こうして今日も……


「! ……あー、っと」


 ココリエの呟き。それは遠くから聞こえてきた悲鳴に原因があった。聞いたことのある男の声が化け物に遭遇したような悲鳴をあげてしばらくは森が騒がしかったが、すぐに静かになった。おそらくでも確実に先んじて追われていたケンゴクが仕留められたのだ。


「生きていると信じているぞ、ケンゴク」


 ボソッと小声で呟いたココリエは森の奥に進んでいきつつも外を目指す。


 この鬼事の規則は、サイに狩られることなく森の中にある鬼退治の札を手に入れること。サイは最初こそそいつを森の奥、それも普通の運動神経では到底取れない場所にひっつけていた。極例をあげて滝壷の中とか、断崖絶壁の途中とか……。


 しかし、最後だというのだから、それをわざに奥へ貼っつけるとは思えないので、ココリエはなんとなくだったが、森の外の方へ向かってみることにした。


 あの素直に残酷でも優しさ成分が欠片ほどあるサイなので、最後くらい……。


 なぁんて生易しいことを考えている時点で甘いのだろうが、いい方に考えたい。


 そうしてココリエが森の外から少し入った辺りを捜索していると、遠くから戦闘の音が聞こえてきた。どうやらセツキが新しい獲物に認定された臭い。


 ……。多分、ココリエ如き一捻りできるので先に戦国の柱と誉を受ける強者から狩っていこう作戦なのだろう。武器は己の肉体のみなので生粋の拳術家であるサイの独壇場だと気づいたのは訓練開始して半刻はんとき後だった。戦士三人揃ってお間抜けでした。


「セツキ、どうか奮闘してくれ」


 サイの地獄耳に聞こえないようにひそひそと願をかけるココリエは札を探す。すると、近辺の石が微妙に動かされた痕跡を見つけた。あ、もしかしてと思って近くの石をひっくり返す。なにもない。だが、ココリエは希望をそこにかけて石をめくり続ける。


「あ」


 そして、ようやくそれを見つけた。鬼退治の札だ。隠してあったのは、石、というか若干大きめの岩の下だった。ココリエがようやく持ちあげられる程度の重量だったのは、サイのささやかな気遣い、というやつだ。……きっと絶対確実に。


「む」


「へ?」


 背後から声。振り向くと今まさにココリエの脳天に手刀を振り落とそうとしていた女戦士がいた。だが、女はココリエが鬼退治の札を持っているのを見て動きを止めた。


「ちっ、まさか己が生き残るとは」


「生き残……え、まさか」


「他ふたりはとりあえず戦闘不能にした」


「あ、さようで」


 てっきり言いまわしから殺してしまったのかと思ったのだが、どうやら生かしてはあるらしい。まあ、鍛練で殺人沙汰になったりしたら怖い、というかすごいが。


 サイはココリエから鬼退治の札を回収して青年の手を引いて歩きだした。ただ、手、といってもそれは鍛練用の軽装の上から、だ。相変わらずなことだ。


 他人の温度が嫌い。それはもう反吐を戻しそうなくらい大嫌いなサイらしい態度。


 サイはそのまま森の西側出口の方へ進んでいく。到着したそこにはかなり手厳しくやられたのだろう、ボロ雑巾のようになったケンゴクと疲労困憊気味のセツキがいた。


「あー、ココリエ様もですかい?」


「え、あ、いやその」


「己らを狩っている間に見つけられてしまった。残念無念また次で仕留めたい」


 また次で仕留めたい言っているサイに悪意とかそういったものはないのだろうが、かなり怖い発言。てか、もう二度としたくない、と思ったのはココリエだけではない筈。


「サイ、参考までに訊くが」


「ん?」


「サイはひとりでやっていたのだろう? 自分で札を隠し……ん? あれ?」


 ココリエの素朴な疑問。この鬼事はひとりでできるとは思えない。だったらサイは今までどうやってやっていたのだろう。自分で隠した札で誰が鬼になって、なにがどうなって? 考えていくうちにだんだんわけがわからなくなっていった。


 しかし、サイは至極簡単に、ありえない軽さでとんでもないことを言ってのけた。


「その森に棲む一番凶暴で強い猛獣たちが寝ている隙にそいつらの背に貼りつけてそれらに鬼役も担ってもらった」


「……。あの、サイさん? それは一歩間違ったらかなり悲惨無惨に死ぬのでは?」


「うむ。とおの誕生年までは毎回瀕死になって寝込んだ。懐かしい思い出だ」


「えぇと、サイが暗殺の世界に入ったのは」


「九つ、正確には八つ、か。そう、最初の一年が一番きつかったし、辛かった」


 ナニ言ッテンノ、コノヒトー。と、思ったのはけっしてココリエだけではないと信じたい。信じたいと思ったので、セツキとケンゴクを見るとふたり共似たような顔をしていた。なんだこの変態、みたいな目。ありえなさにひきつっている唇。


 最初の一年を乗り越えてからはその鍛練は、訓練は簡単なものになったということだろうか? だとしたら、やはりサイは規格外の怪物だ。ありえない。


「さて、動いたら腹が減ったな」


「いえ、どちらかというと動きすぎで脇腹が痛くて食欲がありませんです」


「なにに対する言葉遣いか」


「深い意味はないが、サイ」


「ぬ?」


「余たちは少し長めに休憩して食べるから、ルィルと一緒に食べてやってくれるか?」


 ルィル、それはこのウッペ国王女の愛称。本名はルィルシエ。ココリエの妹だった。


 その名を聞いてサイは途端に苦い感情を瞳に揺らした。サイはルィルシエが大の苦手なのだ。ルィルシエのお守をするのは一種の罰だとこの間ココリエに訴えていたことがあったので相当にこの女戦士は幼い王女のことが苦手。


 歳は三つほどしか違わないが、ふたりはまるできょうだいというより親子。なにかと手がかかるルィルシエの面倒を見るのはゴメンこうむりたいサイである。


 だが、上司の、ココリエ直々の命令というかお願いなので断るわけにもいかず。サイはひとつ不機嫌そうにしつつも頷いてさっさと先に立って森をでていく。


 あとに続く三人はサイの様子にしてやったりと笑ったり、苦い顔をしたりしていた。


 こうしてウッペは今日もはじまっていく。


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