前夜

 その夜は火を使わず、補給部隊から奪った二度焼きしたパンの切れ端を水で流し込んだ。

 鬼角族たちにも、火を使わないことを頼んだし、黒鼻族の羊たちはなにも食べないから問題ない。

 ここまで斥候隊に見つかった様子はなかったので、わざわざ危険を冒す必要はないと判断したからだ。

 族長のハーラントと、羊のヤビツには明日の計画を再度伝えておいた。


「みんな、まだ起きてるか」

 曇り空で月もかげり、相手の顔も見えない暗闇の中から、四人から返事がくるのを待ってから続ける。

「明日、私が敵陣に向かうとき、一人付き添いが欲しい」

 敵陣に一人で交渉に向かうことも考えたが、条約を結ぶのであれば相互に証人が必要になる。

 だが、交渉が決裂した場合、私と付き添いは確実に死ぬことになるだろう。敵の騎兵はまだ戻ってきていないだろうから、鬼角族や黒鼻族とともにいれば生き残る確率はかなり高い。

 静寂があたりを支配する。

 賭けるのは自分の命なのだ。四人とも、頭の中で損得を計算しているのであろう。

「親父、俺がいくよ」

 沈黙を破ったのはイングだった。すぐに、ツベヒとジンベジも声をあげるが、私はことばでそれを制した。

「ああ、イング。私もお前に頼もうと思っていた。敵になぶり殺しにされるかもしれないが、いいのか」

 儀礼程度のものなら許されるが、武器を持って敵陣にいくわけにはいかない。その点、イングの拳闘ボクシング贈物ギフトなら、最大限の能力を発揮できる。

「俺はこいつらみたいに、器用に立ち回ることはできない。そのかわり、親父のために命を賭けることはできるぜ。このままつまらん人生を送って、つまらん死に方をするよりは、人の役に立って死ぬ方が何倍も意味がある」

「おいおい、私たちは死にに行くわけではないんだぞ。だが、もし生き残ることができれば、武功第一はイングのものにしたいと思うのだが、どうだろう」

 他の三人から、同意を示す声が返ってきた。

 はじめから降伏するために交渉をするのだ。武功になるわけがないし、名誉以上の意味はないだろうが、名誉こそイングに必要なものなのだ。贈物ギフトを持ちながら、みなにないがしろにされた男には、自尊心を取り戻すことが重要だ。

「よし、じゃあ明日はイングに付き添ってもらうことにする。頼むぞ」

「おお、親父。任せろ」

 イングの上機嫌そうな声に少し安心をしたが、まだ伝えなければならないことがある。

「では、本隊に残るジンベジとツベヒ、シルヴィオにも命令だ。明日、交渉が決裂した場合、ヤビツにはバウセン山に逃げるよう命じてある。モフモフ達にバウセン山の場所はわからないだろうから、ジンベジとシルヴィオは黒鼻族を導いてほしい」

 追撃する部隊がいた場合、たくさんの死人がでるだろうが、羊の足は人間よりは速いので半数以上は生き残ることができるだろう。

「ツベヒは、ハーラントについてくれ。交渉が決裂した場合、冬営地まで後退するように伝えてはいるが、無視して突撃するのではないかと思っている。敵には弓兵がいるし、騎兵の突撃を防ぐ壕を掘っているだろうから、残念ながら多大な被害を受けるだけだろう。それでも、生き残った鬼角族で補給部隊を攻撃し続ければ、敵の本隊は撤退をせざるを得なくなるはずだ。鬼角族はすぐに死にたがるから、命を大切にするよう忠告することを忘れるなよ。後方かく乱の方法はわかるな」

「わかってますが、ローハン隊長のことばじゃないと、ハーラントさんは諫言かんげんをきかないでしょう。生きて帰ってくださいよ」

 ハーラントが死んだ場合、ことばが通じなくなるので、鬼角族との連携は不可能になるだろう。ハーラントが生きていても、ツベヒのいうことを素直にきくとは思えない。

「だったら、死ぬわけにはいかないな。はなしは終わりだ。明日に備えてゆっくり眠ってくれ」

 神経が高ぶって、とても眠れないことはわかっていたが、体を休めるためにも目を閉じていると、いつのまにか寝入ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る