傲慢たるなかれ
「サイ?」
「終わった」
外からの呼びかけにサイは短く返す。正確にはそれくらいの音しかだせなかった。
息が切れる。痛みのあまり気が狂ってしまいそうだ。しかし、ここで屈するわけにはいかない。それにこれはまだまだほんの序章。他の部位が裂けたらどれほどの痛みになるのか今からいやな気分だ。痛みに耐え、ココリエから離れたサイは深呼吸を繰り返す。
サイが呼吸に喘いでいる間に天幕の外が少しにぎやいで少々間があき、天幕の布が持ちあげられて男がふたり入ってきた。セツキとケンゴクだ。男たちの表情は険しい。
「サイ、正直に答えなさい」
「いつも嘘言うみたく言うな」
「自分の非常時にいつも誤魔化すバカがなに言ってやがる。それとこいつは一応心配だ」
セツキの正直に吐け、からはじまり、いつもの三人にある会話が広がる。いつも通りだがそこには緊張感がただよっている。サイはセツキに視線をやり、質問を待った。
セツキはいつもの彼らしくない戸惑いの表情でいる。いたが、サイの視線に負けて口を開いた。吐かれたのは当然の、サイの予想していた言葉。
「この先、アレが広がるとして、あなたはどうするつもりです? 最後には……」
「どうもせぬ。解呪が成功したらすぐさまここを離れ、ウッペへ帰れ。解呪後なにが起こるかわからぬしな」
「……見捨てろ、と言うのですか? あなたを? そして私たちだけ逃げ帰れ、と?」
「サイ、そんなことしてみろ? ココリエ様や姫さんになんて言われるかわか」
「瑣末である」
ウッペの戦士代表を張るふたりからの心配にサイはつまらないことだと言葉を返した。
そんなことは瑣末だ。どうでもいいことだ。些細なことでしかない。……そんな筈はないのに。ココリエたちがどんな反応をするか、見捨てたとしたらどんなふうに思うか知れたこと。責められるどころの話ではない。
そして、それと同じだけセツキもケンゴクもサイを見捨てたくない、という気持ちがある。サイはウッペの戦士であり、家族。家族をみすみす敵の、黒巫女の手に堕とすなどということはできかねる。なんとか救ってやりたい。ココリエも、サイも……。
「私たちでは救うのに力不足と言いたいのですか? 自己犠牲もいい加減に」
「救う……?」
サイがセツキの言葉の中で拾ったのはなんでもない一言。救いたいという願い。当然の願いなのに、サイはセツキがとんでもない阿呆を言ったかのように瞳を細めた。
「全能者にでもなったつもりか、セツキ」
「サイ?」
「ひとにひとは救えない」
ひとはひとを救うことなどできはしない。それはこの世にある真理。絶対。
ひとがひとを救おうと思った時、救い手はなにかを犠牲にしなければならない。
救いたいものが大きければ大きいだけ犠牲も大きなものを求められる。代わりのいない大切を救う為にはその数に倍する、もっと大きな贄を求められるのが世の常。
それがサイのようなどうでもいい者の命で救ってくれると譲歩してくれているのだからこれに乗らない手はない。機会を逃せば、より多くが犠牲になる。させられる。
それが世界だからどうしようもない。ちっぽけなひと如きが同じ者であっても同じだけ大きな命を救うことなどできはしない。誰も彼も、人間は神にはなれない。なにをするにも代価、代価、代価……。だからこそ、サイは言わねばならない。
「救いたいなどと、なに様のつもりだ」
「サ、イ……?」
「自ら傲慢になる必要はない。そんな腐れ思考さっさと屑籠に捨ててしまえ。命は等価ではないのだ。より貴きを救え、と言われて己らは誰を取る? 愚問を吐かせるな」
「い、や……だがよっ」
「己らの手をいくら束ねようと救えるのはかろうじてひとりだ。だから、迷うな」
サイの言葉に迷いはない。そして、瞳にも。ひとを救おうなどと傲慢なこと。神の真似事などしても一シンの得にもならない。犠牲が増えるだけ。救おう、助けようと思うな。どんなに手を繫いで支えあってもそれでやっとひとり救えるかどうかなのだから。
静かで正しすぎる言葉。冷たい声。自分自身を贄として扱う肝の太さ。口でどう言っても怖いと感じるひとはいるが、サイは恐れていない。受け入れているのだ。幸せになってはならない、と。だからこそ、己の心身を切り売りする……恩あるひとの為に。
サイに衣食住を与えてさらには大切に思ってくれるココリエの為にサイは自分を黒巫女へ捧げる供物にした。元より欲しい、と言われていてそうしたのかもしれないが、それでもそれを実行する辺り本当に心臓が強すぎる。
「話は以上か?」
「まあ、訊きてえことは以上だがよ」
「では、早めに休め。私も休む」
「……。邪魔を、しました」
「ちょ、大将? 大将!?」
先んじて立ちあがったセツキを追っていくケンゴクの声が聞こえる。天幕の外で争いにこそならないが揉める声。だが、それもすぐにやんで静かな時が訪れた。
サイは寝袋を現在地、ココリエのそばまで摘まんで引っ張り寄せてもぐり込んだ。両足が痛い。これではただの歩行すら困難。正しく足手まといだ、と思いながらサイは寝袋から手をだして青年の頬に触れる。温かい。生きている。安心してサイは目を瞑った。
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