前進

「教官殿、敵の一部がこちらの右翼へ展開をはじめました」

 ストルコムが指さす先に、数十の騎兵が左側に移動しはじめたのがみえるが、本体に動きはない。

 こちらの陣地の左右には前回までなかった馬防柵が置かれ、側面からの突撃をできないようにしていたが、兵士を配置しているわけではないので足止め程度の役にしか立たない。こちらにとって一番危険なのは、敵の別動隊がこちらの右翼を攻撃するとともに正面から突撃をしかけられることだが、陣地への騎兵攻撃は被害が大きいので避けるだろうという前提のもとにこちらの作戦は成り立っている。

 敵の戦列を離れた騎兵は約三十。こちらの陣地を大きく迂回していく。

「戻ってくるな……戻ってくるなよ……」

 ストルコムがブツブツとつぶやいている。敵の別動隊が見えなくなったところで、こちらの作戦ははじまるのだ。

「ハーラント、あの数ならしばらくは抑えられるか」

「妹のユリアンカは、ああみえて大太刀の達人なのだ。天稟てんぴんというのか、尋常じゃない腕前だ。我の部下達も一騎当千、なにも心配することはない」

 ヴィーネ神は人間に贈物ギフトを与えた。ならば、母親が人間である二人に贈物ギフトが与えられることもあるのではないだろうか。

 約三十の騎馬は、こちらへ近づく素振りもなく丘陵の陰に姿を消した。

 ストルコムが振りかえって、私の目を覗きこむ。私がうなずくと、ストルコムの銅鑼声が響き渡る。

「槍兵隊、壕を出て横列組め!」

 いままでに何度も練習した動きだ。敵を前にしてもほとんど乱れがない。

 左右の壕から槍兵が這いだして二列横隊をつくる。

 左右の槍隊のあいだには、私とストルコム、騎乗したハーラントだけしかいない。

 このタイミングで突撃されれば危ないのだが、鬼角族の指揮官には臨機応変の才も決断力もないようだった。

「投槍隊、隊列組め!」

「メェエエエエエエエ」

 ストルコムの号令とともに、後ろから羊の叫び声がきこえる。ヤビツが通訳しているのだろう。

 土塁の奥から、羊たちが駆け出してくる。

「しかし、なんとも不格好な連中だな。こんなので、我らキンネクの戦士に勝てるのか」

 ハーラントはあきれたようにいった。

 鬼角族を羊たちと隔離していたので、ハーラントが兵士たちの姿をみるのははじめてだったのだ。

 土塁から出てきた羊たちは全身を羊毛で覆われていた。

 羊なのだから羊毛で覆われているのはあたりまえだが、土塁から出てきた黒鼻族は全身を通常の数倍モコモコさせていた。

 左手には板の切れ端で作った間に合わせの盾を結わえつけているが、右手にはなにも持っていない。

 盾を持った羊たちが横列をつくると、今度は投槍を右手に持った羊たちがあらわれる。

 投槍を持った羊をみると、ハーラントは大声で笑いはじめた。

「なんだこいつら、丸裸じゃないか。毛がないと貧相な体だな」

 盾を持った羊が数倍モコモコしていたのに対し、投槍を持った羊たちは顔の部分を残して全身の毛が刈り取られ、薄桃色の肌が露出していた。

 最前列の超モコモコの後ろに、薄桃色の羊たちが二列並ぶ三列横隊。

 一列六十人なので、総勢百八十になる。

 鬼角族たちは、またこちらが整列するのを黙ってみている。

 別動隊が背後から襲撃するのを待っているのか。

 それとも正面からの突撃で簡単に打ち崩せると思っているのか。

 あるいは、落とし穴に偽装した、いくつかの溝のようなものを警戒しているのかもしれない。

 隊列は整った。ヤビツも私たちの横に並び、私の号令を待っている。

 膝が笑い、まともに声がでない。三度目の実戦だというのに、ここまで緊張するというのは贈物ギフトの代償に違いない。

 蚊の鳴くような声で、隣のストルコムに前進の合図をだすよう告げる。

「全隊前進!」

 すぐにヤビツも命令を出す。

 いよいよ戦いがはじまるのだ。

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