束子

 羊の世話をして、乗馬訓練をおこなう。

 それが終わると、また羊を冬営地まで連れ帰る。

 冬は羊が乳を出さなくなるので、鬼角族の冬の食事は秋に屠った羊の干し肉ばかりだが、それを腹いっぱい食べる。

 慣れないことで体は疲れきり、夜はぐっすりと眠る。

 ツベヒたちが帰ってくるまでのあいだに、二十名の兵士達は馬を襲歩しゅうほで走らせるまではできるようになっていた。覚えのはやいものは、羊の誘導を馬上でできるまでに上達していたが、今のところは、とにかく馬に慣れさせることを第一とした。馬上での戦闘訓練は、まだまだ先だ。


 四人が戻ってきたのは、七日すぎた午後のことだった。荷を運ぶために連れていった馬の背には、胸甲や兜が鈍く光り、任務が無事に達成されたことを示していた。

 「問題なく任務を果たしたようだな、よくやった。ツベヒ君、特になにも問題はなかったかな」

 「鎧をどこに埋めたかわからなくて、けっこう苦労しましたよ、隊長。ですが、この鎧をどうするんですか。穴が空いていたり、かなり血がこびりついたりしていますよ」

 「鎧は修理するからかまわない。重騎兵をなんとか十騎用意したいんだ。数でも質でも私たちの騎兵は負けているが、重騎兵なら相手の度肝を抜くことができるんじゃないかと思うんだ」

 ジンベジが口をはさむ。

 「相手というのは、エルムントとかいう敵の族長のことですか、教官殿」

 「よくわかったな。人間は組むに値する相手だと思ってもらわなければならない。鎧を身にまとった重騎兵なら、相手も一目置くだろう」

 しかし、ユリアンカもキンネク族も重騎兵を侮って、手ひどい反撃を受けたことを忘れるわけにはいかない。大太刀しか使わない鬼角族への効果は絶大なのだが、その強さをはかることができない可能性もある。

 「今日はしっかり休んでくれ。明日からは、君たちにも訓練に付きあってもらうぞ。ここにいる兵士は全員騎兵になる。それだけが生き残る道なんだからな。鎧は士官用の小屋の横に置いてくれ」

 馬を降りた四人は、鎧を小屋の方へ運ぼうと馬の手綱を引いた。全員に疲労の表情が見えるが、特に疲れているように見えるのは元大隊補佐官のライドスだ。ライドスは実戦の経験も、雪中野営の経験も持たないようだった。馬術は十人並み以上のところからすると、それなりの地位がある家の生まれだと想像できる。

 「ジンベジ君とホエテテ君は、明日から馬上での戦闘訓練に付きあって欲しい。ツベヒ君とライドス君には、馬術の指導を頼む。羊飼いの合間におこなう訓練だが、鍛えてやって欲しい。頼んだぞ」

 四人はそれぞれ、了解の返事を残して小屋の方へ帰っていった。

 私もハーラントに先へ帰ることを伝え、自分たちの小屋へ戻る。兵士たちが戻ってくる前に、やっておかなければならないことがあるからだ。

 小屋の中に入り、油を染みこませた防水布の手袋を取り出す。わらでできた束子たわしも用意し、小屋の外に置かれた鎧のところへ急いだ。

 掘り出された胸甲や兜は土に汚れ、乾いた血がこびりつき、どす黒く変色している。

 穴はどうしようもないが、持ち主が死に、血塗られた鎧を着ることに抵抗を感じる人間は多いはずだ。特にひどく汚れた胸甲に雪の塊りをなすりつけて、束子たわしで強くこする。乾いた血はそう簡単に取れないので、一度雪の水分で汚れを浮かせる必要がある。

 雪を掴み、鎧にこすりつけ、束子たわしでこすることを繰り返す。今日一日ですべてを終わらせることはできないが、ある程度の下準備をおこなっておかなければならない。水分が染みこまなくとも、防水布越しに伝わる冷たさで指先の感覚がなくなっていくのがわかった。

 凍傷を防ぐため、指先の感覚が完全になくなる前に、手袋を外して両手をわきの下に入れて温めなければならない。ふと見ると、束子たわしがどす黒い血の塊りで真っ黒になっていた。

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