ヤビツの決意

 輸送隊の兵士はみな西に逃げたが、一矢報いようとイングは一人でチュナム集落に戻ってきたということだった。チュナム集落には、他の兵士はいないという。

「親父、これからどうするんだ。ここで戦うのか」

 のんきなイングの姿とは裏腹に、私の左目はさらに腫れあがり、ほとんど見えなくなっていた。こめかみはじんじんと痛み、力を使い果たした体の節々は痛みに悲鳴をあげている。

「私は君の親父ではない。イング君、少しここで待っていてくれ。はなしをする必要がある相手がいる」

 誰と、というイングの質問が出る前に、ヤビツの小屋へ向かった。

 黒鼻族は、日が暮れるとすぐに眠ってしまうので、ヤビツも眠っているだろう。入口でヤビツに声をかける。何度かよびかけると、小屋の奥から羊が姿をあらわすが、室内に差し込む月のあかりしかない状態では、それがヤビツかどうかの判断はつかなかった。

「夜分すまない、ヤビツ君。大切な話がある。いま、少し時間をもらってもいいか」

「ローハンしゃん、こんな夜おしょくどうしぃましぃたか」

 会話ができるのであれば、間違いなくヤビツだ。

「大切なことを頼みにきた。あと半日もすれば、このチュナム集落に敵の騎兵が接近してくるだろう。だが、私たちの力では敵を撃退することができない」

 見えたとしても、大きな羊の表情からは、その考えを判断するはできないだろうが、暗闇の中ではなおさらだった。

「ただ、ヤビツ君たちが私たちに手を貸すと、この場所では暮らせなくなってしまう。もちろん、将来的に戻ってくることはできるかもしれないが、当面はギュッヒン侯の報復から逃れるために別の場所へ移動することになる」

「私ぃたちの暮らせる場所が、どこかにあるのでしゅか」

「ここから七日ほど西へ進むと、ルビアレナ村という人間が暮らす村がある。そのあたりなら、君たちが逃げていっても安全なはずだ。このあたりのような柔らかい草はないが、布草という背の高い草が生えているし、周辺から牧草を集めることもできると思う」

 本当に、羊たちの食料が調達できるのかどうかはわからないのだが、こうでもいわないと助力は得られないだろう。

 しかし、これは裏切りだ。都合よくモフモフたちを利用し、用が済んだらポイ捨てするつもりなのではないか。軍隊では、簡潔で率直に、だ。

「いや、ヤビツ君。今のはなしは忘れてくれ。避難する先のルビアレナ村には水源があるが、人間の成長を妨げるような性質があると考えられてる。布草は大量にあるが、君たち黒鼻族が食べられるものかどうかはわからない。食べられる草を探すことを、私も全力で応援するが約束はできない。それでもよければ、手を貸して欲しい」

 どう考えても、羊たちに利点はない。ヤビツが興奮していた、チュナム族の伝説を信じることだけが、利益のない戦いに参加する理由になりえるだろう。しかし、それは動機として弱すぎる。

「村の仲間全員と話ぃをしぃましぃた。私ぃたちは、同胞はらからと会うためであれば、ここから出ていくこともしぃ方ないと思っていましゅ」

 そもそも、なぜ別の黒鼻族と会いたいのだろうか。伝説以外で、冬の近いこの時期に村を捨てて移動するほどの魅力があるのか。だがそれは、私たちが考えるものではないのかもしれない。

「後悔することになるかもしれないぞ。こちらにとっては大歓迎だが。それに、もう一つ大きな問題がある。次の戦いでは、鬼角族を戦友として戦うことになるが、かまわないか」

 長い年月にわたり定期的に襲撃を受け、家族や知り合いを連れ去られていたのだ。そう簡単に、仲間になれるはずがない。

「鬼角どくは敵でしゅ。しぃかしぃ、私ぃたちは必ず仲間を見つけなければならないのでしゅ」

 ウソはついていないし、必要な説明は全部済ませた。それでもかまわないというなら、一緒に戦おう。

「わかった。それでは作戦を説明する――」

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