チクリとした痛み

「ツベヒ君、きみたちと黒鼻族との関係はどうなんだ。仲良くやっているのか」

 私の問いかけに、ツベヒは表情を暗くした。

「じつは、あまり良いわけではありません。オステオ・ギュッヒンさ――が、鬼角族討伐に向かうということを知った黒鼻族は、投槍を持ちだして、一緒に遠征するといいました。それをみたオステオは、異民族が武装するのは好ましくないということで、すべての投槍を取り上げたのです。特に通訳のヤビツは、かなり怒っているようでした。羊の表情はあまりわかりませんが」

 異民族を支配する際に、武器を持たさずに自分たちを頼らせるという方策は基本であるといえる。らしむべし、知らしむべからずだ。だが、自分たちが十分な兵力を持たないときに、補助部隊として徴用することは以前からおこなわれていたことだし、有用な方策である。そもそも、モフモフ羊たちは鬼角族を憎んでおり、裏切りの心配がないという意味で信用できる兵力のはずだ。その投槍は、弓を使わない鬼角族の騎兵には特に有効であり、二百人ほどの戦力を利用しないことは愚の骨頂だといえる。

「オステオ・ギュッヒンは、若くしてなかなかの人物であるときいていたが、そうでもないのか。軍略書や政治指南書を丸暗記しているだけの、坊ちゃんじゃないか」

 そこまでいってから、自分の考えが危険であることに気がついた。軍神の末っ子は、ただ羊たちのことを知らないだけなのだ。知識不足が誤った選択を導いたのであれば、情報を得れば修正することができる。私も、この場所で暮らし、戦ってはじめて身につけた知識なのだ。知らないのが当然ではないか。

「教官殿、相手は父親の七光りで出世した、ただの坊ちゃんですよ」

 ジンベジの軽口は、あえて否定しないことにした。オステオ・ギュッヒンの実力を警戒するのは、私だけでいい。ただでさえ劣勢な状況で、士気まで下げる必要はない。

 返事のかわりに、歴戦の強者つわものっぽい笑顔を返しておいた。


 通訳羊のヤビツの小屋は、以前と変わっていなかった。

 その壁を叩き、眠っているであろうヤビツに声をかける。

「おはようございます。ヤビツさんはいませんか」

 間抜けな挨拶だが、ほかにことばが思い浮かばないのだ。

 何度か呼びかけると、分厚いカーテンの奥から、一人の黒鼻族が姿を見せる。

 右角が大きく前に突き出しているところからすると、ヤビツだろう。羊たちの姿と感情は、なかなか区別をつけることが難しかった。

「おはよう、ヤビツさん。私のことを覚えているかな」

 二本足で歩く羊は、暗さのために、日中の不気味な横長に広がった状態ではなく、まんまるな瞳をしており可愛らしく見えた。

「ローハンしゃんでしゅか。おひしゃしぃぶりでしゅ」

 舌足らずのことば使いはそのままだった。私はできるだけ口角を上げて、にっこりと笑ってみせた。

「チュナムへ戻ってきたのでしゅか」

「戻ってきたわけではないんだ。いま、私たちの国では二つの軍隊が戦っている。先日、ここに大軍が通っただろう。あれは、私たちと戦っている相手なんだ」

 ヤビツは首を傾げて、きょとんとしていた。

「だったら、しょこにいるツベヒしゃんは、敵なのではないのでしゅか」

 意外と理解力が高いことに驚きながら、ちらりとツベヒの方を一瞥する。

「そう。今は私たちの味方だ」

 私がそういうやいなや、大きな羊は唾を飛ばしながら大声を出した。

「だったら、私ぃたちに武器を返しぃてくだしゃい!」

 表情は読めないが、口調は明らかに怒っているのがわかる。

「私ぃ達は、やっとぢぶんの身を、ぢぶんで守ることができるようになったのでしゅ。ローハンしゃんのおかげでしゅ。投槍を返しぃてくだしゃい」

 この怒りは利用できるかもしれない。

 どんどん卑劣になる自分の良心が、チクリと痛んだ。

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