そして、それでも、彼女は……


「この策がうまくいけばウッペは混乱する」


「楽観は油断に等しい。大敵である」


「なに、ウッペという大国の鼻を明かしてやるさ」


 ……。実際にその作戦を実行した場合、鼻を明かされるのはウッペではなくセンジュになるだろうな、と、サイはこっそり息を吐いておく。結局自己嫌悪だけ募って言いだせなかったサイはこれ以上ユイトキの話を聞くのは堪えられない。なにか、さらに上の機密をバラしそうだ。


 サイがなんとか会話を切りあげる言葉を探しているのをユイトキは不思議そうに見ていたが、はたとなにかに気づいた。サイは期待した。やっと過失に気づいたか、と。


「旅の途中だったな。引き留めてすまなかった。諸国をめぐって旅に満足がいったらセンジュの都、タバナに来てくれ。お前をカグラ様に紹介する。結婚してくれ、サイ」


「……」


 ユイトキが自らの重大な過失に気づいてくれることを願っていただけに彼の口を衝いた言葉にサイは自身の中で疼く痛みが、悲しみが乗倍されたような心地になった。


 ――苦しい、辛い、悲しい。


 ひとの心を弄ぶことに痛みを覚えるうちはまだひととしての心が残っていると思えるサイだが、いっそ、こんな痛みを覚えなくていい傲慢さを持ちたいと思えるくらいユイトキの愛が故の言葉が痛かった。意図していなくても弄んでしまっている現実の結果がサイを攻撃してくる。


 早く終わってほしい、と願ったお陰か知れないが、空の向こうから一羽の鳥が飛んできてユイトキの差しだした腕に留まって翼を休め、片足を男に差しだした。


 足にはなにか、紙切れが結ばれていた。ユイトキはそれを見てすぐ表情を引き締め、鳥を労って紙を外して開き、読んだ。短い指示書かなにかだろうそれ。ユイトキの表情は険しい。男は息を吐き、紙を粉々に千切って捨ててサイに顔を向けた。男の顔には真剣な色が宿っている。


「カグラ様からのご指示だ」


「……」


「作戦決行はキツルキの生き残りが余所の集落に移動したあと。そう、三日後に行うことになった。さて、ウッペがどうでるか。某の戦果を楽しみにしていてくれ、サイ。お前が都に来た時、某の武勇を聞かせてやるから」


「要らぬ」


「そうすげなくするな、サイ」


 サイの冷淡さを笑うユイトキは楽しそうだ。戦を前に笑っていられる精神はどこからやってくるのか。……いや、策が必ず成功し、思惑が叶うことに疑いが一切ないからこそなのかもしれない。追い詰めているわけでもなく、安心しているでもなく。ただ信じて笑っている悲しさ。


 予想が崩れて壊されることを彼はまだ知らない。彼がサイの正体に、属している場所に気づかない限り、完璧なウッペへの奇襲はセンジュに悲劇をもたらす。


 サイが一言、ファバルたちに報告すれば、それだけでセンジュは呆気なく崩壊の道をたどる。


「では、私はもういく」


「ああ、道中気をつけてな」


「……。……ありがとう」


 迷った。サイは本気で迷ってそして、礼を述べて会話を終わらせた。ひとの目を避けたユイトキのお陰で思わぬ収穫まであったサイは単身で調査に来てよかったと思うと同じだけ後悔した。どうして、着替えてきたのか。ウッペの戦装束のままならば気づいてくれたかもしれない。


 サイの最悪の裏切りに。裏切ったつもりはなかった。しかし、結果的には裏切りになりうる。


 サイはユイトキに所属を言わなかったことでユイトキに取り入って騙した。その結果に変わりはない。誰もがサイが悪いと言うだろうとの想像は易い。わかってサイは気が重たくなった。集落の入口に戻るとツバキはもう帰ったと言われた。養子たちに機織りを教える為、だそうだ。


「ユイトキが言っていたオルボウル、とは?」


「北の大国さ。オルボウルへ観光かい? だったら、カゼツツへ帰るよりもここ、ほら、こっちのイハクの水に沿って歩いてからトッコ山を歩いた方が近道だ。あ、でも出口はウッペのホノホ山付近だから気をつけろよ?」


「うむ。留意しよう」


 返事をしてサイは教えてもらった道を進んでいく。


 イハクの水沿いに歩いてトッコ、と簡素な看板が立っている山にわけ入ったサイがしばらく進むと、鼻先に冷たい水が落ちてきた。雨粒だ。そう、思った瞬間、土砂降りの雨が降り注ぎ、大地を叩きはじめた。容赦ない打ち方はまるで地上の悪魔を罰しているようだ、とサイは自嘲。


 すべてがつまらない寸劇じみている。


 どいつもこいつも能天気阿呆か、滑稽な道化であるとサイは悲しみと嘲りを半々に心で笑う。


 表情にはでない。どうしても、でなかった。


 いつものように硬直している顔を撫でてサイはため息を押しだし、山道をひた進んでいく。


「出口か……」


 しばらくも歩くと、といっても四刻半ばかり、三十分ほどだったが、歩いていくと、標識が立っていた。


 左を向いている矢印の先にはウッペのホノホ山方面を示す文字が書かれている。話に聞いた通りの標識に従ってサイはホノホ山の麓集落に抜け、そこで暮らす農民たちに道を訊き、ウッペの城に帰った。


 そして、予想に違わず、むしろ予想したままサイの帰りを今か、とルィルシエが待っていた。王女のそばにはケンゴクの姿があり、彼もサイを心配していたのか、顔を見て片手をあげて挨拶してきたが、ふたりを無視してサイは靴を脱ぎ、自室で着替え、ココリエの部屋へ向かった。


 ケンゴクはまだしもルィルシエには聞かれたくない。サイは少女を追っ払い、戸を開けた。


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