鷹の怒り


 青年からの乱暴に怯えて震えるしかない少女はまたなにか乱暴をされることを恐れて身を固くし、ガタガタと震えている。サイの怯えにココリエの心がちくりと痛む。


 だが、今はサイに構ってやるわけにはいかない。サイは気づいていないが、ふたりは落ちている。重力が加わって速度はあがっていく。ココリエはどんな衝撃が来ても大丈夫なように構えたが無駄になった。


 どさっと音がして柔らかな衝撃が来た。予想していたのよりかなり低い強さで。が、それはほんの一瞬のことですぐココリエは投げだされた。ぽいっ、と音がつきそうなほど軽々と放り投げられて黒曜石の床に激突し、冷たい床に頭を強か打ちつけた。


 痛みで驚き飛び起きたココリエが見たのはひとり、とても美しい男の姿。


 黒髪に黒瞳。超絶美形、もしくは絶世美人との言葉がぴったりくるほどの美貌を持つ男だが、びっくりするくらい美しい顔にすんげえびっくりするくらいおっそろしい怒りを浮かべていらっしゃるじゃあーりませんか。


「あ、サ、イ……?」


「……ひっ」


 思わず男の、セツキの怒りにココリエは縮こまったが、男に抱えられている者を見て声をあげた。しかし、そのひとがだしたかすかな悲鳴に悲しみがこみあげる。


「サイ、大丈夫です。今、ほどいてあげますからそのまま動かないように」


「う、あ、や……やだ! 放せっ!」


「サイ、私です。ココリエ様では」


「ひっく、う、ぁ……あ、あ?」


「落ち着きなさい、サイ」


 目隠しの下で泣いているサイはセツキを認識できずに彼の腕の中で大暴れしていたが、やがて男の落ち着いた声にしゃくりあげて疑問を口にした。そして、セツキの言葉をゆっくり咀嚼して飲み込めたのか、かなりぎこちない動きで頷いた。


 なんとか暴れないように固まったサイの両手と後頭部で縛られた帯をセツキの手がほどいていく。その間もずっとサイは震えていた。これにはさしものセツキも呆れるより同情してしまったようで解放したサイの頭をそっと撫でてやる。サイはなのに、怯えるあまり目も開けない。


「ココリエ様……」


 サイの様子を見てセツキはさらに怒りを深めたように見えた。普段、あまりサイのことでサイを思いやって怒りを沸かすことはないというのに、今セツキはたしかに激怒している。怒りのあまり額やこめかみに青筋が浮き、唇がひきつっている。怖っ。


 だが、セツキが説教を飛ばすことはなかった。と、いうかセツキがお説教の口を開く前にぱらぱらと拍手の音が聞こえてきた。音は軽快。ココリエがおっかないセツキから目を逸らして音の発生地点を見るとリィク帝が淫猥に笑い、音をだしていた。


「よくやった、ココリエ。もういい、帰れ。セツキ、お前もその極上娘をこっちに寄越して帰っていい。いや、予想していなかったが嬉しい誤算だ。これならすぐにでも」


 多分、すぐにでも抱ける。味わえる。と続くだろう言葉。が、しっかりした男の声がぴしゃりと撥ねつけ遮った。


「いえ、帝様。この娘も連れて帰ります」


「なんだ、せっかくココリエがほぐしたのに余に渡せぬと言うのか、セツキ? これは勅命。ごちゃごちゃ言わずさっさと寄越して失せろ。ネコ、預かれ」


「は。セツキ殿、サイ殿をお渡しください」


 いつからそこにいたのか帝のそばにネフ・リコが控えていた。彼はサイにやられた肩に包帯を巻いているが、それ以外は別段動きに不自由もなさそうにしている。


 肉が腐る痛みは筆舌に尽くし難いものだろうにこれも戦国の強者が持つ威厳のひとつなのだろうか。肩に包帯を巻いている以外は腕を吊っているでもないネフ・リコはセツキからサイを預かりに近づこうとした。が、セツキは彼が歩を進めただけ足を退き、一定距離を保ち続ける。


「セツキ殿?」


「この娘は、サイは連れ帰り、休ませます」


 冷たい美貌で断固とした主張。


 セツキが自分より身分が上の者に、それも戦国の絶対である帝に意見し、サイを庇うとは衝撃すぎる。普段なら絶対にしない。サイがどうなろうとセツキは気にしない。サイはウッペ王族に災厄を運ぶ認識であり、いっそのこと、戦場で勝手にさっさと死ねと思っている節がある。


 昨日のセツキからはそういった酷な認識が溢れていた。なのに、今、サイを庇って帝に逆らっている。すごい態度急変、と普通は思うが、もしも彼がココリエの暴挙を見ていたのだとしたら。封印体の中でココリエがサイにしたこと。今のサイ。ふたつを鑑みているとしたら……。


 セツキがココリエをほったらかしてサイを庇い、慰め、守ってやろうとするのは当然の行いだ。男としても将としても傷つけられて泣いている少女をさらに傷つける道に捨てるなどと絶対にできない。セツキは潔癖で、その手のことには非常に厳しいというか常以上に鬼化する。


「そのようにつまらん堅いことを言うな、セツキ。せっかく数年、いや、数十年に一度お目にかかれるかもわからん美女が食べ頃にほぐされているのだ。味わってやるべきではないか? それこそ味わってやらねば、しっかり喰ってやらねば男の恥ぞ」


「阿呆のしでかした乱暴が為に怯え、震えている少女に手をだすなどと男として恥ずかしいことでございます」


 帝に反論する上で何気に、とてもさり気なくココリエのことを阿呆呼ばわりしたセツキは怒り心頭に発している。


 サイを傷つけた、というより、無垢な娘に乱暴を働いたことを怒っているセツキ。怒りはかつてないほど激しい。まさか、と思っていただけ余計にぶっつりきたのだ。


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