特殊呪詛の仕上げ


 手は震えている。ひとり凍土にいるかのように凍えているサイはなんとかケプヤをひとつ掴んで齧ろうとした。それを横から伸びてきた手が止める。確認する必要すらない男の手にサイはため息。横を向いて手の主、セツキを見つめた。静かで冷たい刃の瞳。


「気持ちだけ、もらっておく」


「私はっ」


「私を、悪魔などを家族と言ってくれて感謝している。だが、お前が守るべきは違う」


「しかし……ですが、それでも見捨てる、わけには……。私はそこまで悟れません」


「誰でもそうだ。私とて悟っているわけではない。ただ、私が果たすべきをなすまでだ。さあ、支度をしろ。終わり次第、最後の一口だ。ココリエにはお前から謝っておいてくれ。その時きっと私はこの世にいない」


 すべてを諦めた少女の瞳。セツキは堪らない気持ちになった。どうしてこんな無垢な娘が生贄にされねばならないのか。黒巫女を、そして、黒巫女にサイの呪殺を依頼した誰かを、セツキこそ呪いたくなった。理不尽だ。なにもかも。


 なのに、少女は、サイは理不尽な嵐に飲まれても自分が立ち向かうべき敵に向かってしっかりと構えている。諦念して、それでもそれで役に立てるならばと。


 規則書には想いのある口づけとあった。


 サイに想いはある筈なのだ。いつも、平素サイはココリエを気にしてこそいないが、時々とても優しい目で彼を見ている。愛しい者へ向ける眼差し。恋も、愛も知らずに育ってしまったが為に気持ちを理解できない憐れさ。だが、その方がいいのかもしれない。


 海外から来た身分なしの傭兵が一国の王子に想いを寄せているなどとんだ醜聞。なら、いっそのこと知らないまま眠りにつかせてやる方がサイの幸せかもしれない。


 サイの諦めと強さの混在した瞳に負け、セツキは天幕からでて外の者たちに指示を飛ばしていく。声はいつも通りきびきびしているが、内側に及ばないことへの後悔が聞こえるサイはセツキにも酷を強いたな、と反省し、眠っているココリエを見た。


「なあ、ココリエ。一時とはいえ家族であれてよかったよ。お前たちは世話の焼けるバカ兄妹だが、優しくて、温かくて……今まで私になかったものすべてをくれた」


 外の喧騒が遠く感じる。終わりを感じてこそなのか、それとも今ココリエとふたりでいるこの時間をサイが知らず知らず愛しているからか、それはわからない。


 わからないが、どうしてか、涙もでない。


 つまらない命でココリエのような貴きを救えることを誇っているのか。わからない。わからないが、サイは幸福な気がした。殺伐とし、草一本ない荒野、もしくは何者も住めない地獄にずっといたから、ぬくもりを知って、満たされたのかもしれない。


「……ココリエ、叶うならばもう少し、あとちょっとお前と一緒に生きてみたかったよ」


 過去形の希望。もう、一緒に生きることは叶わない。知っているから悲しい。


 悲しいと感じてしまう自分。サイは滑稽に思えた。だが、こんな気持ちは久しぶりでまだ人間らしい部分が残っていたことにサイは少し感動していた。とっくに血も心も凍っていると思っていたから。本当の悪魔となってしまったと思っていたから。


 痛みで悲鳴をあげる体。出血こそなく蚯蚓腫れのような状態だが、体を内側から裂かれる痛みは筆舌に尽くし難い。が、そんな体であってもサイはココリエに手を伸ばして青年の前髪にそっと触れ、優しく梳くように指を動かす。あやすように。


 そうして時間を潰していると外の騒ぎがやんだ。確認してサイは最後となるココリエの食事を齧る。弱った今、あまり長々と噛むことはできないが、しっかりと咀嚼してココリエに食べさせた。そして、すかさずあの紙切れを裏に返し、「零」を確認。


「お疲れさん」


 これですべて終わったと思った。それと同時に声が聞こえてきた。セネミスの声だ。


 女の声はお疲れ、と労いの言葉を吐いたが、どこかに辛そうな色がある。だが、この間で声をかけてきたとあれば当然説明の口を利きに、であろう。


「じゃあ、仕上げだ」


 仕上げ、と言い終わったセネミス。一瞬の静寂があり、ココリエに変化。青年の胸から生えて咲く美しい薔薇の一輪華。花はココリエから抜けだし、サイに茎の尖った先を向けた。先を予想して目を閉じかけたサイの耳に聞こえる音。


 外から誰かが近づいてくる音。サイの瞳が柔らかに揺らぐ。やがて天幕の布を押しあげて入って来たのは先、でていったセツキ。セツキはサイに狙いを定めている妖花に目を見開いていたがサイの声が早い。


「ココリエを、頼む」


 サイの声が最後の願いを唱えたと同時、妖花の先端がサイの胸に突き刺さってそのまま中に入っていく。サイは瞑目したままなにも言わない。悲鳴もなにもない数秒間。異常に長く感じる時間が終わってサイの中に花は入っていった。


 サイの体が傾ぎ、倒れる音がいやに大きく響いた気がした。セツキはサイの下へ駆け寄りたい気持ちをぐっと堪えてココリエの方に足を向け、滑り込み、さっと抱えて一度だけ気絶しているサイに視線を落としたが、天幕をでて外に出立の令を発した。


 ウッペの者が露営地を去っていく。


 一張りの天幕だけ残して他のものをすべて荷づくりしていたウッペの者は振り返らなかった。セツキが振り向くことを固く、固く、鬼の形相で禁じていた。


 なので、誰も、ひとりとして振り向かない。帰路を共にせねばならないひとりの不在を知っていても。誰ひとり、後ろを見なかったのだった。


 ケンゴクにココリエを任せたセツキも振り向かない。サイが言う通り。振り向けば未練が湧く。それも込みでイークスを駆るセツキの唇には悲しい赤が垂れていた。


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