転してズレたのだ。


「…………クロロッ!」


 突如魔巧具から放たれる声。


「ミィ……?」


 愛しき友の名を呼ぶ。


「クロロ、大丈夫!? 私、なんでか寝てたみたいなんだけど……! あれ? 何これ?」

「ミィさん……! ミィさんですよ!!」


 透明な管の中の液体は全く姿を変えないままだが、ミィの音声はしっかりと聞こえる。


「馬鹿な……! 精霊器から声がするという事はまさか中に!」

「嘘……。」


 ロイとリアンだけでなく騎士団全員がどよめいている。


「さて、喜んでくれている所申し訳ないんだけどさ。そろそろ期限だ。ボクに答えを聞かせておくれよ。ボクと”話をする”か。」


 なんて時に聞いて来るんだ。だが、ここまでの事をしてくれたならこう答えるしかないだろう。


「……する!」


 常に騎士団側を向いていたノックスが俺の返答を聞いて夕焼けで顔を照らしながらこちらへ微笑みかける。それは優しく、何よりもリラックスした表情で一言。


「ありがとう。」


 そう言ってノックスは指を弾く。



『パチンッ!』



 すると、俺は気付けば空に立っ落ちていた。


 空が近いのに地面はある。そう思ったのだが、その地面もくり抜かれているだけ。突然の浮遊感。


「な、何が!?」


 驚いたマレフィムは慣れているからかすぐに空に留まった。だが、俺は動揺して何が何だかだ。取り敢えず精霊器とかいう憎たらしいアイテムを鞄にしまい翼を広げて風をありったけ掻き集めようとするがいつも以上に重量を感じる。それもそのはず、背中にはノックスが乗っているのだから。


「驚いた?」

「な、何しやがった!? ここは何処だ!?」

「さっきの場所の真上だよ。ほら、頑張って飛んで。」

「くぅうぅうぅぅぅ!」


 咄嗟に下を向くと俺の脚が触れていた地面は地に墜ち、それを避けた騎士団がこちらを指差している。ノックスの言っている事は本当らしい。


「ソーゴさん! 大丈夫ですか!?」


 マレフィムが俺を追いかけて近くまで飛んで来る。飛行が慣れてる奴は得だよなァ!


「あぁ! 驚いたけどな。」

「でも、まだ続くよ。ほら、アメリちゃんだっけ。近く寄って。」

「続くって――。」



*****



 うぅ……レース……。


「ルウィアッ!」

「安心して下さい。まだ死んでやせん。頭を打ったので今後はどうなるかわからないでやんすけどね。あ、わかってるでしょうけど、念の為彼には触れない様に。毒で死んでしまいやすよ。」

「……あ! アロゥロさん、ルウィアさんの手が動いてます!」

「ルウィア? 聞こえてるの?」

「おや、やはり無事でやんしたか。じゃあ、あっちは包帯の用意を。あまり騒がしくしないで下せえ。」


 必死なアロゥロの声に意識が少しずつ戻されていく。重たいまぶたの下には今にも泣き出しそうな顔のアロゥロと、眉間に皺を寄せたアメリさん。


「……あれ、あぁ。えーっ、と……」

「ルウィア!」

「アロゥロ……ここ、何処?」

「医務室だよ! こんなボロボロになって……!」

「え……僕、負けちゃった、のか……。」


 わかってはいたんだけど、やっぱり、か。


 …………。


「ちが――。」

「違うよ! ルウィアは一位! 勝ったんだよ!」

「……え?」


 アメリさんの言葉に被せてまでアロゥロが驚くべき事を言う。


 そんな馬鹿な。僕、意識失ってたんだよね? ゴールした瞬間の記憶なんて……。


「気絶したままセクトにしがみついて優勝を勝ち取るとは思いませんでした。ルウィアさん、貴方は今回出場した誰よりも勝利への執着が強かったと思いますよ。」

「だからってこんな怪我までして……!」

「あ、あぁ……。」


  怒った顔のアロゥロが視線を向けた先は血の滲んだ僕の片腕。意識するとより痛みが伝わってくる


「ッつぅ!」

「えっ! あ、だ、だから怪我したら駄目だって……! こういう時は――。」

「包帯でやんす。はい、失礼しやすよぉ。」


 いつの間にか僕の傍に居たディニーさんそっくりの人が腕に茶色い液体を含んだ端布はぎれをトングで挟んで押し当てた。


「いったーッ!?」

「え!? 何してるの!?」

「大丈夫です。アロゥロさん。傷口に薬を塗布してるんですよ。薬には染みるのもあります。」

「そういう事でやんす。包帯も少しキツめに締めやすからね。腕を少し上げて覚悟してくだせぇ。」

「か、覚悟なんてする必要あぐぐぐぐぐ!」

「本当に大丈夫なの?」

「大丈夫大丈夫。こんなもんでやんす。ロッゾなんて今夜が峠。ここじゃ対処出来ないんでさっき外に運び出しやしたよ。……手当はしやすけど、あっちには触らんで下さいね。」

「わかってま……くぅ……ってロッゾさんが峠? やっぱり酷い状態なんですか?」

「そうでやんす。折れたあばらはらわたをヤッてそうでやんしたからね。あっちはそこまで詳しくないでやんすけど、状態によっちゃ夜を待たずに死んじまいやす。アンタは運が良かったでやんすね。」


 捨て台詞の様に吐いて部屋を出ていくスタッフ。何処か言葉に棘がある様に感じる。亜竜人種だし、仕方ないか。


『バンッ!』


 今閉じられたばかりのドアが勢いよく開けられ、その音に心臓が飛び跳ねる。


「ここは? 医務室か。」


 一人の男が入ってきた。しかも、オクルスじゃ見飽きる程見た王国騎士だ。


「おい、ここに竜人種が来なかったか? 灰色の甲殻に花緑青はなろくしょう色の模様があり、前掛けの様に鞄をぶら下げている。」

「それ――。」

「それはちょっとわからないですね。特徴的な見た目の様ですし、もし見たらお教え致します。」


 アロゥロの言葉を上塗りする様に答えるアメリさん。騎士の人が探してる人って絶対ソーゴさんの事だ。追われてるって事……?


「む、妖精族か。助かる。そう言えば竜人種は妖精族を連れているとの事だ。恐らく人質だろう。」

「なるほど。何か特徴等は無いのでしょうか。」

「なんでも、高価そうな赤いドレスを着ていたらしい。竜人種の趣味だろうな。」

「……では、それに近い姿の妖精族を見かけましたら報告させて頂きましょう。」

「そうして欲しい。それと、これはあくまで忠告だが……可変種には不用意に近付くんじゃないぞ。」

「心得ております。」

「ならばいい。」


 無愛想にドアを閉めて去っていく騎士。するとアロゥロが口を開けた。


「そう! ソーゴさん! 結局来なかったんだよ!?」

「来なかったって?」

「ルウィアのレースにだよ!」

「え? でも……声が聞こえた気がしたよ?」

「声が? じゃあ違う所から見られたのかな?」

「追われていますからね……。私、少し探してきます。」


 そう言ってアメリさんはソーゴさんを探しに言ってしまう。……あ。


「アメリさん……!」


 呼び掛けた時にはもう彼女は出て行ってしまっていた。


「どうしたの?」

「いや、ソーゴさん、何をしちゃったのかアメリさんに聞こうかなって……。」

「なんか、ミィ様が捕まってる道具が王国の物って勘違いされちゃったらしいよ?」

「王国の? だってアレは……。」

「うん、わかってる。だから、もしかしたら私達を襲った人は王国で盗みを働いていたんじゃないかってアメリさんが言ってた。」

「なるほど……。」

「にしても、こんな時までドタバタして如何にもソーゴさんって感じだよね。」

「ちゃんと落ち着いて見て欲しかったなぁ。」

「落ち着いてって、こんなの落ち着いて見られないよっ!」


 アロゥロが恨めしそうに包帯の巻かれた僕の腕を睨む。


「あ、はは…………ねぇ、アロゥロ。それでも、僕はやったよ。」

「うん。信じてた。でも、心配だった。」

「ごめん。……でも、これでやりたい事が出来る。」

「言いたい事は決まってる?」

「……うん。だから、僕のお願いを聞いて。」



 なんとなくだけど、僕は察していたんだ。


 彼との別れを。

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