愛すべし、ただ今この時を


「ルィル」


「お兄様、サイの具合は」


「大丈夫だ。口はいつも通りで飯も一応食べられているみたいだし、ただ、心を痛め、ひどく病んでいるようでな、しばらくそっとしておいてやってくれ」


「でも」


「ただがむしゃらに手をだしてやるだけが救いに繫がることではないのだよ、ルィル。それに毎日お世話焼いてもらっているだろう? それで満足しておけ」


 戦が終わり、日常が戻った。ルィルシエは高熱をだして連れ帰られたサイをたいそう心配していていつ見舞いにいっていいか、と兄に訊ねるのが日課になっている。


 今日もそう。ココリエが執務室にいくとルィルシエが待っていた。仕事の道具をだして準備してくれていたので一応彼女なりにココリエの機嫌を取る、というと聞こえ悪いが、それでも兄の仕事の補佐もどきをしてでもサイを見舞いたいのだ。


 気持ちはわかる。熱意も伝わる。許可できないのはルィルシエの歳と性別のせい。同じ歳頃だったキュニエを思いだしたりしないだろうか、と思って躊躇してしまう。


 気を遣うにもほどがあるな、とココリエは自身の重症具合に呆れの息を吐き、仕事をはじめた。シレンピ・ポウとの戦ででた書が山のようにある。これは父の怠慢ではない。と念を押されたので逆に疑ってしまうのは天邪鬼なのだろうか?


 戦から早く、もう四日経った。サイの怪我は、最初にトウジロウからもらった腹部への刺突はほぼ癒えているというから驚きだ。そのことについてサイは妙なことを言ってセツキに叱られていた。知らない女が夜半にやってきて背の翼を広げたら傷が癒えた。


 背に翼とかいったいどういう妄想ですか、と言っていたセツキにサイはむっとして証拠だ、とばかりそれを突きだした。紅い、羽根。とても美しい羽根だった。


 だが、どう頑張っても白い羽根を染色して神秘それっぽく見せたようにしか思えない。セツキがそう指摘すると「己らには想像力が足りない」とむすっくれていた。そして「間違いなく現実だった」とも言っていた。……夢だ、と思うのだが、言わなかった。


 これ以上はむくれられるのではなく、想像力の限界を見るのにちょっと寝てみるか? と言われて殴られるに決まっている。怪我で高熱をだしている身でそんなことしないと思いたいが、やっちまうからサイなんだよな~と思ったりしたりして。


 サイの怪我を思うと誰かが奇跡を起こしに来たと言うのも不自然でないが、翼とな?


 サイの言うこともわかるが、さすがに想像力が斜め上で猛回転すぎる。……と、思ったが、これ以上機嫌を損ねてはアレなので、お大事にと言って部屋をでた。


 去り際に背に「畜生、仕事山盛り刑でも喰らって腰やっちまえ」という毒思念波を感じたのでひとつ約束をしておいた。「熱が引いたら一緒に茶葉を買いにいこう」と。


 するとどうだろう。不機嫌頂点ぶち破っていたサイの瞳が輝いた。そして「予算は?」と興奮気味に訊いてきたので、「モノモ産の茶葉でも一ヵ月分買えそうなくらい」と言ったら瞳の輝きが増した。本当、父ではないがすごくお財布に優しい傭兵だ。


 例えモノモ産とはいえ、茶葉だ。普通の女性が欲しがる反物や着物のうん千分、もしくはうん万分の一くらいの値しかしない。それを一ヵ月分でもたいした額じゃない。


 んで、サイの機嫌は一気に直った。セツキが呆れていたが、まあ結果よければということでしばらくは絶対に安静でいてもらうと武将頭として言いつけた。が、もうサイの頭には茶葉のことしかない。セツキの存在など霞かもしくはうっさい幻扱いだった。


 セツキは本格的に呆れていたが、大事にしてください、と言ってココリエの背を押し、部屋を辞した。戸を閉めたあと、廊下でふたり耳を澄ませてみると上機嫌な鼻唄が聞こえてきていた。お安くて戦で消費したあとに助かるが、なんだかなー、である。


 ふたりは互いにサイの安あがりを笑っていたが、ココリエのくすくすに比べ、セツキは呆れを多分に含んだ笑みだった。そして、ココリエを見てなんとも言えない表情をしていたのが気になるが、仕事があったのでふたりはそこで別れた。


 直後、ルィルシエに出会ったが、ココリエはサイの見舞いにいこうとしている妹を宥めて執務室まで連れていき、サイの代わりにちょっとお手伝いをしてくれ、と言い、そしたら明日からお見舞いは無理でも簡単な世話を焼くくらいはさせるから、と。


 ルィルシエは不満そうだったが、サイの傷が深いと聞いてそこからは素直に承諾した。


 それからは毎日こんな感じだ。ココリエの為に墨をすって、筆を用意し、木簡や文鎮に書簡なども用意してからサイの今日を訊き、部屋に戻る。そして、傷を庇いながらやって来たサイの淹れてくれる茶に舌鼓を打つ。


 今日もそう。朝の間はゆっくり休んでいたサイが起きだしてルィルシエに茶を淹れる。


 サイはルィルシエを見て悲しそうに瞳を揺らしているが、なにも言わず、戦の顛末についても「お兄様がお手柄だったから武勇伝をねだりにいけ」と言って躱している。


 自分から話す気にはなれない。それはサイの本心。戦場いくさばでの瞳。本当に痛ましい色。すべての悪意を知り、すべての事情をある程度把握しているサイは苦しみの只中に在る。あの神を名乗る邪悪な男の存在は今後もつきまとうだろう。


 ならば今は愛そう。この平穏な日々を。そう思い、サイはルィルシエを適当に世話してココリエにも茶を淹れにいく。そして、生きていくのだ、これからを……。


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