夕暮れの襲撃
ココリエの無言の返答を見てサイは立ちあがる。同時に金属音が鳴った。金属同士がぶつかる音。サイは寸前までいた場所ではなくココリエのそばに立っている。
ココリエが振り返ると天井の板が一枚外されていた。ウッペ王子の瞳に極限の苦みが溢れる。
サイの上にある笑み。それは黒の中にあった。
夕暮れの刻限。部屋は薄暗くなりつつある。ちょうど人間の視界が曖昧にされて潰れる時刻に奇襲を仕掛けてきた黒はサイにとって見覚えのある姿をしていた。
鬼の一本角を飾っている黒い兜。黒い忍装束。前回、昼間に見た時よりも不気味が増したその姿。サイは無表情のままで相手の名を口にする。声は平坦そのもの。
「カザオニ」
サイが名を呟いたと同時にカザオニはサイの気のせいでなければ笑ったような気がした。ただ、それは昼間のものと違って嘲笑ではない。喜びの感情に満ち、己に比肩する者を見つけたことで強者が浮かべる獣の笑み。
今までカザオニに喰いつく者などなかった。そうそういなかった。カザオニは自身に比肩する者としてサイを認識した。だから、喜んでいる。でてきた場所からして狙いはココリエだったのだろうが、もう完全に目的とか目標は入れ替わっている。鬼は悪魔との決闘を望んで笑う。
「ココリエ、ルィルシエにつけ」
「まさか、ひとりで相手をする気か!?」
「他にどうする? 数を頼んで勝てる相手ではない」
サイの正論にココリエは苦い顔をしていたが、すぐサイの指示通り妹のそばへ転がっていく。
サイはココリエが無事にルィルシエのそばにいけたのを見て、カザオニに視線を戻した。鬼はサイの掲げている金属を蹴って距離を取る。サイは勢いをもらい、それに任せてカザオニとの間合いを離す。距離を稼ぎついでにサイは武器を両手に巻きつける。夕の赤に光るのは鉄糸。
サイが持っている凶器、ナイフはウセヤで失くしてしまったので残ったのはこれだけだった。
カザオニ相手に心許ないことこの上ない凶器である。
こんな鉄糸など、罠として設置して見えにくい切断機をつくるくらいしか役に立たない。長さも中途半端。あとはほんの一年ばかり修練を積んでいる得物があるくらいでほぼ丸腰。それでも戦わないわけにはいかない。これから厄介になろうという者らを見捨てるのは戦士の恥だ。
「……
「……」
サイの殺しあい開始の宣告にカザオニは音符か花が散りだしそうなほど喜んで見えた。殺しあい大歓迎ってこいつ変態? と女が思っている間に鬼は準備を整えた。
鬼の両手には昼間見た短剣が握られている。轟々と風を鳴らしている武器自体は綺麗だが、アレが幾人もの生き血をすすってきたのかと思うとキモいし、不気味。
サイは両手を確認して構える。ほぼ無手の構え。実際の彼女も無手に等しいが、それで命を諦めるような根性はしていない。黙ったまま構えて準備したサイは足の指先で間合いをはかる。カザオニもまた同じようにサイの隙を狙っている。硬直した時間はだが、すぐにサイが壊した。
「ココリエ」
「どう、した……?」
「風属性について教えてくれ」
沈黙を壊したサイがしたのは場違いな、間の抜けた質問であり、え、ここで、この場面でそれ訊くの? と思ったのはココリエだけではない。カザオニも唇だけだが呆けている。サイのボケていないボケに敵味方の男性たちが呆けるが、サイはまじめ。生き残りを懸け、女は問う。
「風の特性は加速だ。速度はあらゆる名刀を凌駕するとすら云われ、極めれば鉄すら両断する!」
サイのまじめにココリエも真剣に返す。緊張からついつい声が大きくなるが、サイは静かに聞いている。黙っている女戦士にココリエはさらに追加で説明する。
「風属性での勝負は無謀だ、サイ!」
「百も承知」
「風属性に対抗できるものはない。切れ味の勝負なら雷が並び抜くが、サイが持っているかは」
「不鮮明に頼るつもりはない。まあ、なにかしらはあろうから適当にしてみるしかあるまい」
「それは無理だ、サイ! 《
「四の五の言っている場合ではない。やらねば死ぬ。やるしかないのだから腹をくくるのみだ」
サイの文句にココリエは呆ける。今度こそ本気で呆けてしまった。あまりにも男らしすぎる。
本当に女であるのがもったいないくらい男らしい気質を持っている娘だ。それに正論である。
やらなければ死ぬ。極限しかないのなら腹をくくるしかないのだ。わかっている。わかってはいるが、理解しても普通はできるものじゃない。死ぬかもしれないのに。
「力の根源は?」
「はい?」
「形あるものを生みだすのはなにか? なにかしら生命力を導くものがある筈。それだけ教えてくれればいい」
あとは勝手にする、とでも言いたげなサイにココリエは全力で脱力してしまう。どうしてこんなに平然とできるのだろう。目の前に転がる「死」が怖くないのだろうか?
サイが抱えているありえない胆力に口が渇くがココリエはなんとか言う。生命力を導く術を。
「人間の力は想像から創造される」
「充分」
ココリエの言葉に一言だけ返してサイは瞑目。目を瞑っているが、その姿に隙はなく、冷たい殺気が溢れてくる。サイの殺気を感じてカザオニがひとつ身震いする。
戦国の鬼を震えさせるとはどれだけだ。
だが、ココリエもあまりに濃い殺気で体がガタガタと凍え震えてしまう。体感温度は現在の季節、初春のものではない。サイがつくりあげている殺気世界は真冬の気温。
ふと、ココリエは底冷えを感じた。サイの殺気とか関係ない冷気はまるで闇が手招くようだ。
そんなことを思ったのがよかったのか悪かったのか知れない。知れないがサイの足下に異変。
それは黒。漆黒をさらに塗り込める黒はなんというかとても不気味なのに、ひどく安心する。
「サ、イ……?」
「
サイの足下に溜まっている黒が渦を巻き、脈動する。
まるで闇が息をしているようだ、と思った瞬間ココリエは察した。まるで、ではない。アレは闇。おそらくサイの根底を表す属性は闇だったのだ。とても珍しい。戦国にはたいてい光が多く在る。闇はいても南の離島、エネゼウルが引き抜いて囲ってしまう、と噂話に聞いている。
脈動する闇は徐々に激しく鼓動を刻んでいく。
まるでサイの心臓の鼓動にあわせ呼吸しているかのようで存在しない筈なのに存在している。
「ふむ、実に空想的だが、これはまさに私だな」
蠢く闇を見てサイはふと感想っぽいものを零す。
闇を見て自分自身だと言うとはどういう感想だろう。なのに、サイは闇の奥深くを覗き見ているかのようである。
闇に自分自身を投影しているようであり、闇に己の本質を見ている、とも思えるサイの発言は異常だが、自分の中に眠っているものを恐れない胆力はやはりすさまじい。
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