悪魔の添い寝


 トェービエの国。シラヌイ山の麓に幾張りかの天幕があった。時刻は深夜。焚火だけがそこで野営している者がいることを知らせているし、かなりこうしたことに知識があるとわかる。獣除けの香が焚かれているからだ。草食動物から肉食獣まですべて除ける香。


 つくった者は昔懐かしの知識がここでもとか言っていたが、特にこれは肉食の獣を除けるのに使っていたにおい。独特のにおいが猛毒草のにおいに似ているのでいやがるのだそうだ。聞いていた者はそれはいやがるだろうよ、と思ったとか。


 だが、そんな香を焚いていてそこの範囲にいる人間は大丈夫なのか、と訊かれ、つくっていた者は香は霧散しやすく至近距離で半刻はんときも吸っていなければ身体に害はないのでくれぐれも興味本位で嗅ぎにくんな、廃人になっても責任持たん、と脅しを吐いていた。


 これには戦国の兵や戦士の中で将軍格の位をもらう者も顔をひきつらせていた。元々はそのつくり手、サイがする寝ずの番だけで獣も落人の類も充分除けられるだろうと思っていたのだが、早くも状況が変わった。


 今回の演習責任者たるココリエの体調が少々悪いので彼女はココリエのそばにつくことになったのだ。そして、その代わりの獣除け。あとは兵が数人交代で見張りをしてくれれば充分ということになり、次の責任者たる鷹がサイの提案を飲んだ。


「……」


 静かな野営の地で動く者。ウッペ王子の為に張られた天幕のそばで動いたのは黒髪に銀色の隻眼がものものしくも美しい女だった。ココリエについていたサイが動いた。その理由はココリエが休んでいる天幕にある。かすかな呻き声を聞き咎めたのだ。


「ココリエ、入るぞ」


 一方的に告げてサイは天幕の布を持ちあげて中に入り、点火器で蠟燭に火をつけ、中を明るくして寝ている者を覗き込んでみた。若干どころかかなり苦しそうな寝顔のココリエにサイはだが冷静に彼の腕に手をやって揺さぶって起こした。


 起こされたココリエは焦点の定まらない目で虚空を眺めていたが、やがてサイを見つけて驚き、飛び起きようとしたが、サイがココリエの胸を押さえて止めた。


「そのまま」


「サイ?」


 ココリエにひとつだけ指示したサイは医師が診察するようにココリエの体を触っていきながら熱をはかるように額に手を当ててそれが終わると手首を取って、なにかを感じるように目を閉じる。一通り終えてサイはようやくココリエに質問した。


「悪夢でも?」


「え、いや……どうして」


「呻き声の低さが気になってな。痛いところはあるか? それとも喉に違和感がないか」


「……。そういえば、胸が少し、なんというのか、臓を締めつけられるような痛みが」


 ココリエの自覚症状を聞いてサイは少し顎に手を当てていたが、やがて自分の腰にさげていた小さな巾着袋を開けて痛み止め、と書かれた小袋から薬を取りだし、ココリエに渡した。ココリエはなにも訊かない。サイが必要だと思ったものだから必要なのだ。


「それで効くかはわからぬが、このままでは睡眠の質が落ちる。少しでも効くなら」


「ああ。ありがとう、サイ」


 明日からはじまる演習に備えてしっかり睡眠を取るべきだと考えるサイはだが、もしもココリエの体調がこれ以上に不穏な方へ向かうなら現場総指揮をセツキに任せてココリエは見学の形を取らせた方がいいか、という案も考えておく。


「すまなかった、サイ。もう大丈夫だ」


「……。少し寄ってくれるか?」


「……え?」


 寄ってくれ、と言いつつサイはココリエの隣で横になる。これにはココリエもびっくりでひとつ音発して固まる。


 が、サイがぐいぐい押してくるので戸惑いながらも少し体をずらして場所をあける。サイは横向きに寝転んでココリエの軽装の袖を遠慮がちながらもしっかり掴む。


 サイが取った突然の行動にココリエが硬直しているとサイは少し恥ずかしそうにしながらも理由を告げてきた。


「寝苦しい日はレンと同じ布団で寝た。人肌があると不思議と安心するものだ」


「あ、の、でもこれはその」


「恥ずかしいから言うな。だが、これで少しでもお前が眠れるようになるならば」


「いや、その逆に眠れなく」


「寝れ。さもなくば気絶で寝かすぞ」


「寝ます」


 サイの脅しに一瞬以下で屈したココリエがなるべくサイの温度を気にしないように目を閉じたが、目を閉じたせいで余計に意識してしまう。しかし、ここでまた目を開けたら眼前に拳骨が見えました、になりそうなので、深く呼吸してみる。


 それと同時にサイが掴んでいる軽装のところに手を伸ばし、サイの手に触れてみる。


 びくっ、とサイの手が震えた。サイも緊張は同じらしい。いや、以上にサイは緊張しているのかもしれない。今までサイにとって温度は敵であり、脅威だった。


 レンを除いて、ずっとそうして生きてきた。なのに、添い寝をしてくれるというのはそれだけココリエを心配しているからだ。自分の嫌悪や恐怖を無視してココリエの為に身を寄せてくれている。そのことに気づいてココリエは感謝の念でいっぱいになった。


「おやすみ、サイ。……ありがとう」


 サイに向けた言葉に返答はない。だが、ココリエは返事を待たず、眠りについた。


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