なまえ


「余を、知らないのか?」


「知らぬがどうした」


「いや、どうしたと訊かれると困るが……この戦国によくも悪くも余のことを知らないなどと変わっているな」


「万人に知られているなどと自意識過剰。恥を知れ」


「あはは、それもそうだ。なるほど。たしかに」


 サイの鋭い指摘、容赦のない突っ込みにココリエは一瞬ぽかんとしたがすぐに笑った。眩しい大輪の笑み。荒んだ世の中で限られた者だけが浮かべられる癒し。


 平素にはけっして向けられることのないものを躊躇なく向けられ、サイは居心地が悪くなる。


 サイが居心地悪さに無表情でもぞもぞしているとココリエは首を傾げたが、深く追求してこず、そのままなにかを待った。ココリエの待機を不審に思ったサイだが、ややあって思いいたった。そういえば、名を訊ねられていたと。「サイ」は誇りだが他人に自慢できる名ではない。


 響きの余韻すらもいい「ココリエ」に比べると貧相なアレであるとサイは心の中で謎の自虐。


 サイに名はあってなきが如し。「サイ」は壊れない為の支えであり、所詮支えでしかない。が、他に名前はない。葛藤の末、サイは渋々ではあったがその名を口にした。


「サイ。じじいにはスィーとも呼ばれた」


「シー?」


「SILENTの、サイだから……」


 言っていてサイはだんだん恥ずかしくなってきた。


 自分の名前など、ましてや由来がどうのこうのを語るなどらしくないので恥ずかしかった。


 サイの白すぎる頬が薄桃色に染まる。恥ずかしさで爆発してしまいそうになるサイが心中でもだもだしているとココリエが口を開いた。瞳に真剣な疑問が浮く。


「サイはもしかして異国から来たのか?」


「む?」


「いや、変わった瞳の色をしているし、なにより先ほどの言語はここ、桜蕾ノ島おうらいじまの標準言語、桜語ツェルジィスではないからな。少々堅苦しいが上手だぞ」


「む、ぅ? ここは、日本ではないのか?」


「ニホン? いや、知らないな」


 サイは即座に混乱した。不可解さがさらに不可解に。


 果てはここに留まることがかなり危険に思えてくる不思議さ。なんでもない直感だったがサイはココリエから後退りし、姿を眩ませた。背にココリエの声が聞こえて届いているがサイは無視した。無視して走っていくサイは誰の目にも留まらない。疾風のように駆ける。


 しばらくすると、天幕一張りもない大きな道にでた。道に沿って進んでいくサイはやがて大きな門をくぐった。


 門にはひとこそ溢れていたが大きさのわりに張り番がおらず職務質問されることもなかった。


 そんな者に捕まった暁には門が血の海になる。阿鼻叫喚となって果ては国家というものから敵視されて滅びの道を進むことになることうけあいだった。だからラッキー。


 しかしながら……。


「イミフ」


 サイはどう頑張って考えても、思いだしてみても倉庫街にいた筈。それなのに、これはいったい何事なのか。


 問題は事態についていけないばかりではない。門をくぐってしばらくもせず抜けたのは活気のある市を抱えた町だった。威勢のいい売り子らの声が飛び交っている。


 簡単に見渡してみるまでもなく濃厚な獣肉のにおいが鼻を衝いた。近くにジビエ的な品を扱う店があるらしい。他にも瑞々しい野菜や果物が八百屋に並び、生鮮市から離れた場所では髪に飾る小物や、織物が売られているようだし、若い娘たちがはしゃいでいる化粧品屋と商い様々。


 それだけでわかる。この町は非常に大きく、豊かであり人々は安心して日々に追われている。


 初春の候。サイが体感している温度からして結構な冷え込みであるのに買い物に来ているひとはかなり多い。


 サイは買い物客たちの邪魔にならないように端に避けながら歩くが先刻ココリエが言ったようにサイは異国の風体で着物じゃないだけでいやに目立ってしまう。


 人々の好奇の目。だが、実際に声をかけてくるような勇者はいない。どこか恐々と遠巻きに見つめているだけ。


 異国人が珍しい、というのとサイの纏っている雰囲気から只者ではない、というのを敏感に察している様子。


 人々の警戒が伝わってくるのでサイも迂闊に声がかけられない。元よりあまり人付き合いが得意なわけでもない、むしろ大嫌いなので普段からひとと一定以上に距離を置いている。サイと付き合いがあるのは昔馴染みとか金で動く強欲とか、そういったかなりアレな者ばかりだ。


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