旅支度
「まだか」
「あ、サイ。ちょうどいいところへ」
世界から見ればちっぽけな東方の島国。
あらゆる国が火種を抱え、あらゆる国が燃やしたり、消火したりを繰り返しては地形を変え、国の名が変わり、としているが、東にひとつ大きな国があった。
戦国でも有名なその国の名、ウッペ。つい三月前の初春にひとつ、先月にもうひとつ、戦を勝利で飾ったウッペは各地からことさらに一目置かれるようになった。
元々、いろいろな国がウッペには一目を置いていた。戦乱を引っ搔きまわす優秀な戦士をふたり、抱えていたことが原因で警戒、尊敬、畏怖など感情様々に諸国はウッペを見てきた。つい先月の戦においても、隙あらばウッペの足下をすくうことを考えていた南の国は歯噛みした。
南の方面にはウッペ国で一番強く、美しい男が
近隣に盟国ができた。これほど心強いことはない。諸国が考えることはそのままウッペの王族が考えること。迂闊につつくこともできない盤石さをえたウッペの国は平和に日々をすごしている。が、平和な国内で唯一忙しい場所は慌ただしく動きまわる。
ウッペの都フォロの奥にある城は今てんてこ舞い状態で城の使用人たちはみな走りまわっている。そんな忙しい城内でなにやら呑気な鼻唄が聞こえる部屋ひとつ。
高い少女の声が音程無視で鼻唄を歌いながらごそごそ部屋をひっくり返している。
上等な着物を床に並べて鼻唄している少女は困ったように眉を可愛い顔の中央へ寄せていたが、部屋の外から聞こえてきた呆れ声に心から嬉しさをこめて返事をした。
「……。これより夜逃げか」
「サイ、わたくしはどこへ家出す」
「では、物取りでも入ったか」
「そ、そそそこまで汚く」
「ばっちい」
「ばっち?」
「クッソ汚い」
ひでえ。度合い知れないくらい口が悪いのは女の姿をしている。ウッペの戦装束姿のそれは美女。この世に幾人もいないほど輝くような美貌が眩しい絶世の美女であった。ただし、前述の通り口がかなり悪い。少女、ここウッペの王女である少女に利くには間違いまくっている口。
王女に向かってめちゃくちゃ汚い、ここはまごうことなき汚部屋だと貶しなさった。
「むぅ。手伝ってください」
「己が留守番をすればいい話」
「セツキがいい、と言いました」
「だからどうした。出立が遅れるようなら己の乗る車はないと……いや、そもそも積み荷だけで重量超過、か?」
サイがふと奇妙なことに気を取られる。王女が乗る場所そもそもなくね? と。ただまあ、この旅行を取り仕切っている男に限って重量限界を見誤ることはまずない。
なので、残念なことに大丈夫なんだろ。残念である。本当に残念だ。残念極まれり。ついでに言うと面倒臭ぇ。このままではお守街道まっしぐらである。
「帝都……。ふふ、どんなところで」
「口ではなく手を動かせ」
「サイ、こっちとこれとアレはどれがいいと思いますか? あ、帯留めはどれにしましょう? 簪もこっちよりこちらの方が華やかでしょうか? どう思」
「知るか」
終わった。サイにばっさり切り捨てられたルィルシエだったが本人まったく気にしていない。サイが冷たいのはいつものことなので、ルィルシエこそサイの態度を流している。少女は着物を持ちあげてきた。そして、とても楽しそうに口を開こうとするのでサイはぐったりくたばる。
どれがいいと思いますか、という質問が幻聴できそうなくらい眩しい笑顔でいる少女にサイはため息ふたつ。部屋に踏み込んでいき、床に散らかっている着物を数点拾いあげて畳み、ルィルシエの旅行鞄に詰めた。そして、黙々と作業すること三分で準備を終え、鞄の口を締めた。
「おー……」
「この程度に何時間かける気か、阿呆」
「一言多いです、サイ。ありがとうござ」
「礼など不要。上司の命令である」
サイの言葉だけでルィルシエは察した。上司の命令ということはサイがうるさがる者からの指示。つまり直属の上司ではなく、サイの上官位置にいる男からの指示。
セツキがルィルシエの支度を手伝うようにサイへ命令したのだ。サイはセツキなど屁とも思っていないが、うるさい説教は大嫌いなので内心舌打ちしながらも仕方なくルィルシエを手伝いに来た、といったところ。セツキに言われて来たサイはルィルシエの髪を直して立ちあがる。
微妙に寝癖がついていた王女の身なりを整えてやったサイはルィルシエの旅行荷物を持って部屋をとっととでていく。ルィルシエはついていく。サイは鬱陶しそうにするが、今はそれに構っている時ではない。遅れればまたセツキの雷が落ちる。
少し前までは毎日落とされていたのでもう慣れっこ。だが、慣れても慣れないくらいあの雷は長くて強くてうるさい。本物の雷様も尻尾を巻いて逃げる、というものだ。
とっても失敬な認識である。が、誰も咎めない。時間は目に見えないだけで有限。無駄使いはしない。賢明な者であれば誰もサイに失礼だから改めろ、などと言わない。
そんなことをする暇があればひとつでも仕事をしろ。とは、城に仕える最強説教魔、もとい
彼もサイが来たばかりの頃。春が来るまでの間は彼女の不敬をなんとか矯正してやろうといろいろお説教に精をだしていたが、いよいよもって、サイがある一言をぶっ放した日、これは不毛どうこうでないくらいアホ臭い試みだ、と気づけた。
その日以降、お説教は必要最低限におさまったばかりか、よほどでない限りはシカトされるようになった。サイに言って聞かせて理解させるには常人の数倍、数十倍は時間と労力を消費するからだが、見事なくらい放置されている。まあ、サイに文句はない。万歳やったねだった。
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