十年

 イングは着地するときに足を捻り、そのままもんどりうって倒れた。左肩を強く地面に打ちつけると、下り斜面を数回転がり、そのまま動かなくなる。

 斜面を登ったホエテテとジンベジも、すぐに戻ってきて倒れた男のそばに駆け寄り、武器をかまえて慎重に近づいた。

「教官殿、こいつどうしますか。殺しますか」

 ジンベジにとってイングは顔も知らない敵であり、殺そうと考えることは自然であろう。

「待ってくれ。まんざら知らない相手じゃない。どうするかは、本人にきいてみることにしよう」

 意識を失っていたイングは、次第にそれを取り戻し、周囲をキョロキョロと見回す。すぐに大太刀を握った大男と、自分の首筋を狙う槍の穂先に気がつくと体を固くしたが、こちらをにらむ目は死んでいなかった。

「どうした、イング君。私が懐かしくて追いかけてきたのかな」

「うるさい、裏切者め」

 イングは、唸るように吐き捨てた。

「おいおい、裏切者はどちらだ。王位を簒奪するために、内乱をおこしたギュッヒン侯こそが反逆者だろう。それに、君自身ギュッヒン侯から、それほどの恩寵を受けているわけではないように見えるが違うのか」

 どうみても、イングはただの一兵卒だ。正確な年齢はわからないが、もうすぐ三十に手が届かんとするようにみえる。本当はもう少し若いのかもしれないが、自堕落な生活がイングをむしばんでいるのだろう。

「あの日のことはよく覚えているよ。新兵にぶちのめされたのは、あれが最初で最後だ。この男は、将来どれほどの軍人となるのかと思ったが、十年たっても君は一兵卒のままだ。それどころか、鍛錬を怠ってブヨブヨじゃないか」

「黙れ、お前になにがわかるんだ! 一対三で子分の陰に隠れているくせに、まだ教官ヅラで説教かよ」

 煽られると、すぐに激昂するうえに、素手では拳闘ボクシング贈物ギフトで無敵。それが、イングの人生において、むしろ失敗につながったであろうことは容易に想像ができた。

 だが、この男の才能を無駄に散らせるのは惜しい。

「ジンベジ君、ホエテテ君。武器をどけてくれ。この十年、このイング君にブッ倒されたことを一日も忘れたことはなかった。どうだ、ひとつ提案しよう。ここで私と素手で戦い、君が勝てば私は降伏しよう。私を捕虜にすれば、ギュッヒン侯の末っ子も君を見直して士官くらいにはしてくれると思うぞ」

「お前が勝てばどうなるんだ」

 戦う前から、負けたときのことを考えているイングが情けなかった。やんちゃ坊主は、戦う前に負けることなど考えないはずだ。

「勝者はすべてを取る。イング君は私の部下になって、その忠誠と命を捧げてもらおう」

「いいだろう。またぶちのめしてやるよ」

 合図をすると、ホエテテとジンベジが武器を後ろに下げた。

 イングはよろよろと立ち上がる。

 転倒時に強打した左手は、痺れているのかダラリと下に垂らしていた。

 立ち上がった時、右足に体重がかかると顔をしかめたのを見逃さない。

「これは殺し合いではない。訓練所でおこなったときのような模擬戦だ。それでいいな」

 大きく何度か深呼吸したイングは、黙って首を縦に振った。

「ジンベジ君、ホエテテ君、いいな。これは名誉を賭けた試合だ。殺し合いではないし、私が負けたからといってイング君に手を出すな」

 二人はイングから大きく離れ、武器を手にしたまま静かに私たちの戦いを見届けることをきめたようだった。

 左手がほとんど使えず、右足首を痛めたイングに、この戦いを受け入れる必要はなかったのかもしれない。しかし、一対三という圧倒的に不利な状況を、一体一にできるという利点もあった。ここで戦いを拒めば、ただ殺されるか捕虜になるだけだ。不利は承知で、私の提案に乗ったのだ。

 ひょっとすると、それだけの不利な材料があったとしても、私に勝てると思っているのかもしれないが。

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