なまくら

 恐れていた夜襲もなく、無事翌日の朝を迎えた。

 どうなるにしろ、あと三刻もすればこの戦いに決着がつくだろう。これが最後の食事になるかもしれないが、味のしないかたいパンを水筒の水で押し込んで終わり。

「よし、出発するぞ。ヤビツ君たちは先に進んでくれ」

 大声で羊たちに指示を与えると、鬼角族の族長を探しに向かう。

 出発準備をおこなう鬼角族の中で、すぐにハーラントを見つけることができた。

「ハーラントさん、今日はいよいよ決戦の日だ。私の策がうまくいったなら、神官を連れてユリアンカのところに全速力で戻る。替え馬は何頭くらい必要だろう」

 まだ眠そうなハーラントだが、私の問いに即答する。

「替え馬を四頭で、休みなく進んで一日。かなりキツイはずだが、その神官とやらは馬に乗れるのか」

 また、自分の考えの甘さを思い知らされることになった。従軍している神官なのだから、馬に乗れるかもしれないが、馬に一度も乗ったことがないことも考えられる。

「その時は、降伏条件に一項目追加するだけだ。他になにかないか。私の考えが及ばないことがまだまだあるかもしれない」

 ハーラントは首を横に振った。

「だったら出発だ。黒鼻族を追い抜かないようにしてついてきて欲しい」

 そういい残すと、ジンベジ達の方へ戻る。あとは計画のままに進むだけだ。


 日が天頂に昇る少し前、はじめて敵兵の姿が見えた。

 少しだけ小高くなった場所に、数名の兵士がこちらに気がつき、すぐに姿を消す。

「教官殿、この馬で追いかければ、本隊に戻る前に捕まえられるかもしれませんが、どうしますか」

 ツベヒの声に、放っておけという返事をしておく。

 連絡用の馬が隠れているかもしれないし、今回は奇襲するために敵陣へ向かっているのではない。だが、そろそろこちらも準備をする必要があるだろう。

「黒鼻族整列! 二列横隊つくれ!」

 実戦において、まともに声も出せなくなる私だが、ここは戦場ではない。低く太い号令のとどろきが、周囲一帯に響きわたった。

 なんと気分がいいことか。

 黒鼻族や鬼角族は新兵で、私は教官トレーナーだ。

「キンネク族整列! 両翼に徒歩かちの兵士、その外に騎兵だ!」

 私の命令を、ハーラントが大声で伝える。

 ここは戦場ではなく、新兵の訓練所だと思えばいい。

 羊たちは二列横隊をつくり、静々と前進していく。

 距離は離れているが、鬼角族の徒歩かちの兵士はバラバラで、まるで隊列が組めていないことはわかる。しかし、それでいい。いかにも蛮族といった鬼角族たちの装備は、集団戦闘の鍛錬とは無縁でも、個としての戦闘力が高いように見えるだろう。もちろん、鬼角族の男性は人間よりも力が強く、戦闘能力が高いのだが、徒歩かちのほとんどは女性だ。

 その一方で、両翼に五十騎ずつ配置された騎兵の隊列は見事だった。はじめは、列を組むことに拒絶反応を示してた鬼角族だったが、人間の騎兵でもできることができないのかとあおったところ、今では見事な横列を組むことができるようになっていた。きれいに並んだ騎兵は、練度が高く精強に見える。

「このまま前進! 敵が見えても隊列を維持しろ! 命令あるまで攻撃は厳禁だ!」

 約八百人だから一個中隊強になる。訓練では、多くても一個小隊だから、これだけの兵士に命令を下すことはなんとも気分がいい。だが、その楽しい時間はすぐに終わった。

 半刻もたたないうちに、鬼角族の秋営地が見えてくる。

 いよいよ、これから戦いがはじまるのだ。戦わないための戦いが。

 急に、身だしなみのことが気になりはじめた。もう数か月は軍服を洗っていないし、風呂にも入っていないので体中垢あかだらけだ。

 この姿で、鬼角族の代表として交渉の場に出るのか。

 髭だけは剃ったが、髭のあった場所だけが日焼けしていなくて白く、剃らなければよかったと後悔していた。交渉という戦場に、汚れた軍服、生白い顔という、なまくらな武器しか持たずに臨まなければならないのか。

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