逃げの一手


「ド畜生が、覚えてやがれっ」


「いや、フロボロはおそらく」


 おそらくなになのか、サイは先を言わなかった。見合いに来たつもりで騙されて追われる八人は二日前、ルィルシエが雄大な自然と言った滝のところへ来ていた。


 ここまでの所要時間はほんの一刻、まあ、おおよそ二時間ばかり。全力疾走でぜえぜえ言っている六人と心配そうにしている王女、息切れひとつしていない傭兵。


 あれだ、人間やろうと思えばたいがいのことはできるものだ。……いや、サイが事前に入念、もはや執拗なほどに地形を把握していたお陰、と言った方が正確か。


 サイに導かれるまま走ってきたが、いきに通ったのとはまったく違う奇妙な道を通らされた。蛇行したような気がしたし、同じ場所をぐるぐるしたような気もする。


 車で半日以上かかった道を一刻で抜けたのはどんな手品だろうか。しかし、それを質問することはできない。


 息切れがひどいのもあるが、気配に鋭敏なサイでなくても、ケンゴクはもちろん近衛たちですら気づいている。


 囲まれている。それも滝という断崖絶壁に追いやるような位置取りで四方八方ならぬ、三方向を完全に。ケンゴクは思わずルィルシエを抱く腕に力をこめる。


 追手と戦闘になった場合、サイがいくら手練れでも守護には限界がある。ケンゴクも一切隙なく、とはいかない。ケンゴクの胸の中でルィルシエも緊張から唾を飲む。


 王女の顔には今までにない恐怖がある。


 しかし、追われている八人の中で唯一危機意識を持っていない女が動いた。近衛、ケンゴクを背に庇う形で立っている女戦士は本当に自然な動きで髪を弄った。


 すると、サイの首裏が見え、そこにケンゴク江、と書かれた紙が貼りつけてあった。しかも紙は複数枚重なって見える。なので、ケンゴクはすぐに察してぼさぼさ頭を搔いてさも仕方なさそうにゴミを取るような面倒そうな顔でサイの首に貼られた紙を取った。


 ケンゴクは自分のとルィルシエの紙を取ってサイの体、華奢でも充分な陰をつくってくれている体に隠れて瞬時に後ろの近衛たちに残りの紙を渡した。


 そして、今度はケンゴクの、ウッペ一大きな体の後ろで紙が各自にまわされていくのが気配でわかった。ケンゴクはそっとルィルシエに紙を渡し、自分の紙を裏に返した。


 書いてあったのは短い指示。


 ――地図に従い、ウッペ。私、しんがり。


 地図、と読んで紙をそっとこすってみると、二つ折りにされていたのが剝がれた。そこにはウッペへ帰還するのに最も近く、追手も容易に追えない道が描かれていた。


 おそらく、近衛たちにも似た指示が書いてあるのだろう。ルィルシエもケンゴクの胸に顔を埋めて怯えるフリで紙を開いて読んで、きょとんとしていたが、すぐ紙をぎゅっと握って懐にしまった。どうやらルィルシエにはなにか違う指示が書いてあったようだ。


 ――てかこいつ、こんなものいつの間に用意していたんだ? 備えるにも限度があっだろ? それともそう思ってしまうのは俺が甘いってことなのか?


「己らはフロボロの者ではないな」


 ざわ、と包囲網がかすかに動揺したのかざわめいた。その隙を逃すサイではない。


 滝として流れ落ちていく川に片足を叩きつけた。すると、不思議なことに川が凍って姿を変えていく。そして、現れたのは以前、ルィルシエがサイに海外の遊具を見せてほしいと駄々をこねていた時にサイが中庭の土で芸術か? というようなブツをつくっていた。


 滝の水が凍っていき、中庭の土でつくられた海外の遊具、サイが言うには滑り台というものができあがった。……なんというか、一気に退路ができてしまった。


「いけ」


 サイのつくりだした緊急避難用の滑り台に反応した忍たちとどこの者か知れない兵たちがでてきたが、サイはまったく気にしない。いけ、と一言。そして、自分は地面に前屈するようにして岩場となっているそこに触れた。


 その先は「えーっ!?」と言うしかない。


 サイの華奢な指が頑丈そうな岩の地面に触れてそのまままるで豆腐に指を突っ込むかのような軽々しさで岩に指をめり込ませて無表情で岩をごっそりめくった。


「ルィルシエ」


「へ? あ、はい」


「使い方は教えた通り。いざの時は」


 サイは最後、ルィルシエになにか伝えた。ケンゴクにはわからないが、ルィルシエはしっかりと理解したのか、先ほど紙をしまった懐ではなく帯を押さえた。


 ケンゴクはそれを疑問視したが、これ以上もたもたしていてはサイに滑り台へ蹴り落とされる。サイのことなので狙いが外れて崖から真っ逆さまとかはないだろうが、蹴られるのがまず痛いのでケンゴクは近衛たちを先にいかせて最後に氷の滑走台を滑っていった。


 ケンゴクの背後で巨大でなにか硬い物体が柔らかくてところどころ硬いものをまとめて潰す音が聞こえてきた。


 どうやらサイのめくっていた岩の塊が忍はともかく兵たちを圧殺したらしい。証拠に凍った滝のそばを赤い血の滝が流れ落ちていく。そんな恐ろしいものを見ながらケンゴクは滑り台をおりてサイの書いていた通りウッペを目指して走りだした。


 近衛たちもそれぞれにだせる速度で走っていき、来る時に通った林の中へ入っていった。ケンゴクもそれに続く。


 ケンゴクに描いて寄越された地図には来る時に通ったオルボウルの隣ではなく、ネビテア、もうかなり前になるそうだが、オルボウルと合戦をして惨敗を喫した国のそばにある険しい岩場を通るようになっている。おそらくでもその気遣いがありがたい。


 ケンゴクの主属性は土。それは土を扱うだけでなく、土に似通ったものにも作用するというのが属性について書かれた本にあったし、ケンゴクも試して知っている。


 その現物がウッペ城の中庭にある。以前、センジュといざこざがあった時、サイが落ち込んで座っていた大岩。


 アレはケンゴクが小石を練習台にあそこまで肥大化させた代物だった。なので、岩石が多い地帯を逃げるのならば途中追手が迫っても手近な岩を肥大化させて盾にするなり、妨害壁が構築できる。しんがりとなってくれるサイのことは心配だが、いくしかない。


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