第51頁目 服を買いに行く為の服って必要じゃない?

 俺は今世に産まれてたから、等身大の自分をハッキリと見た事が無かった。角狼族の村に鏡が無かった訳じゃないが、見かけたのは女性がデミ化した時に化粧の際に使う手鏡くらいだ。それに俺が興味を示すはずもない。俺が覚えている最後の自分の姿は、澄んだ水面に映る朧げな姿程度。未発達の角、大きな翼、目を細めないと各パーツの輪郭もわからない黒々とした身体に、それに映える黄色い瞳と白い牙。


 それが今、綺麗に磨かれた鏡を前に立つとどうだろう。この淡いエメラルド色の神秘的な文様を漂わせ、骨灰で出来ているかの様な鱗を纏うドラゴンは何者なんだ?


「(どう? クロロ。中々いいデザインでしょ? 色はどうなるかわからなかったんだけど……灰色はセーフだよね? それとも、もうちょっと派手なのが良かったかな?)」

「(ぁ……い、いや……これで……良いと思う。)」


 自分の姿の変わり具合に、目の前の光景が信じられない俺。この凄まじい重量を背負う代わりに得た姿がこれなのか。頭の後ろからは真っ直ぐに角が生え、鱗を覆う土の分だけ太くなった足に合わせて爪も厚めに覆われている。


「うわぁ~……これじゃぁ外を出歩けないよぉ~……兜だけ被って出歩いたら警邏けいら兵に目を付けられそうだし……見てこれソーゴさん。こんな髪型可笑しいよね? いっそ反対側も同じ様にした方がいいかな?」


 鏡に見とれている途中、急に話しかけられ思わず身体が一瞬強張ってしまったが、話の内容自体はなんの他愛も無いものだ。俺はとにかく間に合わせの返答でファイマンに返す。


「一時凌ぎになっちゃいますけど、頭に布でも巻いたらいいんじゃないですか?」

「あっ! そうか! いいね! 流石可変種! 布の扱いに慣れてるなぁ!」

「よぉ! ファイマン! その髪型も中々男前だぜ!」


 そんな弥次やじを飛ばす他の客だが、それを聞いたファイマンは疑いもせず顔から不安の色を薄れさせる。


「えっ? そうかい? まぁ、なんてったって絶世の美人であるアニーが惚れるほどの色男だからね! こういう髪型も似合ってしまうというのも頷けちゃうなぁ。」


 すっげぇポジティブだなこの人。もう、ちょっと馬鹿なんじゃないかって疑いそうになるほどポジティブだ。いや、人を悪く言うのは良くないよな。ただの馬鹿な愛妻家なんだ。うん。


「髪型も変わって心機一転! もう一曲いっちゃおうかな!」

「いいぞぉー! 次は『丘の向こうのドダンガイ』を歌ってくれ!」

「まかせてっ!!」


 すっかり元の機嫌に戻ったファイマンは、客からリクエストされた歌を快く受けて歌い始める。『ドダンガイ』ってあの巨人のドダンガイだよな……。


「(クロロ。料理も冷めちゃうし席に戻ろうよ。)」

「(あ、あぁ。)」


 ミィの言う事も尤もなので、いそいそとマレフィムの元へ戻る。


「どうでした? 『ソーゴ』さん。まるで別人の様でしたでしょう。」


 ニヤリと悪戯っぽく笑みを向けてくるマレフィム。どもその通りだった。


「……そうだな。凄い変わり様にビックリしたよ。これなら角狼族や高鷲族と鉢合わせてもバレないだろうな。」

「でしょうね。しかし、違う意味で目立ちそうだという私の心配を理解していただけたでしょうか?」

「あぁ、まぁな。」


 不気味さと美しさを兼ねるこの造形は確かに人の目を惹くだろう。でも、そん時はそん時だ。今はこの美味しそうな香りが主張する料理を……! ってこれ、ナイフとフォーク? スプーンまである。


「どうしたのですか? あぁ、それは不変種やデミ化した方用の食器です。そういえば使い方を教えていませんでしたね。」

「それくらい俺だってわかる。使えるから大丈夫だ。」

「おや? そうですか。」


 一体何処で知ったのかと聞かれたら返答に迷う所だったが、マレフィムは何も聞いてこなかった。にしても、異世界でも食器の形まではそんなに変わんないのか。なんかちょっと期待外れだな。まぁ、どう使うかもわからない物が出てきても困るんだけどさ。……でもこれ、ドラゴンの手だと使いにくいな。特に今、土で肥大化している爪が邪魔でしょうがない。少し苦戦しながらも俺はなんとかナイフで切り分けた白身魚のフライをフォークで刺し口へ運ぶ。


「んんっ!?」


 おっと……思わず感嘆の声を上げてしまった。しかし、勝手に声が出るくらいには美味だったのだ。許して欲しい。屋台の串焼きでもそうだったが、このフライの衣の下には香草と香辛料の香りがこれでもかと言うくらい閉じ込められている。それはまぶしてある程度ではなく、近くで見ると衣の内側に薄く黄色い層がある事がわかるくらいの量が使われているのだ。このスパイスの層が魚の旨味をギュッと閉じ込めているのだろう。その証拠に、魚を切り分けた所から旨味を含んでいるであろう透明な汁が滲み出ているのがわかる。ファイマンの自慢は口だけではない。事実だったのだ。俺はこんなに美味しい料理の出る宿屋に泊まれた事をとても幸運だと思えた。


「クロ……ソーゴさん……凄い顔してますよ……?」

「マ……アメリこそ……。」


 アメリことマレフィムはこちらに疑問顔を向けているつもりだろうが、その表情は加えて恍惚の様相を帯びている。その小さい手には小さいスプーン。『ウサンのスープ』だっけか……? そんな顔をするくらいには美味かったんだな……でも、気持ちはわかるぞ。マレフィム……!


「(二人して何変な顔してんの……?)」


 ミィはこれが食べられないなんて可愛そうだなぁ……。



*****



「なーんか……色々食べ歩くつもりだったのに満足しちゃったなぁ……。」

「そうですねぇ……。」

「(そんなに美味しかったの……? 夜はちょっと分けてよ。ねぇ、聞いてる?)」


 俺達は今、『小さな巨人亭』自慢の料理を食べ終えて中央の市場へ出ていた。あの出来の料理を出されては今からもう夕飯が楽しみで仕方ない。どうやらもう俺はあそこの料理の虜にされてしまったようだ。あぁ~……アニーさんだっけ。今の所この世に生まれてからブッチギリで一番美味しい料理だったなぁ。


 違う違う。そうじゃなくて、俺達は今マレフィムの変装用の服を探しに来てるんだった。マレフィムは今日から少しの間、女になる。いや、女に”戻る”が正しいのか。竜人種と妖精族の組み合わせなんてそうそう無い組み合わせだからな。俺の外見を変えるだけでなく、マレフィムの性別も変えた方が万全だという事になったのだ。だからマレフィムの偽名を『アメリ』にしたらしい。なので、妖精族の”女性らしい”服を探しているのだが……。


「あまり気に入った物は無いですねぇ。」


 ちゃんとした店を構えている所の服は装飾が凝っていて高価である。それと対象的に、屋外の簡易的な店で雑多に並んでいる服は縫合は雑で色が薄く安価だ。高価な物を買う必要は無いし、かと言って安価な物も出来が悪すぎる。いい感じに中間の商品は無いものだろうか。


「値段に対して長持ちしそうな物がいいよな。」

「そうですねぇ。ですが、流石に好みから逸脱した物は身に付けたくありません。」

「意外と拘りあるよな。」

「これでも歴とした女性ですからね。」


 とか言いながら、まだ男の身体のままだがな。でも、身奇麗にしているせいか女性モノの服を物色していても、恋人に渡すプレゼント用の服を買いに来ている若き紳士に見えるのが少し腹立たしい。


「そういえば、何故……『ソーゴ』にしたんです? 聞いた事もない言葉ですが……。」

「……別に。ふと思いついた”偽”名だよ。」

「そうですか。おや、これなんてどうでしょう?」


 ソーゴが偽名か……これで良かったのかな。俺だったモノの一つを完全に捨ててしまった。そんな気がしてならない。


「クッ……ソーゴさん? 聞いてますか?」

「お、おう。」


 マレフィムに呼ばれて、我に返りその手にしている服を見る。お洒落なフリルが控えめに付いたジャケットとフォーマルなパンツのセットだな。色は淡い黄色でなんとも女性らしい。


「お兄さん、お目が高いねぇ。そいつはここらじゃちょいと高めだが、自慢の一品だよ。奥さんへのプレゼントかい?」

「……えぇ、そうです。」


 話し掛けてくる店員への応対を見るに、マレフィムも段々都会の空気に慣れてきたようである。


「まだ男っぽくないか? スカートとかの方がいいだろ。」

「はははっ! 何言ってんだ兄ちゃん! 確かにスカートの方が色っぽいけどよ。有翼の種族はちゃんとした場でもなきゃスカートなんて穿かねえよ!」

「そうですよ。なので有翼の種族は下は『パンツ』が基本です。『ドロワーズ』なんて高級品があれば別ですけど。」


 『ドロワーズ』……? それがあればスカートを穿いて飛んでも問題無いのか? どんなのだろう……スカートを外側から締め付けるベルトみたいなモンかな。それなら簡単に作れそうだけど……歩き辛そう……。


「……そうですね。ジャケットのスリットも端処理がしっかりしていますし、これにしましょうか。」

「その背中の部分の切れ間って羽を通す為なんだよな? やっぱり傷み易いのか?」

「えぇ、やはりよく擦れる部分ですからね。私は羽に痛覚が無い種族ですが、痛覚がある種族は柔らかい素材を付けて擦れによる痛みを抑えたりするそうですよ?」

「まぁそれこそ、そこまでしてアウターを着る奴は物好きか見栄張りくらいさ。」


 それってつまりさ。これはあんまり売れない商品って事だよな? そうだよな? 突っ込んでいいのかな? でも、揉め事起こしたらな……。


「これ、お幾らですか?」

「上下セットで18000ダリルだな。」

「そうですか。では、次に行きましょう。」

「お、おいおい! 気に入ってたんじゃねえのかい!?」


 値段を聞いてすぐに去ろうとするマレフィムに焦る店員。感覚的には妥当な値段にも感じるのだが、そこまでこの一時的に使う服に金を掛ける気はないって事か。


「流石に予算オーバーですので。」

「予算は幾らなんだい。」

「5000ダリルです。」

「5000!? 馬鹿言っちゃいけねえ。それじゃボロ服か、良くてマシな上一枚が限界だぞ。」


 俺も5000は厳しいと思うなぁ。


「せめて奥さんに喜んで貰うにはもう少し予算を上げた方がいいんじゃねえか? なぁ。兄ちゃん。」

「ま、まぁ……。」


 そこで俺に振られてもな。全財産握ってるのマレフィムだし……。


「ふむ。ですが、私の妻は大変な美人なのですよ。服など有り合わせの物を着せるだけで醜い虫が寄ってくること……。」

「で、でもよぉ、お前さんが付き添って出かける時くらいは、うんと着飾った奥さんであってもいいだろ?」

「それは、まぁ。ですが、予算を上げるにしてもその服は高すぎます。家庭に献身的な妻に怒られてしまいます。」


 よくもまぁ……すらすらと嘘が吐けるもんだなコイツ。


「なぁに良いプレゼントを貰って頭ごなしに旦那を貶す女はいねえ。安くしてやるからよ。13000ダリルはどうだ?」

「そんな! 愛に値段は付けられないとは言いますが、私が探しているのは結婚記念に渡すプレゼントなのです。妻は高い物であればいいと短絡的に喜ぶ脳足らずではございません。13000ダリルではまだ怒られる値段でしょう……。」

「(マレフィム、また調子に乗ってない?)」

「(だな。)」


 マレフィムのあざとい演技を前にしても服屋の親父は全く引かない。


「い、良い奥さんを貰ったな! それなら一体幾らだったらその奥さんは怒らないって言うんだ。」


 ついに此方の提案を聞く姿勢に入っている親父。これが術中に嵌るって奴なんだな……。


「それを決めるのが店を構える側の仕事でしょう。別にこちらは貴方の店を潰したい訳ではございません。ゆえ、他の店でも探しますよ。」

「わ、わかった! 10000! 10000ダリルならどうだ!?」

「それだと、予算の倍掛かったという事になります。せめて、もう少し下がれば予算の倍も掛からなかったという苦し紛れの良い訳で誤魔化せそうなのですが……。」

「ぐっ……うぅっ……! 9800……!」

「8000。」

「9500……!!」

「8300。」

「9000!!!」

「いいでしょう。」


 俺は一体目の前で何を見せられてるんだ……。何故親父さんは涙目で言いたくも無い数字を言わされている。この茶番染みたやりとりは必要だったのか? 


 マレフィムは満足顔で金を払い商品を受け取る。お前下手したら刺されるぞ?


「ま、毎度……半……額…………。」


 あ~ぁ~……親父さん完全に肩を落としちゃったよ……でも、取引は成立したんだから悪い事はしてないよな……。

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