鷹の嘆息


 説教を察して逃げたか、早く茶を淹れないとココリエが寝ると思ったか。……この場合ならおそらく後者だろう。そう結論したセツキは最上階の部屋にいってみて目が珍しくよどんでしまった。部屋の中でファバルが転げまわっていた。近くにはカザオニの姿。


 そして、王が自分の近くに来たのを見計らって新しい蠟燭の汁を顔面狙ってポタっ。


「のふぉおおおおっ!? 熱っあっつ、熱い、痛っ、熱い! なんだ、なんなんだ!?」


「聖上」


「セツキ!? これはなんだ、どうなってこうなっておるのだ、こやつはなにを」


「文句はサイにどうぞ。ですが、あなたが怠けられていなければこうはならなかった筈」


 セツキが冷静に突っ込んだら、ファバルの体がギクリと硬直したのでやはり怠けていやがったらしい。これは本当に監視者が要る気がしてきたセツキは王が片づけた仕事を少しだけだったが一応回収し、自室であり、執務室に持っていった。


 すると、すでに布団が敷いてあり、温かい湯気をあげる茶が机に置いてあった。茶のそばにはお品書きよろしくどこの茶葉を使ったかが書いてある。


 トキシラの茶で少しだけ濃いめに淹れてあるからよく眠れる筈だ、と伝言もあった。


「……どうしたものでしょうかね、私も」


 誰もいない、セツキの他に誰もいない私室でセツキは呟く。だが、ひとつ呟いたあとは王と王子から回収した仕事を横に置いて、早速冷めないうちに茶をいただく。


 美味しい。濃いめに、と書いてあるが、それが疲れた体に沁みいるようでとても心地いいし、疲れがすべて溶けていくようだった。サイは普段から女性らしくなく乱暴ここに極まったりな行動が目立つが茶の腕は一級品である。どこで習ったから、いや、独学か。


 中庭で彼女の悲痛な過去を聞いた。途中からは邪魔になると思って王を引っ張って退散したが背に叩きつけるように聞こえてくる女の泣き声が悲しかった。


 こんなものを抱えて生きてきたのかと思うと悲しかった。まだ、十五歳で。どれほどの過酷だったのか知れない。生き残ってしまい、それでも妹に救われた命を一生懸命生きてきた彼女の心にある傷はいったいどれほどに深いのだろう?


 そう、何度も何度も思ってしまった。繰り返して考える度に募る気持ち。それが許せない自分。一国の武将頭として兵たちの模範であらねばならない。ずっと、そう思ってきたし、そのことを重荷に思ったことはない。むしろ、誇らしい、とすら思っていた。


「……サイ」


 ひとり、呟く。その名前。本人は自称だ、といつだか言っていたが、それでも彼女を彼女たらしめている音。その音に最初の頃こそなにも思わなかった。


 なのに、いつの間にかである。困ったとか、参ったとかの次元ではなく、大変なことである。特にココリエに、彼に申し訳ない。散々に言ってきた。特に帝都へ上京した時には。サイだけでなくココリエやルィルシエの心をも刻む言葉を放った。


 なのに、それなのに……。


「いまさらすぎて、アホらしいですね」


「己の頭に巣食う説教魔がか?」


「そうではなく、て……?」


 ふと、独り言に返答があってセツキが見上げると先から頭の中を占領している女性が立っていた。サイが両手に盆を持って部屋にいた。一瞬疲れによる幻かと思ったが、どうも違う。幻まで暴言を吐かないだろう。


「勝手に入るんじゃ」


「声ならかけた。戸も叩いた。反応が一切ないので死んでないか案じたのだ」


「え?」


 まさかいつもの無礼娘がちゃんと礼儀を通していたとは。いや、それ以前に気づかなかった自分の耳に活を入れたくなった。しっかり機能しなさい、と。


「失礼。少しぼんやりしていたようです。それで何用ですか? なにか問題でも?」


「いや、茶だけというのもアレかと思って軽食を持ってきた。食べるか?」


 そう言ってサイがセツキの机に置いてくれたのは、澄まし汁の椀と握り飯が二個乗った皿、漬物の小皿がおまけにつけられた軽食の盆。ふわり、といいにおいがする。


 だが、ふと、違和感を覚える。城の女官がつくったとして、いつつくる暇があるのだ。


 彼女たちも忙しい。城の人間が食べる朝餉をつくったらすぐに目立たない箇所の掃除や洗濯などやることは山盛りある。それなのに、わざわざ時間を割いて? いや、割くも割かないもなく不可能だ。だったらこれは誰が……。


 と、そこまで考えて思い当たった。もしかしたらでありえないが、一応訊いてみる。


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