悪魔さん製「元気だせ」攻撃
「……くしゅんっ」
「……。サイ、可愛いですわ」
「やめろ。嬉しくない」
なんだろう、この緊張感のなさは。
ふと、車に揺られる青年はそんなどうしようもないことを考えた。ひとが緊張しないのは、他人がこれから先をどのように捉えているかはひとそれぞれである。
だから、車の後部で側近の娘がくしゃみをしようと妹がそれを本人その気はないだろうが無自覚で茶化そうが、娘が突っ込んでやめれ、と言おうとそれは自由だ。
自由、なんだが、お願いだからもう少し緊張してくれ、というのは青年からすれば切実な願いである。なので、つい青年は、ココリエはため息を吐いてしまう。
「ココリエ様、もう少し緩く構えられ」
「できるか、そんなこと」
「できるようにならなければ将来困ります」
将来とか、重っ!? と、ココリエがそんなことを考えているのを見咎めてセツキは困ったように息をついた。そして、咳払いして話をしようとした。
――べしゃっ。
……。話をしようとしていたセツキの横顔になぜか泥団子が直撃してココリエは思わずぽかんとする。そしてついうっかり、飛んできた方向を見てそれを真正面から顔に受けてしまった。鼻と口に入った泥の味。かなり粘っこい土の味にココリエは悶絶。
「なにをしますか!?」
自分の顔、側面についた泥を拭ってセツキが怒る先、次の泥団子をつくっていたサイが無表情でべーっ、と舌をだし、ルィルシエがびくっと凍りついた。両手に泥をつけている王女はサイをちらっと見て恐る恐る言い訳。
「その、これはですね……。サイが、お兄様とセツキの元気がでる
「こんなもの喰らって元気がでるわけないでしょう! サイ、なにを吹き込んで……」
セツキに叱られたルィルシエはしょぼんとする以上におどおどしてサイのそばで縮こまる。が、サイはいつも通りの無表情で淡々と口を開く。声は平淡だった。
「辛気臭い。泥の中の微生物を見習え」
「……サイ、あなたはどこまで極めますか」
「黙々働く微生物の勤勉さを学べ、と同時に近未来の食問題を解決する為の尊い実験体になれ。米やケプヤがなくなったら食物連鎖を無視して土を食えばいい、と思う」
「あなたが自分でしなさい!」
「拒否。木の根は齧っても土など食わぬ。なぜ私が下等生物にならねばならぬ?」
「……。つまり、私たちが下等だと?」
何気なく言ったつもりなのだろうが、かなりどうかと思う暴言だ。と、いうか上司への敬いがあれば絶対に言えない、言ってはいけない言葉の数々である。
サイに上司を敬う心がないのは知れたことだったが、再発見することになるとは思わなかったココリエはチリ紙で鼻をかみ、鼻の穴に入った泥をだした。口の中はまだザラザラする。ココリエは水筒の水を口に含んでぐちゅぐちゅぺっ、とセツキが渡してくれた器に泥水を吐いた。
サイのかなり乱暴な「元気だせ」にココリエは乾いた笑いを浮かべるしかない。あのサイが、無関心でひとがなにをしようと落ち込もうと緊張しようと知らんぷりのサイが一応気遣ってくれたっぽいのはなんとなく、方法を除けば嬉しいのだから。
方法はかなりアレだが、そんでも一応気遣ってくれたのだろうし、セツキが余計な説教を飛ばさないようにした。そこら辺は感謝するがでも、泥団子攻撃はやめてくれ。
「下等というか……説教魔?」
「あなたの中で私が上等でないというのと普通ですらないのはわかりました。ですが、ココリエ様までそこに入れないようになさい。さもなくば……」
「うるさい」
「誰のせいですか!?」
確実にサイのせいでうるさくならざるをえないのにサイは知らん顔だ。セツキの怒りなどどうでもいい扱い。ある意味すげえし、尊敬するが、怖くて明言はできない。
「サイ、木の根を齧ったことが?」
「む?」
「いえ、先ほどなにかそれらしきことを」
場の最悪すぎる雰囲気に負けてなんとか空気の転換を図ったルィルシエが喰いついたのはサイが先、言ったこと。木の根は齧っても土は食べない。それはつまりサイは究極木の根を齧れるの? というどーでもいいとこ。
サイもこの質問は予想外だったのか、疑問符を浮かべてしばらく黙ったが、答えた。
「一時期、木の根と塩と野草なり茸なりで生きていたことならあるが?」
「え? どうしてですの?」
「食う為に必要なほにゃららがなかった故」
「?」
「……。
いや、それってどうなの? なんて疑問を抱いたのは質問したルィルシエだけではない。ココリエもセツキも、御者をしてくれているケンゴクも思った。こいつ、アホ?
どうして生活費がなくなるまで寄付をしたのか? 見栄、というのはない線だ。サイはそんなくだらないことしない。だが、では、どうしてだろう?
「サイ、生活費を計算間違え」
「どんな間抜けか、それは。……紛争で親を亡くした子が施設へ一気に雪崩れ込んでな。そこもギリギリでやっていたのでどうしても受け入れが難しい者は」
「弾かれ、飢えて死ぬ、か」
「そうだ。そんなこと、私は許せぬ」
サイがどうしてそういったのを許せないのかはわからないが、ふと、ココリエはなんとなしにサイの過去を考えてみた。そして納得した。彼女はずっと飢えと虐待に苦しんでいた。それを他の罪もないこどもに負わせられない、と思ったかなにかだ。
サイは本当に冷たいが、冷たいようで温かい娘だった。なにより誰よりもひとの温度に焦がれ、憧れてきた。なのに、サイは自身を悪魔だと位置づけている。だからこそ、温かさに憧れても望まない。もっと言うならば憧れるからこそ、遠いのだ。
「サイ、優しいのですね」
「ただの偽善である」
「そんなことありません。立派なことです」
「それは己の世界が狭いが為の誤認だ」
褒め言葉も素直に受け取れないサイ。サイは優しいと心から思っているっぽいルィルシエ。眩しいふたりだった。それぞれに眩しい心、魂を持っている。
だが、ルィルシエはともかくサイの魂の輝きは異常なほど眩い。尊くて、悲しく、気高い魂は高潔なる証。潔癖であり、なによりも誇り高い様を示すように在る。
顔も名も知らぬ孤児の為に私財を投げうるなどと口で言ってもできる者はそうそういない。誰も彼もみな自分が可愛い。己を可愛がる余裕がある者だけがちょっと爪の先を削る程度ならば戦国にも例がある。なのに、サイは自身の生活が最低の底にいっても構わず、財を投げる。
それで惨めに木の根を齧っても平然としているばかりかより一層気高く在る。
惨めさなど微塵もない、と。自分は恵まれているのだ、と。そう、思っている。
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