減衰する過去と増強する未来


 ホテル屋上では二人の男女が遠くの景色を眺めながら並んでいた。

「…そうか。それならしばらくは保つかもしれんな」

 落下防止のフェンスに寄りかかり、日和がたった今聞いた『保険』の話について同意を示した。

 対して、フェンスを越えて屋上の縁に腰を降ろすアルの反応は鈍い。

「言うて、あの竜王はもう概念体を直接歪めて操れる力を持ってるってんだろ?俺のやったことがほぼ無駄になってんじゃねェか」

 話の主題は連れ去られた〝成就ウィッシュ〟に施した能力の封印について。少女の存在、本質に関していち早く勘付いたアルが行った『保険』のこと。

「いや、そちらについても私から一手打った。お前の保険と私の術式が二重で妨害していれば、あの竜王とて〝成就〟の概念体を自在に扱うことはそう簡単ではない」

「だといいがねェ」

 ふうーと長い溜息を吐いて、少しの間静寂が流れる。

 沈黙を破ったのは意外にも日和の方。

「…お前達の将は。陽向旭、いや今は神門旭だったか。…息災か?」

「なんだよ大好きなお兄ちゃんのことが気になんのか」

「殺すぞ」

 旧知の仲にある特有の気軽さで話す二人。茶化したアルも、その笑みを消して端的にこう答えた。

「息災かどうかは知らねェが、生きてるよ。…生きて、いる」

「…。そうか」

 二度続けた言葉の意味。挟まれたたった一文字の真意に日和は追及しない。もとより陽光の退魔師に幸福な結末ハッピーエンドなど縁遠いものだ。生きているなら、それだけでも充分にマシであると言えるだろう。

「お前も今回ばかりはヤバいんじゃねェの。ようやくちゃんとツラ会わしてみたかと思えば、なんだその弱りっぷりは。現人神とまで呼ばれた神童が見る影もねェな」

「それでもお前よりはまだ強いさ。退魔師は筋力や体力ではなく、術法によって勝ちの目と優位性を奪い取るものだ」

 普段の日和であれば〝模倣〟の異能ひとつだけでも大抵の強者を物理的に捻じ伏せるだけの力を発揮するが、今はそれも叶わない。であれば本職の力で敵を打倒するだけの話だ。

 退魔師とは、陰陽師とは、本来は一歩動くこともなく祝詞と呪詛で対峙する魔を退ける存在を指すのだから。

「そりゃ頼もしいこった」

 立ち上がり、フェンスを跳び越え日和の背後に着地したアルが片手を振って階下へ続く階段へと歩き出す。

「俺もそっちに加わる。ウィッシュは殺すなよ。たとえ消える存在でも、別れ際くらい時間を与えてやれ」

「お前も」

 振り返らず、空からビーチと海を睥睨する日和が淡々と返す。

「ユニコーンの娘から言われていたようだが、神鉄はもう使うなよ。鍛冶神の加護無しで扱うには、一介の妖魔では負担が過ぎる」

 神鉄。またの名を〝日緋色金ヒヒイロノカネ〟。神代の鉄鋼を現代世界で採鉱し鍛造するにはそれなりの神性を必要とする。

 アルは過去の縁から鍛冶の神である天目一箇神から直接加護を受けた経緯があり、今はその余韻のような力で神鉄を鍛えているに過ぎない。それすらも日に三度以上の行使は不可能だ。

 だが、この異世界においてはその制約すらもまともに機能していない。それはアル自身とすぐ近くで彼を見ていた白埜しか知らない事実だった。

 使い切ってから判明したことだが、この世界ではの行使が出来なくなっていた。つまりアルはもう〝日緋色金〟を使えない。

 より正しくは、使えば命を削ることになる。

「やれやれだよな、こっからが本番だってのに。お互い万全からは遠のいていきやがる」

「いつだってベストコンディションで挑める戦いの方が珍しい。それに、戦うのは私達だけではない」

 新たな戦力が増える反面、既存の戦力はどんどん弱っている。その中で、強くなり続けている既存の戦力の存在は極めて貴重だ。

「世代は移り変わる。いつまでも先頭で出しゃばっていられるわけがない」

「俺はまだ若いつもりでいたんだがなァ」

 ひとつ笑って、今度こそアルは屋上を後にした。

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