第58話 痺れ


 続けてされた実験では、二羽目の鷹はゆっくりと泥のようになって崩れた。三人の魔術師たちは、私の拘束を解き暖炉の前に座らせると部屋に戻そうともせず、ずいぶん長い間あれこれと熱心に話し合っていた。


 さすがに大きな鷹二羽ぶんの魔力は体への負担も大きい。冷え冷えとした石の床が剥き出しの狭い通路を歩き帰り着いた部屋で、寝台に倒れ込みしばらく眠った。

 食欲がわかず、水だけ飲んで夜の実験に向かう。


 夜の回には珍しく、エーメとモルゴーの二人が揃っていた。それと昼間もいた、緑の髪の男。ラスティはいない。


 夜は来ないのね。

 そう思ったけれど、昼間聞いたフラニードとの話は思い出さないように努力した。きっとなにか別に理由があるの。それより違うものを思い出そう、遠い故郷、両親、妹と弟。シファードの騎士たち。私の髪を編んでくれた魔術師、あの子の名はなんだったかしら。


「鷹二羽ぶんの魔力を一度に移してみたいと思う」


 私の手首を拘束している革を留めていたモルゴーが、緑の髪の男に言った。


「一度にですか? 被験者の負担が大きいのでは」

「危うければ取り止める。エーメさまがご判断されるそうだ」


 そのエーメは、私に背を向け、手に持った羊皮紙に描かれた魔法陣を眺めている。


「これで耐えられるか?」

「問題ございません」

「ここの回路に不安が残るが」


 ち、とモルゴーが小さく舌打ちをしたのがそばにいた私にはわかった。足早にエーメの元に行ったモルゴーは、羊皮紙を指で示すと苛立った声を出す。


「そこは、こちらで補助を」

「おお、なるほどそうか」


 回を重ねるごとに魔術師たちの私への気遣いは薄れていっている気がする。今だって、モルゴーもエーメも私に挨拶ひとつせず手を動かし始めて、無礼だわ。

 魔術師塔を初めて見学した日、あちこちに籠や檻に入れられた珍しい生き物がいた。今や私もそのひとつ、くらいにしか思っていないに違いない。


 鷹二羽ぶんの魔力と言っていた、どんな風になるのだろう。痛かったらいやだわ、痛いのはいや。


「エーメさま、少し距離をお取りになられるのがよろしいかと」

「やれるか? グイード。慎重に」


 私の上にモルゴーが羊皮紙を置いた。そこにグイードと呼ばれた緑の髪の魔術師が、眠る鷹を一羽置き、間を置かずもう一羽並べるため箱に手を入れた。グイードから漏れ出て感じる彼自身の魔力は、ラスティと比べるととても弱い。大丈夫なのかしら。


「うあっ!」


 案の定、二羽目を置くか置かないかの時に、グイードは苦しそうな呻き声をあげた。熱い鉄に触れでもしたように手を離し、一、二歩後退る。

 私が彼を気にかけられたのはそれまで。


 並べられた二羽から、大量の魔力が急に入り込んできたから。この濃さは、あの庭に満ちていたぶんには遠く及ばなかったけれど、昼までよりは桁違いで。


「あ……」


 勝手に口から声が漏れる。体の内側が凍りついていく恐怖から、頭を振って逃れようとしたけれど叶うはずもなく。

 大丈夫、平気よ、私の中に魔力は留まれない。流れすぎてゆくだけ。すぐに終わる。そう自分に言い聞かせ耐えたけれど、魔力は簡単に尽きてはくれず、注ぎ込まれ続けた。


 体の内側に細かい氷の棘が無数に刺さり続けていく。寒くて、怖くて、なにより孤独だった。

 遠くから魔術師たちの会話が聞こえてくる。死にはしなさそうだな、エーメが言っている。この鷹はどう崩れるでしょうね、とモルゴー。


 助けて。


 呟いた言葉は音にはならなかった。


 ◇◇◇


「崩れ方に差が出る原因がわからんのだ」


 翌日。

 昨夜と同様、一度に二羽の鷹を使った実験を終えたあと、モルゴーが呟いた。羊皮紙の上で泥状に崩れた、少し前まで鷹だったものを箱に戻し、汚れた魔法陣を私を挟んだ向かいに立つラスティに見せている。


「短時間で放出を終え急速に凍りつき、乾いた砂となり崩れる……あれをどうすれば再現できるかわかるか」

「魔力の放出が早まる魔法陣に組み換えたのか。今の様子では関連はないな。無秩序に起こっているとも思えないが」


 そう言いながら、ラスティはひとつずつ手で私の拘束を解いていく。けれど時々触れる彼の手も、私を温めはしなかった。ラスティの魔力は感じたけれど、体が凍えすぎていてこの程度の量では役に立たない。

 自由になった右手をあげて、目に残った涙を拭う。手は震えていて氷みたいで、自分のものという感覚すら薄れていた。

 昨日より辛い。回を重ねるごとに送り込まれる魔力量が増えている。どうなっていくの、怖い。なにも考えたくない。


「イルメルサさまにしばらくお休みいただいたあと、そうだな、元の通り一羽ずつに戻し、間を空けず二度続けて行ってみるか。長時間経過を見ればなにかわかるやもしれん」

「続けるのか? まだ昼だぞ、前に見た時より衰弱し酷く怯えている。今回はこれで終わらせてはどうだ」


 狐の毛皮で私を包んだラスティが、毛皮ごと私を持ち上げながらモルゴーを非難した。暖炉まで運ばれる短い時間、少し多めにラスティの魔力が流れてきたけれど、それもほんの少し心を慰めてくれただけ。


「婚礼前に女が死ねば叱責では済まないだろう、代わりは存在しないのだから」


 ラスティはそう言いながら床に膝をつき、私を暖炉の前の毛足の長い絨毯の上にそっと降ろした。同時に、彼の背後で燃える火の勢いも増す。


「お前の言い分もわかるのだが」


 モルゴーの応える声から、彼自身悩ましく思っているのが伝わってくる。


「進展のなさにエーメさまの苛立ちが日々募っておられる」


 頭のすぐそばでラスティが鼻で笑う音がする。反射的に見上げると、ラスティは私を包む毛皮からゆっくり手を離して立ち上がりながら、挑戦的な顔つきでモルゴーを見ていた。彼の頬が、暖炉の火に照らされて赤く染まっている。髪も、目も、全てが暗く赤い。ラスティの唇がゆっくり開く。


「バルバロスにスラフニラスエーメ、貴族に挟まれ機嫌取りか、ご苦労なことだ」

「そう言うな、機嫌を取らねば優遇されぬ。優遇されねば望む研究もできんのだ――お前とてわかっておろう?」


 モルゴーは呟くと、今し方使ったばかりの魔法陣の描かれた羊皮紙を取り上げ視線を落とした。


「バルバロスさまに取り入ろうと毎晩あの侍女と過ごしておるではないか、娶るのか?」


 す、と血の気が引く。毛皮の下の指に力が入った。体の内に残った無数の小さな棘のような魔力が、ゆっくりと集まり形になる。小さな黒い塊。


「毎晩、並んで飯を食わされているだけだ」

「だが断っておらぬ」


 そうなの、ラスティ。断れる程度のことなの。なにか理由があるのだと。ここに来られない理由があるのだと必死で思いこもうとしていた自分が惨めに思える。


「責めておるわけではない。あの女を娶ればバルバロスさまに、より重用されよう。なにせ司祭さまの姪だ」

「領主の愛人の間違いだろう」

「どちらも真実。逢瀬に目を閉じておくだけでその身は安泰だ」


 くく、とモルゴーは笑ったけれど、ラスティは笑わなかった。やはりみな知っているのね、バルバロスさまとフラニードの関係を。壁の向こうで、私のことも噂して笑っているのに違いない。


 ここでは惨めになるばかり。そんな思いを募らせるたび、胸の中の黒い塊が重さを増していった。

 手が、痛い。

 両手の指先が強く痺れる。


 違和感に毛皮からそっと手を出し目を落とすと、薄くまだらに黒く染まった指先が見えた。小さな悲鳴をあげかけたのを飲み込んで、毛皮の下に指を隠す。

 さっきの鷹みたいに私も崩れはじめたの。今こうしている瞬間にも、毛皮の下で皮膚がどんどん黒く変わっていっているかもしれない。

 考えるほど不安が募り、体が震えはじめた。耳の中で風が唸るような音がする。


「……どうした?」


 震える私を見咎めたのだろう、ラスティが顔を覗きこんで聞いてきた。彼の目に私が映っている、それを見たくなくて目をそらす。黒く染まり泥になって醜く崩れる自分を見てしまうかもしれないのだもの。


「寒いか」


 そばに屈んできた彼に、手を見せるか迷った。涙の滲む目でそっと背後のモルゴーを見ると、魔法陣の描かれた羊皮紙を何枚も見比べていてこちらを気にしてはいない。ラスティに見せるなら、今しかない。

 息を詰め、震える手を毛皮から外に出した。白い指先が目に映る。うそ。右手をひらひらと裏表に返して何度も見たけれど、黒い染みはなくなっていた。


 見間違い? 暖炉の炎の作り出した影だったの……。

 ほっとしながらもぼんやりと手を見ていると、手首を強く捕まれ、我に返る。


「おい、大丈夫なのか」


 見上げたラスティの目が不安げな様子で、なにか言いたかった。でも言葉が見つからなくて声を出せない。薄く開いた唇を閉じ俯いた。


「なにをしている」

「消耗が激しい、様子がおかしい。少し休ませた方がいい」


 怪訝そうなモルゴーの問いかけに、ラスティが私の手首を掴んだまま答えている。


「しかし」

「婚礼まであと十日と少し。シファードの者はその前日までには来るのだろう? 女の家族に疑念を抱かれぬようにするのも重要ではないのか」


 ラスティの言葉は、暗い闇に侵されそうになっていた私の胸に光を灯してくれた。そうだわ、あと二週間もせずにお父さまとお母さまに会える。二人の顔を思い出すと、体の内側に残る冷え冷えとした魔力の棘が消えてゆくかとさえ思えた。


「……仕方あるまい、一時ほどお休みいただこう」


 モルゴーは言葉の後に大きく息を吐いた。一時間の休息。そう聞かされても嬉しくはなかった。その後にまたあの時間がやって来るのだもの。でも、時間が過ぎればお父さまたちに会える時が近づく。そう思えば辛さも和らいだ。


「ここの回路を変えてみようと思うのだが」

「急ぎ来いと伝えてある」


 興味を魔法陣に戻したモルゴーの声に紛らせるように、素早く私に頬を寄せたラスティが口早に囁いた。彼の温もりはすぐに離れていく。

 一瞬なにを言われたのかわからず、彼の顔を見ようとした瞬間に意味を飲み込めた。動いてはだめ、なにも聞いていないふりをしなければ。


 私を残してラスティは立ち上がり、モルゴーの方へ歩いて行ってしまった。聞きたいことは聞けないまま。

 なんと伝えたの? ここでのことは言わないで。戦になったら。不安が芽吹くと、途端に胸の中の棘がちくちくと痛みはじめた。


 指先が痺れる。



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