第173頁目 子供になんて負ける訳ないだろ?

『ペチペチペチペチ。』


 マレフィムの抗議は一旦無視する。


「な、なんだぁテメェ……! こっちはそいつに用がぅべっ!?」

「馬鹿野郎! 店ごと吹き飛ばされてえのか!」

「すいやせん……! こいつにはよく言い聞かせるんで……!」


 啖呵たんかを切っている途中で仲間から重たそうな平手を食らわせられるマッスル小鳥。


「何しやがんだぁ!」

「おいおいテメェ等! ドアを壊した上に竜人種に喧嘩売るなんて巫山戯ふざけんじゃねえ! 旦那! そいつ等はもう客じゃねえ! だからこの店だけは壊さないでくれ!」


 店から出てきた店主と思わしき獣人種がとんでもない事を言い始める。そんな店をふっ飛ばす気とかは……ってかそんだけでけぇ石造りのビルなんか全力出してやっとだっつうの。


「許してくれ! こいつ酔っ払ってるだけなんだ!」

「あぁ……! 誰か怪我したのか? 慰謝料なら払うからよぉ!」

「えっ? あっ、いや……。」

「お、大事になってきましたよ?」

「ソーゴさん、どう収拾付ける気なんですか!」


 どうもこうも説明するしかねぇだろ!


「ハハハッ!」


 ん?


「いや、悪かった。騒がせてしまって。」


 ムクリと闇が起き上がりその顔をあらわにする。美少年だ。耳の部分は羽根に覆われていて、下向きにピンと張られている。夜闇に落とされた光をぼんやりと跳ね返す若々しい青白い肌。等身や身長から見て人間で言えば十歳くらいだろう。とても飲み屋にいるような見た目ではないが、この世界ではそう言い切れない。


「ボクも少し悪巫山戯わるふざけが過ぎたみたいだ。」


 台詞が妙なくらい堂に入っている。やはり、俺が思っている程こいつは若くないんだ。


「ヒィッ!?」

「お?」


 何故かマッスル小鳥を擁護する二人が怯え始めた。


「そう怯えないでくれよ。ボクは別に怒っちゃいないんだ。酒ならしこたま飲めたしね。あっ、でも扉を壊した件とボクの分の料金は君達が払って置いてくれたまえよ?」

「わ、わかった!」

「だから命だけは……!」

「えぇ? 怒ってないのになんで命なんか必要なのさ? 別に何もしないよ。ねぇ、お兄さん?」

「お、おぉ?」


 少年はおもむろに俺の首へ腕を回し同意を求めてきた。なんだコイツ。馴れ馴れしいな。


「それともお兄さんが怒ってる?」

「え? いや、まぁ、怒っちゃいたけど……どうでもよくなってきた。」

「だぁってさ。だからほら、気にしないでどっか行きなよ。」

「あ、ありがとうございます!」

「助かりましたぁ!」

「お、おい……痛っ!?」


 マッスル小鳥は仲間の一人に一発殴られると飲み屋に引きずり込まれていく。


「金だけ払ってさっさと出てけ! 店ぇ、壊されてたら殺しても足りなかったぜ!」

「へ、へぇ……すんません……。」

夜鳴よるなき族と竜人種に喧嘩を売るなんてイカれてんじゃねえのか? まだ生きてるって悪運だけで家が買えるぜ、クズどもが!」


 店からも痛烈な非難を受けている。なんだか拍子抜けだ。俺の怒りも殺されてしまった。


『ペチペチペチペチ……!』


 心なしかマレフィムの額叩きが強くなってる気がする。


「よ、夜鳴族……?」


 そう呟いたルウィアの方を向くと、怯える様な表情で口を大きく開けていた。夜鳴族って今の奴の事か? ってあれ? そう言えばそいつは何処に行った? さっきまで俺に引っ付いていたかと思えば何処にも見当たらない。


「あれ? 今の人は?」

「さぁ?」


 驚きはしたが、そこまで興味は無い。


「……さんの……ばん……!」

「ん?」

「アニーさんの……! 鞄が……!」

「鞄?」


 マレフィムの言葉を聞いて俺は胸元を見る。そこにはあるはずの物が無かった。一瞬の凍結感の後、全身が突沸とっぷつする。あの鞄も大事だが、そこにはミィが入っているのだ。鞄が消えた理由なんて考える必要もない。間違いなく彼奴アイツだ。


「……ッ!!」


 俺は瞬間的に身体強化魔法で各感覚を限界まで強化した。雪崩なだれ込んで来る大量の情報、その一つ一つから彼奴の、いや、ミィの痕跡こんせきを探る。眼球をどう滑らせても何も視えない。鼓膜のどんなに僅かな震えにも奴は引っかからない。だが、嗅覚だけは違った。宙に痕跡がある。風でそれが消えてしまう前に俺は……静かに歩みを進めた。


「ソーゴさん……?」


 そんなアロゥロの言葉に反応もせず歩みを徐々に早めていく、少しずつ、だが明確に俺の速度は上がっていく。まるで坂から球を転がす様に……!


「待っ! 何処に行くの!?」


 それにも答えず俺は二人を置いて行った。臭いの濃くなる方へ進め。そして、耳を澄ませ。世界を視線で埋めろ……! 何処だ! 何処にいる……!


『今日も疲れたぁ――。』

『チョロロロロロロ――。』

『酒が足りねえッ――。』

『カチャッ――。』

『金はどうした――。』

『サッサッ――。』

『ふぅーっ――。』


 臭いがする方角からする音の粒を一つ一つ聞き分ける。だが、どれもこれも求めてる物とは違う。奴は逃げてるんだ。余計な事なんて――。


『これは? 神巧具?』


 心臓が跳ね上がる。しかし、見えない地面にすくっと心が立てた様な、妙な安心感を得た。


 掴んだ……! ミィはまだ取り返せる! これ以上やらかしてたまるかよ!!


 俺は人通りの少ない道をひた走る。強い香水の臭いが漂ってきた。気付けば明かりが増えている。どうやら飲み屋と娼館が集まっている区域に来たらしい。そして、こえの臭いみたいなのも強まってきている。だが、何よりアニーさんの鞄の臭いは強まる一方だ。つまり、近づけている……!


 騒がしき歓声が漏れる飲み屋ともう店仕舞いとなっている何かの店の間の裏道には悪臭を放つゴミ箱と思わしき木箱が積まれている。だが、そこから強いアニーさんの鞄の臭いも感じる。そして……。


『ふむ。中に液体が入ってる……?』


 間違いない。奴はここだ。そう確信して歩みを進めようとしたその時だった。


「やっ。」

「ッ!?」


 気付けばそいつは俺のすぐ傍にいた。まるで元からそこにいたようにまた俺の首に腕を回して寄りかかっていたのだ。身体を俺で支えている? いつから力を加えられていた? 何故気付かなかった? そんな戸惑いはかなぐり捨て、俺は即座に跳ねて距離をとる。


「っとと……。もしかして、怖がってる? 駄目だよ、友達は大事にしなきゃ。それとも友達じゃないのかな?」

「……!」


 距離を取った後に俺は愕然とした。頭の上に手を添える。やはりいない。そして、奴の手には……。


「アメリ!? クソッ!!」

「クソとはなんて言い草。君が焦って跳ぶからこの子を落としたんだよ?」

「アメリを返せ!」

「言われなくても。」


 俺は眼を疑う。奴の姿が、一瞬にしてかき消えたと思えばすぐ傍にいたのだから。


「ほら。」


 そして、躊躇もなく俺の頭にマレフィムを乗せる。その間、俺は何も出来なかった。


「なっ……。」

「驚いてるの? ボクの事知らない? はい、鞄。」


 やっとその姿をマトモに捉えたと言ってもいいかもしれない。俺等とは違い”洋服”を着ている。そんな少年に差し出された鞄はストラップが切れていた。それを俺は二足歩行になって受け取る。


「欲しかったのはこれだけだから。」


 少年はキラリと月明かりを反射する黒い石を俺に見せる。それは俺の虚石財布だ。


「俺の……!」

「これやっぱり君のなの? 君本当に竜人種? 中身少なすぎて吃驚びっくりしたんだけど。」


 そんな言葉を無視して俺は鞄の中を確認する。そこにはしっかりと”憎き”魔巧具が入っていた。


「それどうしたの? 後々面倒な事になりそうだったから返したけど。」

「お前には関係ないだろ。それより、俺の虚石を返せ!」

「返したら答えてくれる? いや、答えてくれたら返してあげようかな。」

「……ッふざけんな!」


 俺は思いっきり身体を捻って尻尾を叩きつけようとしたが、虚しく空を切って俺の身体が回転しただけだった。


 頭上のマレフィムを意識したせいで初動が遅れたか!


「えぇー? なんかデリケートな事? ちょっと興味があるだけだよ。馬鹿にしたりなんてしないってば。」

「関係ねえだろって言ってんだよ!」


 町中では威力の高い技を使うのに躊躇してしまう。少なくとも考え無しに水の放射なんて出来たもんじゃない……! だからこそ肉弾戦を挑もうと地面を蹴るが、まるで影を相手しているかの如く触れる事が出来ない。


『ペチッ。』


 額に響くマレフィムの意思表示。


「あんだよ!」

「駄目です……敵う相手じゃ、ありませ……。」

「そ、ソーゴさん!」

「待ってよ、ルウィア!」


 ルウィア達も追いついてきたようだ。


「な、何をやってるんですか!」

「こいつが俺の鞄を盗んで行きやがったんだ!」

「か、鞄を……?」


 ルウィアは俺が片手に掴んだ鞄を見る。


「ミィとアメリを預かっててくれ。」

「は、はい。」

「ソーゴさんどうする気?」

「……一発ぶん殴る。」

「だ、駄目です!」

「なんでだよ!」

「彼は夜鳴族ですよ!」

「だからなんだ!」

「え、エルフと並ぶ力を持つと呼ばれている一族です……!」

「エルフと?」

「そうそう、ボクは夜鳴族。君達竜人種の一部と同じく災害だなんて失礼な事言われちゃってる系一族だよ。」


 そんな強い奴なのか……だからマレフィムは敵う相手じゃないだなんて……。


「そんな奴がなんで盗みなんてしてんだ……!」

「好きに生きてるだけさ。でも、アテは外れたね。もうちょっとお金持ちだと思ってたよ。」

「残念だったな!」

「でも、その鞄に入ってる神巧具には興味があるんだ。教えてくれないか? 教えてくれたらこの虚石も返すし、君等の命だって据え置きにしてあげよう。」

「……こ、この神巧具には――。」

「おいルウィア!」

「お、お願いです。ソーゴさん。今回ばかりは言う通りにしましょう。」

「それが……いい、でしょう……。」

「……クソッ。」


 そんなにヤバイ相手なのかよ? 確かに不気味さはあるが、圧倒的力の差を感じるかと聞かれたら微妙な範囲内だ。


「その、神巧具には友人が閉じ込められているんです……。」

「友人? もしかして、あの透明な液体がそれなのかい?」

「は、はい。」

「へぇ……水みたいな液体に変えてしまう神巧具? フマナ様は何の為に作ったんだろう? あれ、でも……。」

「それは、その、わからないです。そこから友人を解放したくて……。」

「ふぅん。それ頂戴って言っても恨まれそうだしなぁ。」


 トンデモな言葉に身構えてしまう。もし、ミィを持ってくってんなら全力を持ってして潰す。絶対にだ。


「使い方、わかんないの?」

「その、そうです、ね。」

「そ。」


 淡白な反応を返すと虚石を指で弾いて空高く打ち上げる少年。


「なっ!?」


 その虚石はキラリと月明かりを跳ね返すと俺の頭上を飛び越えていく。


「何しやがる!」


 視線を少年に戻したはずだった。だが、虚空。


 其処にはもう誰も残っていなかった。

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